小助官兵衛の戦国史シナリオ/小助官兵衛の戦国史に登場する城郭一覧

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小助官兵衛の戦国史に登場する城郭一覧です。
東北関東甲信越東海・北陸近畿中国四国九州
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 相模能登紀伊出雲 薩摩
 甲斐越前播磨石見 大隅
 信濃若狭淡路隠岐  
   丹波   
   丹後   
   但馬   

【信濃国】
海ノ口城〒384-1302 長野県南佐久郡南牧村海ノ口海尻城の出城。
海尻城〒384-1301 長野県南佐久郡南牧村海尻伴野家臣の井出長門守が築城。天文初年頃(1532〜1540年)に村上義清が改築。村上家臣薬師寺右近が守将としておかれた。天文9年(1540年)に武田家臣板垣信方が智略をもって攻略。本城を上原昌辰(上原伊賀守)が守り、二の丸を日向昌時(日向大和守)、三の丸を長坂国清(長坂左衛門)が守った。 天文9年(1540年)12月に村上家臣額岸寺光氏(楽巌寺和泉守光氏)が地侍一揆とともに攻め寄せ、二の丸まで陥れたが本城の上原昌辰はよく耐え、武田軍の援軍到着により村上勢は敗退した。
火燈城〒384-1211 長野県南佐久郡南相木村祝平相木氏の城。
峯尾城〒384-1211 長野県南佐久郡南相木村中島 
見張城〒384-1211 長野県南佐久郡南相木村日向 
相木城〒384-1201 長野県南佐久郡北相木村坂上阿江木城ともいう。相木依田氏の城。相木昌朝の城。天文11年(1542年)に相木城主相木昌朝武田晴信に降り、武田家臣として川中島合戦などに出陣して名を馳せた。武田氏滅亡後は相模北條氏に従い、相木城は廃城になったとされる。
根小屋城〒384-1102 長野県南佐久郡小海町小海根子屋城、寝小屋城、根古屋城ともいう。烽火台としても使用された。黒沢景家(黒沢駿河守)の城。
蟻城〒384-0702 長野県南佐久郡佐久穂町穂積穴原 
本間城〒384-1105 長野県南佐久郡小海町千代里本間 
大石川城〒384-1105 長野県南佐久郡小海町千代里 
馬越城〒384-0703 長野県南佐久郡佐久穂町千代里馬越 
石堂城〒384-0704 長野県南佐久郡佐久穂町八郡通城ともいう。佐々木氏の城。
佐口城〒384-0701 長野県南佐久郡佐久穂町畑佐口 
権現山城〒384-0701 長野県南佐久郡佐久穂町畑下畑城の支城。
下畑城〒384-0701 長野県南佐久郡佐久穂町畑下畑海尻城の出城。天文9年(1540年)に海尻城守将の上原昌辰小林宮内助が出城として築城した(『妙法寺記』『日本城郭全集5』『定本佐久の城』『南佐久郡古城址調査』『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』により)。のちに小宮山昌友(小宮山丹後守)が在城した。
下ノ城〒384-0701 長野県南佐久郡佐久穂町畑下畑下畑下ノ城ともいう。下畑城の北を守る支城。
高野城〒384-0613 長野県南佐久郡佐久穂町高野町鷹野城ともいう。鷹野六郎(高野六郎)の居城。後に三枝昌吉が居城とした。三枝昌吉徳川家康に仕えてから後は、相木城を攻めている。
上ノ城〒384-0503 長野県南佐久郡佐久穂町海瀬下畑上ノ城、海瀬城ともいう。根井氏や楯氏に関わる城ともいわれている。伴野甚三郎が居城とした。付近には「杭の内」「腰牧」などの地名が残る。
花岡城〒384-0503 長野県南佐久郡佐久穂町海瀬花岡烽火台としても使用された。
楯城〒384-0503 長野県南佐久郡佐久穂町海瀬館楯氏城、楯氏館、館城、館氏館ともいう。
勝見城〒384-0501 長野県南佐久郡佐久穂町余地余地城、依路城ともいう。伴野忠常(友野左近中将)が築城。伴野忠常の長男伴野右近進(依路右近進)が居城としていた。天文9年(1540年)5月に武田氏が攻略。依路伴野氏は降伏した。武田氏が上州攻撃に利用した城。伴野右近進(依路右近進)武田勝頼に従軍し討死した。
矢田城〒384-0502 長野県南佐久郡佐久穂町大日向大崖城、大涯城、大影城ともいう。矢田義清の居城。
中居城〒384-0502 長野県南佐久郡佐久穂町大日向小幡尾張守が築城。武田晴信の命により都沢金山採掘のために築城。
福田城〒384-0614 長野県南佐久郡佐久穂町上本郷大影城、城ヶ峰城ともいう。福田美作守の居城。
入澤城〒384-0621 長野県佐久市入澤入沢城ともいう。入澤氏(入沢氏)の居城。天文9年(1540年)には武田信虎が攻略している。
十二山城〒384-0621 長野県佐久市入澤入澤城の支城。入澤城の西方に位置する。
磯部城〒384-0621 長野県佐久市入澤入澤城の支城。入澤城の北方に位置する。
水石城〒384-0621 長野県佐久市入澤入澤城の支城。入澤城の東方を守備する要害。天正年間(1573〜1593年)には武田家臣水石和泉守が在城。
稲荷山城〒384-0302 長野県佐久市勝間勝間城、勝間反城、勝間反砦ともいう。武田氏滅亡後に徳川氏が修築したという。
龍岡城〒384-0412 長野県佐久市田口竜岡城ともいう。
岩崎山城〒384-0412 長野県佐久市田口岩崎城、岩崎砦ともいう。天正10年(1582年)8月29日に徳川軍と北條軍が戦った陣場ともされる。
田口城〒384-0412 長野県佐久市田口田ノ口城、田の口城、田之口城ともいう。田口良能(田口長能)の城。新海三社神社神宮寺三重塔風鈴の銘には永正12年(1515年)に田口長慶(田口良慶)と一族6名が記されており、さらに現上宮寺の銅鐘に天文12年(1543年)には田口良能(田口長能)の名が記されている。すでに天文9年(1540年)に武田氏に降伏しているが、天文17年(1548年)に武田氏が上田原合戦で敗れると田口城も内山城と連動して反旗を翻した。
雁峰城〒384-0305 長野県佐久市中小田切切原城、草問城、草間城、中小田切城、小田切城、雁峯城、がんだれ城ともいう。村上家臣小田切行長(小田切幸長)が築城。大永7年(1527年)に伴野氏の要請に武田信虎が侵攻し落城させている(『高白斎記』により)。天文9年(1540年)5月にも武田軍が攻略した。 その後、村上義清は家臣小田切幸長(小田切駿河守)に守らせ、抵抗をつづけたが耐えきれず篠ノ井へ退去した。その後小田切幸長は葛山城に籠ったが弘治3年(1557年)2月15日に室賀家臣山岸清兵衛に首を討たれた(『信濃史料』により)。天正6年(1578年)に草間右近の名が記されている(『上諏訪造営帳』により)。
向城〒384-0305 長野県佐久市中小田切雁峰向城、向雁峰城ともいう。雁峰城と相対した城。天文9年(1540年)に板垣信方が攻め落とした。
小田切城〒384-0306 長野県佐久市上小田切上小田切城ともいう。雁峰城の支城。滋野氏一族の小田切氏の居城。
医王山城〒384-0301 長野県佐久市臼田桜井山城、桜井城、下ノ城、下の城、医王寺城、医王寺山城、臼田城ともいう。下の城(医王山城)と上の城をあわせて臼田城ともいう。延徳元年(1489年)に坂城村上氏が佐久へ進攻し、村上顕国の子村上顕胤が築城。天文9年(1540年)5月に板垣信方が攻略。
湯原城〒384-0307 長野県佐久市湯原相木依田氏の一族の居城。弘治3年(1557年)に依田長繁の名がみえる(『南佐久郡古城址調査』『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』により)。天正年間(1573〜1593年)には上野佐渡守が居城とした。
野沢城〒385-0053 長野県佐久市野沢中小屋伴野城、野沢伴野城、伴野氏館、伴野館ともいう。伴野氏代代の居城。伴野氏が前山城へ移るまでの居城。現在は土塁の大部分が残っており鎌倉期の遺構を保っている。
荒山城〒385-0045 長野県佐久市大沢荒城ともいう。前山城の属城。伴野光利が隠居城として使用。大永元年(1521年)に伴野貞慶伴野貞秀が在城し、大沢伴野氏(荒山伴野氏)の城となった。のちに武田氏の城となり市川義信が守将として守った。天正10年(1582年)に市川長義がいたが徳川方の依田信蕃に攻められ落城した。
前山城〒385-0046 長野県佐久市前山伴野城、前山古城ともいう。
蛇沢城〒385-0032 長野県佐久市常和黒沢城ともいう。源頼朝の家臣黒沢植光の城(『信濃奇勝録』により)。
平賀城〒385-0034 長野県佐久市平賀平賀大井氏の城。
内堀城〒385-0034 長野県佐久市平賀平賀大井氏の城。平賀城の北方に位置し、内山城の西方に位置する。内堀源太左衛門の居城。
内山城〒385-0031 長野県佐久市内山永正年間(1504〜1520年)に大井玄岑(大井美作入道)が築城したという。天文15年(1546年)に武田晴信上原昌辰(上原伊賀守)を守将においた。天文17年(1548年)に村上義清が上田原合戦で勝利したため内山城は武田氏に反旗を翻している。
五本松城〒385-0006 長野県佐久市志賀志賀城の属城。永正年間(1504〜1520年)に大井玄苓(大井美作入道)が居城とした。大永年間(1521〜1528年)に笠原氏が攻め落としたという。
西城〒385-0006 長野県佐久市志賀志賀城の属城。内山城の北に位置し、五本松城の西に位置する。
志賀城〒385-0006 長野県佐久市志賀志賀山城ともいう。
高棚城〒385-0006 長野県佐久市志賀志賀城、志賀本城ともいう。志賀与三右衛門の居城。笠原山城(志賀城)の北にあり、志賀氏が居城とした城。志賀氏の本城ともいわれ、天文16年(1547年)に武田氏に降ったという。
笠原山城〒385-0006 長野県佐久市志賀駒込笠原城、志賀城、高棚城ともいう。
深堀城〒385-0051 長野県佐久市中込中込原上原大井氏の居城。上原和泉守が居城とした。上原氏は平賀大井氏の一族。
八反田城〒385-0035 長野県佐久市瀬戸瀬戸城ともいう。八反田城と中城峯城、瀬戸山城をあわせて瀬戸城ともいう。上原大井氏の居城。天正5年(1577年)に上原筑前守が居城とした。上原氏は平賀大井氏の一族。
瀬戸山城〒385-0035 長野県佐久市瀬戸瀬戸城山ともいう。
中城峯城〒385-0035 長野県佐久市瀬戸中峯城ともいう。
今井城〒385-0015 長野県佐久市今井兼平城、兼光館ともいう。木曽義仲(源義仲)を擁して挙兵したという今井兼平の城。
桜井山城〒385-0056 長野県佐久市桜井桜井城ともいう。
日向城〒385-0062 長野県佐久市根岸日向長坂城、根岸城ともいう。長坂光堅(長坂釣閑斎)と長男長坂源五郎が居城とした。武田信虎の子武田信近が城代を務めたともされる。武田信近は永禄2年(1559年)8月4日に死去。武田信近の子武田兵庫も居城とした。寛永元年(1624年)12月に武田長右衛門の代に日向城は全焼してしまったという。
虚空蔵山城〒385-0062 長野県佐久市根岸日向多福寺城、虚空蔵山狼煙台、虚空蔵烽火台ともいう。日向城の出城。武田晴信が虚空蔵菩薩を麓の多福寺に移し虚空蔵山を烽火台とした。
伴野城〒385-0061 長野県佐久市伴野 
宝生寺城〒385-0061 長野県佐久市伴野下平宝生寺砦、宝生寺山城、宝生寺山砦ともいう。前山城の北方を守護する砦。
岩尾城〒385-0016 長野県佐久市鳴瀬琵琶島城、藤ガ城、藤ヶ城ともいう。文明10年(1478年)に築城。岩尾大井氏は、大井行頼大井行吉が武田氏に出仕した。
落合城〒385-0016 長野県佐久市鳴瀬神明城、龍香山城、竜香山城ともいう。根井行親の五男である落合氏の居城。
根々井城〒385-0012 長野県佐久市根々井根井城、根ノ井城、根之井城、根井氏館、正法寺城ともいう。望月国親が根井に移住し根井氏を称したことにはじまる。治承4年(1180年)に根井行親は依田城で挙兵。義仲四天王と評された。
道本城〒385-0012 長野県佐久市根々井根井幸親居館ともいう。
駒形城〒385-0025 長野県佐久市塚原道本城の支城。根井氏の居城。
岩村田城〒385-0022 長野県佐久市岩村田上ノ城藤ヶ城、藤ガ城ともいう。文明10年(1478年)に大井行俊が築城。
石並城〒385-0022 長野県佐久市岩村田荒宿円満寺城ともいう。北を石並城、中央を王城、南を黒岩城とし総称して大井城ともいう。大井朝光の城。
大井城〒385-0022 長野県佐久市岩村田荒宿王城、玉城ともいう。
黒岩城〒385-0022 長野県佐久市岩村田荒宿文明年間(1469〜1487年)に岩村田大井氏が居城とした。岩村田大井氏が石並城の落ちた後に築いたとされる。
曽根新城〒385-0022 長野県佐久市岩村田曾根城、曽根城、荒城ともいう。戦国末期から江戸時代に築城された。諏訪氏、松平氏が居城としたとされる。
鳥坂城〒385-0007 長野県佐久市新子田上原昌辰(上原伊賀守)の居城。
浅井城〒385-0007 長野県佐久市新子田小林右近平林左近らが居城としたと伝わる。
池端城〒385-0007 長野県佐久市新子田熊野神社付近に「城の内(城ノ内)」という地名が残る。
燕城〒385-0004 長野県佐久市安原翼城ともいう。燕城と翼城は別の城ともいわれる。安原大井氏の城。大井朝光が領し、室町時代に大井氏が安原氏を称し居城とした。室町時代に大井持光は関東の足利持氏の遺児永寿王を匿って養育し、のちに永寿王は古河公方になったという。文明16年(1484年)に村上氏に攻められ大井氏とともに滅亡した。
香坂城〒385-0005 長野県佐久市香坂阿伽流城、阿伽流山城、閼伽流山城ともいう。南北朝時代に献身した香坂氏の居城。香坂氏は滋野一族。戦国時代には香坂能登守が武田氏に降り、武田氏が滅亡後は上杉景勝に従った。香坂能登守の孫香坂昌能(香坂与三郎)は上杉氏とともに会津へ移った。
平尾城〒385-0002 長野県佐久市上平尾山古城、平尾山城ともいう。平尾氏は依田為泰(依田修理亮)が応仁の乱の頃に大井持光に降り平尾に移った。永正年間(1504〜1520年)、平尾依田氏一族平尾守信が築城。のちに武田氏に降った。天正18年(1590年)に平尾守芳は藤岡に転封となり移住した。
白岩城〒385-0002 長野県佐久市上平尾平尾氏館、平尾館、里古城ともいう。享徳年間(1452〜1454年)に平尾氏初代平尾良信(依田良信)が依田から移り平尾氏を称した(『信州の山城』より)。依田為泰(依田修理亮)が応仁の乱後に移ったともいわれる。
延寿城〒385-0001 長野県佐久市横根岩村田大井氏の一族横根法眼が隠居城とした。
鷺林城〒385-0026 長野県佐久市常田天文18年(1549年)に平原城攻略の際に陣城として使用された。武田家臣曽根覚雲斎が守将として守った。武田軍の足溜まり場。
東城〒384-0093 長野県小諸市和田古屋敷東城、東山城、鷺林東城ともいう。
長土呂城〒385-0021 長野県佐久市長土呂長土呂館、陣城ともいう。鎌倉御家人の薩摩氏が築城したという。大井光泰が居城とした(『四鄰譚藪』より)。
上原城〒384-2104 長野県佐久市甲上原 
矢島城〒384-2105 長野県佐久市矢嶋天徳城、矢嶋城、浅科矢島城ともいう。天徳城と矢島城をあわせて矢島城ともいう。木曽義仲(源義仲)に従った矢島行忠の城。矢島氏は望月氏の一族。滋野一族。後に大井氏が入り矢島大井氏の居城となったともいわれる。
春日城〒384-2205 長野県佐久市春日穴小屋城、芦田小屋城、三沢小屋城、春日穴小屋ともいう。春日氏の居城。のちに依田氏(芦田氏)の城となる。春日氏は祢津氏の一族。滋野一族。保元の乱で活躍した祢津神平の子祢津貞親が春日氏を称し祖となったという。祢津貞親の子祢津貞幸(春日貞幸)は承久の乱(宇治川合戦)で戦功をたて春日氏全盛期を迎えた。 永正3年(1506年)に望月氏により滅ぼされている。祢津系春日氏は滅亡し、望月系春日氏の居城となった。
天神林城〒384-2204 長野県佐久市協和天神天神城、天神本城、高呂城ともいう。
押出城〒384-2205 長野県佐久市春日岩下大小屋城ともいう。依田氏(芦田氏)の居城。
小倉城〒384-2205 長野県佐久市春日入新町依田氏(芦田氏)の詰城。
望月城〒384-2202 長野県佐久市望月謡曲『望月』によれば、望月氏は信濃国に隠れもなき大名と評されるほどの名族。しかし天文12年(1543年)に長窪城主大井貞隆をかくまったことから武田晴信に攻められ陥落した。望月氏は一族諸共切腹させられたという。
布施城〒384-2203 長野県佐久市布施式部城、式部山城、式部字城山、式部氏館、式部城館、式部要害山城、古城ともいう。式部城と式部山城をあわせて布施城ともいう。望月滋野氏一族の布施氏の城。または相木依田氏の居城ともいう。『海渓院文書』に望月氏が布施を領すと記されている。
虚空蔵山城〒384-2203 長野県佐久市布施台城、矢島虚空蔵山城、矢嶋虚空蔵山城ともいう。矢島大井氏の居城。
茂田井城〒384-2206 長野県佐久市茂田井倉見城ともいう。米持氏の居城。米持氏はのちに武田氏に属した。
芦田城〒384-2305 長野県北佐久郡立科町芦田蘆田城、倉見高井城、木宮城、木ノ宮城ともいう。中山道の宿場町があったところで本陣の跡などが残る。芦田滋野氏の築城。文安2年(1445年)に依田光徳が築城したともいう。文明18年(1486年)に村上氏が依田氏と高井米持氏とともに陥落させ依田氏が居城とした。
牛鹿城〒384-2308 長野県北佐久郡立科町牛鹿牛麓城、善正城、善正山城ともいう。箱山氏の居城。箱山善正の城。
蟹原城〒384-2302 長野県北佐久郡立科町藤沢蟹原滋野一族蟹原氏(藤沢氏)の居城。
小田井城〒389-0206 長野県北佐久郡御代田町御代田小田井尾台城、御台城ともいう。小田井氏(尾台氏)の居城。
頭槌城〒389-0205 長野県北佐久郡御代田町面替長倉牧城、長倉北屋敷、長倉南屋敷ともいう。長倉北屋敷と長倉南屋敷をあわせて長倉牧城ともいう。
梨子沢城〒389-0204 長野県北佐久郡御代田町豊昇梨沢梨沢城、梨沢館、梨沢城館ともいう。長倉大井氏の居城。大井朝光の次男長倉朝信(大井朝信)が長倉牧奉行(軽井沢の牧場主)として居城とした。応仁元年(1467年)に村上氏が攻め落としたという。
宮平城〒389-0204 長野県北佐久郡御代田町豊昇久能猿之介城ともいう。長倉猿之介の居城。天文年間(1532〜1555年)年間に小田井城の小田井信親(小田井又六郎)に与して武田氏と戦うが敗れて廃城となった。
広戸城〒389-0203 長野県北佐久郡御代田町広戸武舎城、武者城、民者城ともいう。武舎加賀守の居城。武田氏に攻略され討死する。
耳取城〒384-0084 長野県小諸市耳取耳取古城、鷹取城ともいう。耳取大井氏の城。
五領城〒384-0084 長野県小諸市耳取五霊城、五料城、御領城、五領大井館、五領大井氏館、五領大井氏屋敷ともいう。五領大井氏の居城。大井光長(大井又太郎)の四男大井行氏(大井又三郎)が耳取に居館し周辺地域を領知したとき、耳取大井氏が最初に構えた館。寛元年間(1243〜1245年)に築城された。戦国時代に耳取城へ移るまで利用された(『図解 山城探訪』より)。
御馬寄城〒384-2103 長野県佐久市御馬寄御馬寄古城ともいう。
森山城〒384-0085 長野県小諸市森山森山古城、森山故城ともいう。大井氏が築城。森山大井氏代代の居城。武田氏に屈しのちに徳川氏に属した。弘治元年(1555年)に廃城した。
平原城〒384-0092 長野県小諸市平原有利小屋城、平原宿城ともいう。依田氏一族平原景能が鎌倉時代のはじめに築城。戦国時代には依田全真村上義清とよしみを通じ居城としたともいわれる。依田全真の長男依田信盛は武田氏に従属。天文18年(1549年)9月4日に武田晴信が攻め放火(『高白斎記』より)。のちに徳川秀忠に仕えた。
柏木城〒384-0055 長野県小諸市柏木平原城の出城。柏木六郎の居城。柏木六郎は武田氏、徳川氏に降り、のちに殺されたという。
与良城〒384-0006 長野県小諸市与良町与良氏の居城。与良氏は武田晴信に降伏後に小山氏を称した。
小諸城〒384-0032 長野県小諸市古城酔月城、小室城、穴城ともいう。文明18年(1487年)に足利氏に属した大井光忠が鍋蓋城と乙女城を築いたことにはじまる。天文12年(1543年)に武田晴信は小諸を交通の要衝として、千曲川の絶壁を利用して築城したことで小諸城が誕生。鍋蓋城は小諸城の東北に位置し、乙女城は小諸城の二の丸となった。天文23年(1554年)に武田晴信は改修した。
鍋蓋城〒384-0032 長野県小諸市古城文明18年(1487年)に足利氏に属した大井光忠が築城。小諸城の東北に位置する。
乙女城〒384-0032 長野県小諸市古城乙女坂城、白鶴城ともいう。文明18年(1487年)に足利氏に属した大井光忠が築城。のちに武田晴信によって改修され、小諸城の二の丸となった。
手塚城〒384-0033 長野県小諸市市町注連掛城、注蓮掛城ともいう。長尾景祐が居城とした。長尾景祐は岩尾合戦で討死した。塚が残る。
大諸城〒384-0042 長野県小諸市菱平後平大室城、富士見城、飯綱山城ともいう。大諸氏(大室氏)の居城(『信州の城と古戦場』より)。鎌倉時代に大井光長が築城したともいう(『諸部落誌』より)。天正13年(1585年)の上田合戦では柴田康忠が陣城とした(『長野県町村誌』『信州の山城』より)。
菱形城〒384-0041 長野県小諸市菱平雪之助城、高津屋城、高津谷城ともいう。大諸氏(大室氏)の居城。大諸雲之助(大室雲之助)は大井氏によって滅ぼされた(『信州の城と古戦場』より)。
矢留城〒384-0041 長野県小諸市菱平矢留山城、雲之助城、雪之助城、稲室城、稲諸城ともいう。稲室氏(稲諸氏)の居城。稲室雲之助(稲諸雲之助)の居城。
芝生田城〒384-0046 長野県小諸市滋野甲芝生田柴生田城ともいう。芝生田石見守(芝生田岩見守)の居城。
楽巌寺城〒384-0071 長野県小諸市大久保楽岩寺城、布引城、楽厳寺城ともいう。楽巌寺雅方の居城。望月昌頼と友好関係を結び村上義清に与した。天文12年(1543年)には武田晴信に攻められた望月昌頼を匿ったという(『高白斎記』より)。天文17年(1548年)に武田晴信が攻略し改修再建した。千曲川の絶壁にのぞむ天険の城としてその後も何度も争奪がおこなわれた。天文18年(1549年)3月には望月源三郎が武田氏に降伏し、弟の望月新六郎も5月に降伏した(『高白斎記』より)が、楽巌寺氏は頑強に抵抗をつづけたが天文18年(1549年)8月5日に落城し楽巌寺氏は戸石城へ移り最後まで武田氏に屈しなかった(『甲陽軍艦』より)。
諏訪形城〒384-0082 長野県小諸市大久保諏訪山 
堀之内城〒389-0402 長野県東御市布下堀の内城ともいう。布下氏の居城。布下氏は布引の楽巌寺城に隣接し、楽巌寺氏とよしみを通じ村上氏に与した。
外山城〒389-0406 長野県東御市八重原武田氏が築城。芦田依田氏が支城とした。
下之城〒389-0405 長野県東御市下之城望月支城ともいう。
滋野城〒389-0513 長野県東御市滋野 
大石城〒389-0512 長野県東御市滋野大石大石氏の居城。大石太郎が居城とした。祢津氏に滅ぼされ武蔵国へ逃れたという。
別府城〒389-0512 長野県東御市滋野別府別府祢津氏の居城。祢津氏から分かれた別府氏。永亨年間(1429〜1440年)に小笠原氏に攻略されたこともある。
原口城〒389-0512 長野県東御市滋野原口禰津支城、祢津支城、根津支城、北ノ山城、北の山城、原口北山城、原口北城、原口山城ともいう。
祢津城〒389-0506 長野県東御市祢津禰津城、根津城ともいう。武田氏、真田氏、徳川氏に仕えた。
下ノ城〒389-0506 長野県東御市祢津 祢津下の城、西宮城、西宮山城、西山城ともいう。下ノ城と上ノ城をあわせて祢津城ともいう。
上ノ城〒389-0506 長野県東御市祢津 祢津上の城ともいう。
鷲尾城〒389-0501 長野県東御市新張奈良原 
矢立城〒389-0505 長野県東御市和 
常田城〒389-0515 長野県東御市常田 
海善寺城〒389-0504 長野県東御市海善寺 
大平寺城〒389-0518 長野県東御市本海野海野城ともいう。現在は白鳥台団地となっている。
海野城〒389-0518 長野県東御市本海野海野古城ともいう。海野氏の居城。建久2年(1192年)に海野幸氏が海野庄三分にあったこの居城(海野古城)を太平寺に移したという。海野氏は天文10年(1541年)5月25日に武田信虎村上義清諏訪頼重らに攻められ滅亡した(『神使御頭之日記』より)。
塩川城〒386-0401 長野県上田市塩川陣場城、陣場山城ともいう。塩川滋野氏の居城。神川合戦で徳川方が丸子城攻めで使用した陣跡。
市町城〒386-0401 長野県上田市塩川市の町砦、狐塚沢砦ともいう。真田昌幸が陣をおいた砦。
長瀬城〒386-0407 長野県上田市長瀬長瀬古城、古城館ともいう。鎌倉時代に長瀬義貞が居城とした。真田氏家臣春原氏の碑がある。
尾野山城〒386-0411 長野県上田市生田尾野山尾山城、尾ノ山城、尾之山城、尾根山城ともいう。尾野山氏が築城し居城とした。千曲川と依田川の合流点を見下ろす。天文10年(1541年)海野氏滅亡時に落城。村上氏が占有し、天文17年(1548年)の戸石崩れの際には村上氏に属していた小諸与良が布陣し拠点とした。
三日城〒386-0411 長野県上田市生田尾野山 
飯沼城〒386-0411 長野県上田市生田飯沼中城城、中城、中城館ともいう。木曽義仲(源義仲)に従った飯沼氏の城。
笹谷城〒386-0411 長野県上田市生田茂沢城、伊勢山城ともいう。尾野山城の支城。天文年間(1532〜1555年)に笹谷明賀が築城。
依田城〒386-0412 長野県上田市御嶽堂宗龍寺城、宗龍寺館、御岳堂城、御岳堂館、御嶽堂館ともいう。文明9年(1477年)に依田孝玄が継母に殺害されたという。 治承4年(1180年)12月24日、木曽谷で平家追討の旗揚げをした木曽義仲依田二郎は依田城に迎えて旅のねぎらいやら接待にごったがえしたという(『吾妻鏡』により)。依田氏は、東信濃を中心に信濃全土に栄えた滋野氏の一族と、伊那片切から小県へ移ったとされる源氏の一族の流れがある。木曽の中原兼遠の連絡を受けて依田城には樋口兼光今井兼平らに加え、四天王とうたわれた海野幸広根井行親らが軍勢をともない馳せ参じた。矢田義清も駆けつけたという。越後の城長茂が10000の軍勢で信濃へ進軍しているという報を受け、木曽義仲らは依田城を発進した。
箱山城〒386-0405 長野県上田市中丸子箱山国正(箱山判官)の城。
開戸城〒386-0405 長野県上田市中丸子義仲古城、依田城、中丸子城ともいう。
飯盛城〒386-0404 長野県上田市上丸子丸子城ともいう。丸子三右衛門(丸子三左衛門)の居城。のちに武田氏、真田氏に従った。
丸子城〒386-0403 長野県上田市腰越依田城、飯盛城ともいう。飯盛城と峰つづきに位置する。天正13年(1585年)、丸子平内が守る丸子城に徳川軍が攻め寄せた。徳川軍は上田城攻めに失敗しこのままでは何の面目があろうかと、せめて丸子城を落として土産にしようと考えてのことだった。上田城の勝報に気勢のあがる丸子城兵は善戦し徳川軍を容易には寄せつけない。尾野山城も攻撃されていたが真田昌幸が修理を加えて守兵を置いていたので何とかもち堪えた。徳川方の戦意喪失に助けられたというところだ。
鳥羽山城〒386-0403 長野県上田市腰越鳥羽城、鳥羽館、戸羽館ともいう。鳥羽氏の居城。天文年間(1532〜1555年)に福島肥後守が居城とした(『長野県町村誌』)。福島肥後守は天正11年(1583年)3月22日に岩尾合戦で討死(『信濃細石』『小県郡誌』)。
根羽城〒386-0403 長野県上田市腰越根羽山城、小屋城、高松城ともいう。内村城(鳥屋城)の支城。内村城(鳥屋城)から反対に位置する小屋坂トンネルの東尾根から500mほど進み、中央の高くなっている岩場が城址。浅い堀がいくつかみられる。本曲輪(東西40m-南北20mの長方形に近いかたち)の西側には城壁があり、西には内村城(鳥屋城)を見渡すことができる。
烏帽子城〒386-0413 長野県上田市東内東内城、高鳥屋城、高烏屋城、鳥帽子城、烏帽子形城、丸子城、武石城、依田城、首切城、鳥居城、鳥屋城、大年寺城ともいう。天文22年(1553年)に武田晴信が攻め落としたという。
水ノ手城〒386-0413 長野県上田市東内水手城、水の手城、栗山城ともいう。山を越えると東筑摩郡。
宮沢城〒386-0413 長野県上田市東内真田屋敷、御殿屋敷ともいう。独鈷山の直下に位置する。真田昌幸の三男真田昌親が松代に移る元和8年(1622年)まで居城としていた。
霊泉寺城〒386-0321 長野県上田市平井霊泉寺山城、霊泉寺山砦、古城ともいう。
内村城〒386-0501 長野県上田市武石鳥屋鳥屋城、鳥屋山城、鳥屋山砦、低鳥屋城、内村砦ともいう。高鳥屋城と内村城(低鳥屋城)をあわせて鳥屋城ともいう。鳥羽氏の居城。天文年間(1532〜1555年)には鳥屋甚八郎が居城とした。武石大井氏の城。天文12年(1543年)に武田晴信が攻略した。現在殿入という地に位置すると考えられ、「上城戸」「下城戸」などの地名が残る。
小山城〒386-0502 長野県上田市武石沖小諸与良氏の居城。天文年間(1532〜1555年)に小山筑後守(与良筑後守)が居城とした。天文12年(1543年)に武田晴信に降る。
武石城〒386-0503 長野県上田市下武石大和守屋敷、大井本城ともいう。武石大井氏の居城。永和元年(1375年)に大井長信が築城。南方に中山城、西方に堀之内城(堀の内館)を支城にもつ。大永年間(1521〜1527年)に大井光照の五男大井信広(武石信広)が入り改築。天文14年(1545年)に武田晴信が攻め落とした。のちに武田氏に降り属した芦田信蕃が居城としたともいう。
中山城〒386-0504 長野県上田市武石小沢根武石城の詰城。大井大和守の居城。
堀ノ内城〒386-0503 長野県上田市下武石 堀の内居館、堀の内館ともいう。大井氏の居城。
鬼ヶ城〒386-0507 長野県上田市武石上本入隠城、かくし城ともいう。武石城の支城。武石川の上流に位置する。
矢崎城〒386-0701 長野県小県郡長和町和田中組下和田城、矢ヶ崎城、矢ケ崎城ともいう。大井信定秦幸清らが討たれた城。
和田城〒386-0701 長野県小県郡長和町和田和田大井氏の居城。武石大井氏から分かれた分家。大井信定の居城。天文14年(1545年)に武田晴信に攻められ全軍討死した。和田城は大井五騎の一将と称された羽田氏(秦氏)が守った城ともされている。秦幸清(羽田治郎左衛門幸清)は和田城主の大井信隆(大井修理)の家老として仕えたが、天文23年(1554年)6月、武田晴信の信濃侵攻により討たれたという。 これ以降、秦氏は羽田氏を名のったとされている。秦幸清の長男として生まれた秦竹久(羽田筑後守竹久)武田晴信の信濃侵攻で降服し、従う。 武田氏滅亡後は武田遺臣として真田氏を頼った。真田軍功家伝記『真武内伝』によれば、真田家の重臣について、「羽田筑後は長野信濃守一家なり。甲州衆なるが甲州崩れのとき房州様へ従い数度覚えあり」とし、武田家滅亡のときに真田昌幸に仕え数度の戦功をあげた。 大阪の陣では、秦幸清の長男羽田竹久、次男羽田房幸、三男羽田幸正は真田方として参陣し、戦死か行方知れずとなる。 四男羽田信久、五男羽田吉久は徳川方へつき兄弟別れて戦った。現在残っている羽田氏は徳川方に与した羽田吉久の後裔にあたる。 真田信幸(真田信之)時代『寛文十年分限帳』に羽田六右衛門(300石)、真田幸専時代の『文政二年分限帳』に羽田忠左衛門羽田雄助の名がみれる。
長窪城〒386-0602 長野県小県郡長和町長久保長久保城、深山城、霞の尾城、霞尾城ともいう。天文12年(1543年)9月に武田晴信に攻められ落城した。
御岳山城〒386-0602 長野県小県郡長和町長久保御岳城、御嶽山城ともいう。養和元年(1181年)に依田為重が築城したという(『御岳社由緒書』により)。
中山城〒386-0602 長野県小県郡長和町長久保天文12年(1543年)に武田晴信に攻められ落城した。
塩田城〒386-1436 長野県上田市前山塩田北條氏三代(北條義政-北條国時-北條俊時)が居城とした。のちに村上氏が領有し、村上家臣福沢氏が居城とした。天文22年(1553年)に村上義清は塩田城で再起をはかろうとしたが果たせず、武田晴信が落とし、飫富虎昌が居城とした。
別所城〒386-1431 長野県上田市別所温泉 
女神山城〒386-1431 長野県上田市別所温泉別所城、別所山城、女神岳城ともいう。塩田城の支城。保福寺峠や三才山峠から塩田城を防衛する要衝。のちに真田氏によって使用された。
馬伏城〒386-1437 長野県上田市野倉野倉氏の居城。慶長5年(1600年)、真田氏に反した斎藤源左衛門らが居城とした。
吉沢城〒386-1213 長野県上田市古安曽吉澤城ともいう。北條氏に属した塩田氏一族吉沢民部の居城。戦国時代にも吉沢民部(吉澤民部)が居城としたともいう。塩田城の東側を防御する山城。
海部野城〒386-1212 長野県上田市富士山奈良尾五加山城ともいう。塩田氏一族宮沢時胤の居城。
五加城〒386-1324 長野県上田市五加城村城、中屋敷ともいう。
手塚城〒386-1433 長野県上田市手塚手塚氏の居城。
竹ノ内城〒386-1436 長野県上田市前山東前山東前山城、前山城、館ノ内城ともいう。北條義政の居城。隠居所に用いた。
小泉城〒386-1106 長野県上田市小泉籏鉾館、籏鉾城ともいう。小泉氏は泉親衡(泉小次郎)を祖とする。天文17年(1548年)に小泉重成(小泉喜見斎)は長男小泉宗昌(小泉昌宗)とともに村上義清に従い上田原合戦で武田晴信と戦っている。天文22年(1553年)には武田晴信に降伏。天正7年(1579年)には小泉宗昌の長男小泉昌家が居城とした。
小泉上ノ城〒386-1106 長野県上田市小泉日向城、小泉上の城、上の城ともいう。小泉重成の長男小泉宗昌村上義清に属し天正22年(1553年)村上氏没落後は武田晴信に降った。天正7年(1579年)に小泉宗昌の子小泉昌家が居城とした(『小県郡史』)。
小泉下ノ城〒386-1106 長野県上田市小泉日向山城、朝日山城、小泉下の城、下の城、雷城、高仙寺城、高仙寺大日堂館ともいう。
須々貴城〒386-1106 長野県上田市小泉薄城、芒城、須々貴城、須々木城、須々貴山城、天白城、須々貴上の城、須々貴下の城ともいう。須々貴上の城と須々貴下の城をあわせて須々貴城ともいう。小泉氏が築城。。
岡村城〒386-1543 長野県上田市岡岡城、岡古城ともいう。岡城と岡古城をあわせて岡村城ともいう。岡村氏が築城。浦野氏が居城としたともいう。
浦野城〒386-1546 長野県上田市浦野浦野館、浦野古城、物見松城、物見松砦ともいう。浦野氏は村上氏、武田氏、徳川氏、真田氏に従った。浦野源之丞武田晴信の割ヶ岳城攻めには先陣をつとめた。武田氏滅亡後は織田信長家臣の滝川一益に属した。のちに徳川家康に仕えた。
室賀城〒386-1541 長野県上田市上室賀原畑城ともいう。村上氏に属していたが武田氏に降った。室賀信俊(室賀山城守)ははじめ室賀経俊と称していたが武田晴信から信の字を賜り室賀信俊と改称したともいう。天正12年(1584年)に真田昌幸の謀略により殺害された。
笹洞城〒386-1541 長野県上田市上室賀下洞山城、室賀城ともいう。室賀信俊の城。武田氏に降り、後に徳川氏に仕え旗本となる。
三頭山城〒386-1541 長野県上田市上室賀三ツ頭山城、跡部城、御屋敷城ともいう。室賀城の出城。
竹把城〒386-1541 長野県上田市上室賀伊勢崎城、摺鉢山城、三頭城ともいう。
殿城山城〒386-0004 長野県上田市殿城殿城城ともいう。矢沢氏の城。戸石城攻めに武田軍が部隊をおいたという。
矢沢城〒386-0004 長野県上田市殿城矢沢矢沢本城と矢沢支城からなる。諏訪神氏一族の矢沢氏の居城。真田頼昌の三男真田頼綱(矢沢頼綱)が矢沢氏を継承。
天白山城〒386-2202 長野県上田市真田町本原赤井天白城ともいう。
真田城〒386-2202 長野県上田市真田町本原真田館、真田氏館、真田屋敷、御屋敷ともいう。真田幸隆の居城。真田氏は打越城(内小屋城)もしくは山家館(長野県上田市真田町長)から移ったとされる。真田氏歴史館、御屋敷公園がある。
真田山城〒386-2201 長野県上田市真田町長真田真田城、松尾城、住蓮寺城、住連寺城、見返城、真田氏本城、真田本城ともいう。真田幸隆の詰城。真田幸隆夫妻の墓(長谷寺)が近くにある。
松尾城〒386-2201 長野県上田市真田町長横沢松尾古城ともいう。
城ヶ平城〒386-2201 長野県上田市真田町長大日向 
鬼ヶ城〒386-2201 長野県上田市真田町長角間 
横尾城〒386-2201 長野県上田市真田町長横尾尾引城、三日城ともいう。天文年間に横尾采女正が築城。横尾采女正村上義清に従い武田氏と戦うが、上田原合戦で討死した。打越城、真田信綱の墓(信綱寺)が近くにある。
打越城〒386-2201 長野県上田市真田町長横尾内小屋城、内小屋古城、古城、信綱寺城ともいう。古城緑地広場となっている。信綱寺がある。
洗馬城〒386-2203 長野県上田市真田町傍陽千葉城ともいう。曲尾氏の居城。
曲尾城〒386-2203 長野県上田市真田町傍陽曲尾根古屋城、根小屋城、根子屋城、曲尾若宮城、千古屋城ともいう。根子屋城と千古屋城をあわせて曲尾城ともいう。曲尾氏の居城。応仁元年(1467年)に村上氏が海野氏を攻めている(『御符札之古書』『真田町誌歴史編上』により)。このときに攻められたのが洗馬城(千葉城)であり、曲尾氏、洗馬の堀内氏、半田氏らは村上氏に降った。のちに横尾氏も降ることになる。 海野氏の方は岩下満幸(海野満幸)が戦死している。 曲尾常光(曲尾刑部亮)は永正3年(1506年)3月18日に死去している。法名を常光寺殿とある。小笠原氏の一族といういわれもあるが、滋野氏か大伴氏の一族ではないかとされる。 天文4年(1535年)1月27日には曲尾政常(曲尾左衛門)が亡くなっている(法名は弘誉宗源居士)。 永禄9年(1566年)10月5日に曲尾常光(曲尾源右衛門)が亡くなっている(法名は英誉久清居士)。 曲尾常光曲尾越前守ともいわれ、天文22年(1553年)9月8日に武田晴信から松本郷200貫を賜り配下の水出治郎右衛門ほか3名を引き連れて移ったという。 曲尾重光(曲尾源右衛門)は文禄元年(1592年)2月2日に死去。法名を到誉源西居士といい、上田市手塚無量寺に墓がある。 曲尾昌光(曲尾平助)は寛永3年(1626年)10月9日に亡くなっている。法名は到岸院西誉浄源居士。 武田氏の城となってからは大熊朝秀が城代をつとめた。大熊朝秀は長尾氏の家臣であったが海津城へ出仕し、武田氏の戸石城攻撃では脇備えを務めた。
三日城〒386-2204 長野県上田市菅平高原漣城ともいう。
猿ヶ城〒386-2203 長野県上田市真田町傍陽入軽井沢 
戸石城〒386-0003 長野県上田市上野神科砥石城、二十騎砦ともいう。米山城、戸石城、本城、桝形城、飯縄城を総称して戸石城ともいう。天文のはじめ(1532年)、村上義清の家臣楽巌寺雅方布下仁兵衛らが築城。
米山城〒386-0003 長野県上田市上野神科小宮山城ともいう。戸石城の出城。
本城〒386-0003 長野県上田市上野神科戸石本城ともいう。
桝形城〒386-0003 長野県上田市上野神科枡形城ともいう。戸石城の出城。
飯縄城〒386-0003 長野県上田市上野神科飯綱城ともいう。戸石城の出城。
伊勢崎城〒386-0003 長野県上田市上野神科伊勢山城、伊勢崎砦、虚空蔵山城、虚空蔵城ともいう。
岩門城〒386-0005 長野県上田市古里岩門 
染谷城〒386-0012 長野県上田市中央染屋城、大熊屋敷ともいう。上杉重臣であった大熊氏が武田氏に降り居城とした。
柏山城〒386-0002 長野県上田市住吉 
須ヶ貴城〒386-0001 長野県上田市上田山口薄城、芒城、須々貴城、須々木城、須々貴山城、天白城、須々貴上の城、須々貴下の城ともいう。村上氏が出城とした。上田原を見下ろす。
花小屋城〒386-0001 長野県上田市上田山口村上氏の城。太郎山の尾根つづきに位置する。
小牧城〒386-0031 長野県上田市小牧小牧山城、小牧上の城、小牧下の城ともいう。小牧下の城と小牧上の城をあわせて小牧城ともいう。木曽義仲(源義仲)の要害。のちに村上氏が出城とした。
尼ヶ淵城〒386-0026 長野県上田市二の丸尼ガ淵城、伊勢崎城、松尾城、真田城、上田城ともいう。小泉城の出城。小泉氏の城。天正11年(1583年)に真田昌幸が改築し上田城と改名した。
北林城〒386-0027 長野県上田市常磐城上平矢島城、矢島城、矢嶋城、北林矢島城ともいう。矢島氏の居城。
荒城〒386-0027 長野県上田市常磐城太郎山城ともいう。
牛伏城〒386-0027 長野県上田市常磐城牛頸城ともいう。村上城の支城。白蛇神社の上に位置する。北林氏の居城。
虚空蔵山城〒386-0043 長野県上田市下塩尻御殿城ともいう。天文11年(1542年)に村上義清が築城。虚空蔵山城は鳥小屋城、高津屋城、持越城、燕城、物見城などからなる。
鳥小屋城〒386-0043 長野県上田市下塩尻 
高津屋城〒386-0043 長野県上田市下塩尻高ツヤ城、高艶城ともいう。
持越城〒386-0043 長野県上田市下塩尻 
燕城〒386-0043 長野県上田市下塩尻塩尻氏の居城。
煙城〒386-0043 長野県上田市下塩尻煙山城、けむりの城、ケムリの城、煙の城、狼煙台城ともいう。
物見城〒386-0043 長野県上田市下塩尻 
和合城〒386-0043 長野県上田市下塩尻塩尻城、虚空蔵山城ともいう。村上家臣林能登守の居城。武田氏が攻略すると小泉五郎左衛門が守備した。
飯綱城〒386-0041 長野県上田市秋和飯綱山城、飯縄城、飯縄山城、甲城、甲山城、赤羽城、赤羽根城、赤羽兵部城ともいう。赤羽兵部の居城。
黒丸城〒386-1603 長野県小県郡青木村当郷朝倉氏の居城。
飯縄山城〒386-1603 長野県小県郡青木村当郷 
二場城〒386-1603 長野県小県郡青木村当郷朝倉氏の居城。
村松東城〒386-1602 長野県小県郡青木村村松 
村松西城〒386-1602 長野県小県郡青木村村松 
乗城〒386-1601 長野県小県郡青木村田沢入田沢 
冠者岳城〒386-1601 長野県小県郡青木村田沢入田沢子檀嶺城、子檀嶺岳城、火車ヶ岳城、烏帽子形城ともいう。真田氏に属した池田出雲守が在城した。真田家臣水出大蔵が守ったともされる。
待小屋城〒386-1601 長野県小県郡青木村田沢まちごや城、十観山城ともいう。
滝仙寺城〒386-1607 長野県小県郡青木村奈良本下奈良本池田城、滝仙寺上山城ともいう。
平城〒386-1606 長野県小県郡青木村沓掛 
荒屋城〒386-1606 長野県小県郡青木村沓掛大明神岳城ともいう。
南條城〒389-0603 長野県埴科郡坂城町南条町横尾南条城、横尾城ともいう。
狐落城〒389-0604 長野県埴科郡坂城町網掛狐落山城、狐楽城、孤落城、福沢城、三水城、狐落しの城、狐ですら落ちる山城ともいう。村上城の詰城。小島兵庫助が城代をつとめた。天文22年(1553年)、真田幸隆の調略によって大須賀久兵衛(大須賀九兵衛)が武田氏に降り、小島兵庫助を討ちとった。
三水城〒389-0604 長野県埴科郡坂城町網掛狐落城から東に尾根伝いに位置する。
村上城〒389-0605 長野県埴科郡坂城町上平村上古城、満泉寺城ともいう。村上氏が葛尾城へ移る前に代代居城としていた。天中年間に村上満清が築城した(元中元年(1384年)に村上義国が築城したとも)いう。海野一族に隣り合わせていた村上氏は、いかにも勢力的かつ野性的な活動をつづけぐんぐん勢力範囲をひろげ、いつしか押しも押されぬ立場になりあがっていた。当然それを快く思っていなかった海野氏と衝突を起こし、応仁元年(1467年)に両者は激しい戦いを交えたあげく、海野氏は惨敗。逆に上田の南西、川西地区を村上氏にもぎとられてしまった。村上氏は佐久地方へも進軍していくことになった。
出浦城〒389-0605 長野県埴科郡坂城町上平自在山城、自在山烽火台ともいう。村上氏に属した出浦氏の城。のちに真田昌幸に従ったという。
葛尾城〒389-0601 長野県埴科郡坂城町坂城苅屋原葛尾山城ともいう。
入山城〒389-0822 長野県千曲市上山田新山城ともいう。入山太郎の居城。
荒砥城〒389-0822 長野県千曲市上山田城腰山田城、砥沢城ともいう。
屋代城〒387-0007 長野県千曲市屋代一重山城ともいう。永正年間(1504〜1520年)に村上氏の一族屋代信光が築城。大塔合戦に出陣した屋代氏代代の城。村上氏、武田氏、徳川氏に従い、後に甲州へ転封され廃城となった。天文22年(1553年)に屋代政国屋代秀正は塩崎氏とともに武田氏の軍門に降った。
倉科城〒387-0004 長野県千曲市倉科鷲尾城、石抗山城ともいう。倉科源三郎の居城。西に支城として出城がある。
鷲尾城〒387-0004 長野県千曲市倉科倉科城の支城。
唐崎山城〒387-0001 長野県千曲市雨宮生仁館、生仁城、朝日城、藤崎城、雨宮城、唐崎城ともいう。唐崎山城と生仁館をあわせて雨宮城ともいう。雨宮摂津守の城。雨宮生仁氏は至徳4年(1387年)に村上氏や小笠原氏、高梨氏と戦いを繰り広げたと史料に残っており、応永7年(1400年)の大塔合戦にも雨宮生仁氏の名は残っている。永享12年(1440年)を最後に名が史料に見えなくなり、清野氏に滅ぼされたという。
土口城〒387-0002 長野県千曲市土口天城城、天城山城、大仏城ともいう。鞍骨城の支城。大仏貞直の城。南に出城がある。
西條城〒387-0002 長野県千曲市土口西条城、西条山城、西條山城、天城支城、天城城、妻女山城、陣場平城、陣場山城、象山城、竹山城ともいう。土口城の支城。永禄4年(1561年)の川中島合戦の舞台として語り継がれる重要な地。
小枝城〒387-0002 長野県千曲市土口鞍骨城の支城。鞍骨城の西方に位置する。
鞍骨城〒387-0002 長野県千曲市土口永正年間(1504〜1521年)に清野勝照(清野山城守)が築城。清野氏の本拠。西條(妻女)山の南に位置する城。西條城も近くにある。竹山城、雨宮城(唐崎山城)、倉科城(鷲尾城)、土口城(天城山城)などを属城にもつ。
稲荷山城〒387-0021 長野県千曲市稲荷山上杉景勝が築城。
小坂城〒387-0024 長野県千曲市桑原小坂小坂山城ともいう。建武2年(1335年)に小笠原貞宗が領す。小笠原家臣の赤沢氏と桑原氏は村上氏に対抗するために小坂山に築城。天文22年(1553年)には武田氏の領土となり、小笠原氏に備えて保科義昌(保科弾正)が在城した。
佐野城〒387-0024 長野県千曲市桑原佐野竜王城ともいう。
砦山城〒381-2703 長野県長野市大岡乙大岡山城、大岡砦、大岡城ともいう。永禄元年(1558年)に武田晴信長尾景虎の進攻に備え城将を配置した際、大岡城籠城衆として市川梅隠斎青柳清長(青柳近江守)の名がある(『歴代古案』により)。
小松尾城〒381-2704 長野県長野市大岡甲 
白助城〒388-8014 長野県長野市篠ノ井塩崎塩崎城、五万長者城ともいう。
赤沢城〒388-8014 長野県長野市篠ノ井塩崎越塩崎城、塩崎新城ともいう。
横田城〒388-8005 長野県長野市篠ノ井横田会の館、会館、会城ともいう。川中島合戦では武田家臣原大隅守が居城としたという。
二柳城〒388-8012 長野県長野市篠ノ井二ツ柳二つ柳城、二ツ柳城ともいう。二柳氏の居城。応永7年(1400年)の大塔合戦で小笠原軍に属した市河頼重(市河六郎)が二柳城で戦功をつくしたと『市河文書』に残る。
夏目城〒388-8015 長野県長野市篠ノ井石川下石川二柳氏の一族夏目氏の居城。
杵淵城〒388-8019 長野県長野市篠ノ井杵淵 
小松原城〒381-2235 長野県長野市篠ノ井小松原 
小森城〒388-8003 長野県長野市篠ノ井小森小森館ともいう。諏訪一族小森遠江守が居城とした。
上尾城〒381-2344 長野県長野市信更町上尾平林氏の城。平林正直が居城とした。東信濃で栄えた望月滋野氏の分かれ布施氏が応仁年間(1467〜1469年)に更級郡西山地方に勢力を伸ばし、平林の上尾山に居住し平林姓を称したのがはじまりという。その後、平林氏は村上氏や武田氏に属した。
赤田西ノ城〒381-2352 長野県長野市信更町赤田西の城、西山田城ともいう。
赤田東ノ城〒381-2352 長野県長野市信更町赤田東の城、東山田城ともいう。
楯ノ城〒381-2359 長野県長野市信更町三水武田氏が攻略後に金丸氏が居城とした。上杉景勝に属し会津に移った。
田野口城〒381-2353 長野県長野市信更町田野口和田城、田口城、田ノ口城、田之口城ともいう。牧之島城の属城。田野口(田口)氏が築城。
竹山城〒381-1232 長野県長野市松代町西条西條城、象山城ともいう。鞍骨城の属城。西條氏が築城。天文年間(1532〜1555年)には村上氏に属した西條時成(西條美作守)が居城とした。
海津城〒381-1231 長野県長野市松代町松代松城、待城、松代城ともいう。天文22年(1553年)に武田晴信が築城。
関屋城〒381-1222 長野県長野市松代町豊栄 
戸山城〒381-1222 長野県長野市松代町豊栄津羽氏の城。天文6年(1537年)に村上義正(村上義政)に攻められ主従38人は山奥で自決したという。
平林城〒381-1222 長野県長野市松代町豊栄平林氏の居城。
清滝城〒381-1221 長野県長野市松代町東条英多城ともいう。雨飾城の支城。南北朝時代で合戦上になったという。
東條城〒381-1221 長野県長野市松代町東条東条城ともいう。
雨飾城〒381-1221 長野県長野市松代町東条雨飾山城、尼飾城、尼飾山城、尼巌城、尼巌山城、尼厳城、搦手砦、東條城、奇妙山城ともいう。東條信広(東条信広)の居城。天文年間(1532〜1555年)に真田幸隆が攻撃を繰り返してようやく落した。弘治2年(1556年)に武田晴信長尾景虎との川中島合戦に備え、川中島に至る長尾景虎側の軍事拠点である雨飾城を真田幸隆に攻めさせ、援軍として春日正忠を送り陥落させている。
寺尾城〒381-1225 長野県長野市松代町東寺尾車城、赤塚山城ともいう。村上氏に属した寺尾氏の居城。真田幸隆の調略によって天文19年(1550年)武田氏に内通した寺尾重頼を村上勢が攻撃し、真田幸隆が救援に出陣した。
金井山城〒381-1225 長野県長野市松代町東寺尾寺尾城の属城。
霞城〒381-1211 長野県長野市松代町大室大室城、大諸城ともいう。大諸大井氏の居城。天文年間(1532〜1555年)に村上氏に降り佐久郡大諸から移った。のちに武田氏に従い、さらに織田氏、上杉氏に降った。
川田城〒381-0103 長野県長野市若穂川田川田古城ともいう。川田氏の城。村上氏に属し、のちに武田氏に降る。
保科城〒381-0102 長野県長野市若穂保科霜台城、霜ノ台城、霜之台城、広徳寺城ともいう。保科正利(保科正俊)が築城。村上氏に敗戦し伊那へ逃れた。
春山城〒381-0101 長野県長野市若穂綿内城峰城、城峯城、城ノ峰城、城の峰城、城之峰城、綿内城、綿内要害、車坂城、前山城、十三道城ともいう。春山大城(城ノ峰城)、春山小城からなる。綿内井上氏(小柳井上氏、万年井上氏)の居城。天文年間(1532〜1555年)には富永氏が居城とした。村上義清に従い川中島合戦でも武田氏と戦っていた井上左衛門尉は弘治2年(1556年)6月に武田晴信に降り綿内氏を称した。井上左衛門尉(綿内左衛門尉)、そして長男井上新左衛門尉(綿内新左衛門尉)は綿内の地に350貫、その他にも285貫を与えられた。武田氏滅亡後は上杉景勝に仕えた。
大塚城〒381-2205 長野県長野市青木島町大塚大堀城、大堀山城、大堀館ともいう。春日虎綱家臣の町田氏が居城とした。
栗田城〒380-0921 長野県長野市栗田堀之内城ともいう。水内総社日吉大神社(栗田神社)本殿が建っている。
横山城〒380-0801 長野県長野市長野箱清水 
大峰山城〒380-0882 長野県長野市富田大峰城、大嶺城ともいう。
旭山城〒380-0941 長野県長野市安茂里旭要害、旭城、朝日城、朝日山城ともいう。村上家臣朝日右近が在城。
葛山城〒380-0874 長野県長野市茂菅 
小柴見城〒380-0942 長野県長野市小柴見室町時代には小田切清遠が領した。
若槻城〒381-0051 長野県長野市若槻若槻山城、若槻里城ともいう。
髻山城〒381-0089 長野県長野市若槻西条もとどり山城ともいう。長尾景虎が善光寺へ出陣のときに物見に築いた。
内後城〒381-2234 長野県長野市川中島町今里内御城、御殿、内後館、上今里城ともいう。佐久郡臼田の雁峰城主小田切氏が移り居城とした。小田切氏は滋野一族。
小田切城〒381-2226 長野県長野市川中島町今井小田切氏の居城。弘治3年(1557年)に小田切幸長(小田切駿河守)は、落合氏とともに葛山城に籠城するが武田軍の攻撃で落城して討死。室賀兵部の家臣山岸清兵衛が討ちとったという。内後館跡の円光寺に墓がある。小田切幸長の長男小田切民部少輔は上杉氏に従い文禄元年(1592年)に豊臣秀吉の朝鮮出兵で村上国清の家臣として渡鮮し戦死した。
於下城〒381-2226 長野県長野市川中島町今井御下屋敷、御下城ともいう。
小市城  
広田城〒381-2214 長野県長野市稲里町田牧広田砦ともいう。昌龍寺から東昌寺までを範囲とする。広田村上氏(芋川氏)の居城。水内郡の芋川氏と姻戚関係にあった広田氏は断絶状態となっていたため芋川に移住し芋川を継承した。
吉窪山城〒380-0877 長野県長野市塩生甲吉窪城ともいう。小田切幸長(小田切駿河守)が居城とした。小田切幸長は落合氏とともに武田軍と戦うが討死してしまった。
北郷城〒381-0075 長野県長野市北郷飯綱山麓に位置する。
駒沢城〒381-0082 長野県長野市上駒沢駒沢氏の居城。天文3年(1534年)に駒沢刑部村上義国に討たれた。
長沼城〒381-0002 長野県長野市津野関郭城ともいう。島津淡路守忠直(島津月下斎)は天文22年(1553年)に越後に逃れた。
石村城〒389-1106 長野県長野市豊野町石北石城ともいう。大倉城の出城。天文年間(1532〜1555年)に下村靭負が居城とした。
三日城〒389-1106 長野県長野市豊野町石長尾景虎が川中島への前衛拠点のために髻山城を築城したとき、完成するまでの間に甘粕数直(甘粕近江守)に命じてわずか3日で築かせた。
大倉城〒389-1102 長野県長野市豊野町大倉大倉古城ともいう。小笠原長清の九男小笠原長澄が在城し大倉氏を称した。大倉長隆(大倉与一)の居城。長沼島津氏が居城とした。
手子塚城〒389-1103 長野県長野市豊野町蟹沢島津氏の城。
福平城〒381-4104 長野県長野市戸隠栃原大昌寺城ともいう。永正年間(1504〜1520年)に溝口伯耆守が移って居城とした。
井上城〒382-0045 長野県須坂市井上井上大城、井上小城、井上氏館、井上館ともいう。井上小城と井上大城あわせて井上城ともいう。清和源氏の源頼信の三男源頼季の子源満実が信濃高井郡に移ったことにはじまる。信濃に入った最古の源氏とされるため井上氏が信濃源氏の祖とされる。後に保科氏、米持氏、村上氏、高梨氏、須田氏が井上氏から分出されている。
竹ノ城〒382-0043 長野県須坂市八町下八町 
須田城〒382-0028 長野県須坂市臥竜須田氏館、蓮生寺城ともいう。永禄2年(1559年)に須田満親は上杉氏を頼り越後へ逃れるが弟須田左衛門は須田の地に残り武田晴信の軍門に降った。
大岩城〒382-0011 長野県須坂市日滝本郷町建久4年(1193年)に須田氏が築城。須田氏の本拠とされる。村上氏に属したが、武田氏が攻略。須田満親は上杉氏に従い会津に移った。
瀬脇城〒382-0000 長野県須坂市仁礼瀬ノ脇城、瀬之脇城、瀬脇山城ともいう。大峡氏の居城。大峡氏は仁礼地籍の字大峡を発祥の地とする。大峡広綱(大峡但馬守)は川中島合戦にも出陣している。大峡織部ともいわれ、上杉景勝の分限帳である文禄3年定納員数目録に「大峡織部組」として記載されている。
仙仁城〒386-2211 長野県須坂市仁礼仙仁山村上家臣小出大隅守の居城。武田氏に降り、東寺尾に移った。
宇坪城〒382-0000 長野県須坂市米子坂田信濃守の城。越後へ逃走する。
米子城〒382-0023 長野県須坂市米子米子町 
福島城〒382-0056 長野県須坂市福島福島町 
雨引城〒382-0837 長野県上高井郡高山村高井堀之内雨引山城ともいう。
福井城〒382-0822 長野県上高井郡高山村牧福井原牧伊賀守の居城。
山田城〒382-0801 長野県上高井郡高山村中山駒場滝ノ入城、駒場城、枡形城ともいう。山田高梨氏の居城。高梨忠直が居城とした。中野高梨氏の高梨政盛に攻められ攻略された。
桝形城〒382-0803 長野県上高井郡高山村中山桝形枡形城ともいう。高梨国政(山田国政)の居城。
雁田山城〒381-0211 長野県上高井郡小布施町雁田二十端城ともいう。荻野常倫(荻野備後守)が翠山の二十端城から移って居城とした。
雁田城〒381-0211 長野県上高井郡小布施町雁田雁田山城、刈田城、苅田城、狩田城、雁田大城ともいう。東條庄狩田郷の領守職苅田繁雅(苅田式部太夫)が元暦元年(1184年)に居城とした。貞治6年(1367年)に荻野常倫が居城とした。雁田大城と雁田小城とをあわせて雁田城という。二十端城の詰城。
郷原城〒381-0207 長野県上高井郡小布施町押羽延元年間から元中年間(1336〜1392年)頃に、郷原直衡が居城とした。
二十端城〒383-0044 長野県中野市桜沢翠山城ともいう。荻野常倫が居城とした。武田軍が攻略。荻野常倫は雁田山へ移った。
小曽涯城〒383-0034 長野県中野市新野南屏風山城ともいう。和銅年間(708〜714年)に築城されたという。高梨氏の城。武田軍が攻略した。
間山城〒383-0033 長野県中野市間山真山城、南雲井岳城ともいう。高梨盛光が居城とした。永禄3年(1560年)に武田軍が攻略した。
高梨城〒383-0023 長野県中野市小舘中野小館、中野小舘、高梨氏館、中野御館、日野城ともいう。
鴨ヶ嶽城〒383-0024 長野県中野市東山東山城、鴨ヶ丘城、鴨ガ丘城、鴨ヶ岳城ともいう。
鎌ヶ岳城〒383-0032 長野県中野市更科鎌ガ岳城ともいう。天文22年(1553年)に武田軍が攻略。浦野氏が居城とした。
草間城〒383-0053 長野県中野市草間茶臼峰城、茶臼峰砦ともいう。高梨氏に属した草間信良の居城。武田軍と戦い落城した。
小内城〒383-0052 長野県中野市安源寺安源寺城ともいう。高梨房光の居城。永禄2年(1559年)に武田軍が攻略した。
牛出城〒383-0055 長野県中野市牛出天文年間(1532〜1555年)、須田親満が居城とした。武田軍が攻略した。
壁田城〒383-0061 長野県中野市壁田火置田城、壁田山城ともいう。高梨豊前守(山田豊前守)が築城。武田軍に降った。
岩井城〒383-0001 長野県中野市岩井 
替佐城〒389-2101 長野県中野市豊津替佐対面城ともいう。永禄7年(1564年)に武田晴信が上杉氏への抑えとして築城。
笠倉城〒389-2101 長野県中野市豊津笠倉高梨政頼の出城。
今井城〒389-2102 長野県中野市上今井内堀城、内堀館ともいう。替佐城の出城。
永井城〒389-2104 長野県中野市永江永江城、南永江城ともいう。北永江城と南永江城をあわせて永井城という。天正8年(1580年)に上杉家臣吉江民部少輔が居城とした。
横倉城〒381-0405 長野県下高井郡山ノ内町夜間瀬夜間瀬氏の居城。高梨氏に属していた。
間崎城〒381-0403 長野県下高井郡山ノ内町寒沢高梨氏が築城。永禄年間(1558〜1569年)に高梨氏没落とともに落城した。
須毛城〒381-0403 長野県下高井郡山ノ内町寒沢小島氏の居城。
日向城〒389-2302 長野県下高井郡木島平村往郷計見城ともいう。市川氏代代の居城。長年武田氏に通じ長尾氏(上杉氏)に抵抗し高梨氏とも戦ってきたが、武田氏滅亡後は上杉氏に従い会津へ移った。真宗寺に遺品が残る。
大塚城〒389-2301 長野県下高井郡木島平村穂高 
牧之島城〒381-2412 長野県上水内郡信州新町牧野島琵琶城、牧城、牧野島城、牧島城、香坂氏牧館ともいう。
和田之城〒381-2416 長野県上水内郡信州新町弘崎和田城、弘崎山城、和田山城、のろし台、烽火台ともいう。香坂氏の居城。
松原城〒381-3203 長野県上水内郡中条村若神子城、中條城、中条城ともいう。永禄年間(1558〜1569年)に春日氏が築城。
柏鉢城〒381-3204 長野県上水内郡中条村御山里虫倉山城、柏丸城、天神城ともいう。下綱因幡守が築城。
真那板城〒381-3302 長野県上水内郡小川村高府小川古山城の支城。
小川古山城〒381-3303 長野県上水内郡小川村小根山小川城、古山城、小川布留山城、布留山城ともいう。小川氏代代の居城。香坂安房守に攻められ落城。のちに大日方長政が在城した。
椿峰城〒381-3304 長野県上水内郡小川村瀬戸川椿勝政の居城。小川貞綱の不意討で討たれた。
矢筒城〒389-1211 長野県上水内郡飯綱町牟礼黒川城、黒河城、牟礼城、矢筒山城、福王寺城、福王寺要害ともいう。永正年間(1504〜1520年)に島津氏が築城したとも福王寺氏が築城したともいわれる。島津権六郎が居城とした。
赤塩城〒389-1203 長野県上水内郡飯綱町赤塩黒田城ともいう。赤塩氏の居城。
鼻見城〒389-1201 長野県上水内郡飯綱町芋川鼻見山城、鼻見城山ともいう。若宮城の支城。鼻先で見張る城という意から鼻見という名がついたという。
芋川城〒389-1201 長野県上水内郡飯綱町芋川 
芋川若宮城〒389-1201 長野県上水内郡飯綱町芋川若宮城、下芋川要害ともいう。芋川氏の居城。村上氏に従い上田原に出陣。芋川氏は永禄年間(1558〜1569年)には武田晴信に従っている。芋川右衛門尉に宛てた武田晴信の永禄12年(1569年)の書状(「雪消えなば、越府に至り行に及ぶべく候。なおその堺無事に候や承はりたく候。」)が残る。芋川守親はのちに武田勝頼に属し長篠合戦で討死した。
柏原東裏城〒389-1305 長野県上水内郡信濃町柏原黒姫 
割ヶ岳城〒389-1312 長野県上水内郡信濃町富濃柴津東割ヶ嶽城、柴津山城、柴津城山ともいう。柴津為信の居城。永禄4年(1561年)5月に武田軍が攻略した。大森掃部助が功績により武田晴信より所領を安堵された。
戸草城〒389-1312 長野県上水内郡信濃町富濃戸草 
野尻城〒389-1303 長野県上水内郡信濃町野尻野尻新城ともいう。
琵琶島城〒389-1303 長野県上水内郡信濃町野尻 
古海城〒389-1302 長野県上水内郡信濃町古海木曽義仲(源義仲)を攻めた城長茂が築城。
蓮城〒389-2256 長野県飯山市蓮 
北畑城〒389-2255 長野県飯山市静間松尾城ともいう。
静間城〒389-2255 長野県飯山市静間 
田草城〒389-2255 長野県飯山市静間 
犬飼城〒389-2322 長野県飯山市瑞穂泉氏の居城。泉氏家臣宮森信親が在城したが武田軍が攻略後に越後へ逃れた。
飯山城〒389-2253 長野県飯山市飯山泉氏の居城。永禄年間(1558〜1569年)に長尾景虎が改築。
坪根城〒389-2253 長野県飯山市飯山  
山口城〒389-2251 長野県飯山市旭 
大川日蔭城〒389-2251 長野県飯山市旭多室氏の居城。
中條城〒389-2416 長野県飯山市緑泉氏一族今清水重継の居城。
累城〒389-2416 長野県飯山市緑 
中曽根城〒389-2417 長野県飯山市中曽根中曽根道秋の居城。
尾崎城〒389-2411 長野県飯山市豊田泉氏一族尾崎政重の居城。
黒岩城〒389-2411 長野県飯山市豊田黒岩山城ともいう。顔戸にいた勘解由重胤の城。
大倉崎城〒389-2414 長野県飯山市常盤上野城、大倉崎館、上野館、竹内館ともいう。竹内源内の居館ともいう。
今井城〒389-2412 長野県飯山市常郷永禄年間(1558〜1569年)に今井経永が築城。今井経永はのちに会津へ移った。
上境城〒389-2602 長野県飯山市一山 
大滝城〒389-2601 長野県飯山市照岡大滝重家の居城。上杉氏に属した。
西浦城〒389-2614 長野県下高井郡野沢温泉村平林 
仙当城〒389-2703 長野県下水内郡栄村堺 
城坂城〒389-2701 長野県下水内郡栄村豊栄平滝 
志久見城〒389-2702 長野県下水内郡栄村北信森 
内池城〒389-2702 長野県下水内郡栄村北信森内池館ともいう。
先達城〒399-0101 長野県諏訪郡富士見町境先達武田氏が築城。諏訪地方に対するために築城し、多田常昌が守将として在城した。常昌寺が残る。
粟沢城〒391-0011 長野県茅野市玉川粟沢天文年間(1532〜1555年)に諏訪頼豊が在城。武田氏に降伏。
塩沢城〒391-0216 長野県茅野市米沢塩沢朝倉城、朝倉山城ともいう。塩沢将監の居城。武田氏に属した。佐久郡、小県郡方面への関門。
湯川城〒391-0301 長野県茅野市北山湯川南北朝時代に宿場として使用され、武田晴信が足溜まり場として出陣の手配などをした城。大門峠へ通じる道がある。
樋沢城〒391-0013 長野県茅野市宮川文明15年間(1483年)に諏訪頼継は上原城主諏訪政満を神殿に招き床下の伏兵に殺させたため、樋沢城は攻められ諏訪頼継は高遠へ逃れたという。
千沢城〒391-0013 長野県茅野市宮川安国寺竜ヶ崎城、竜ガ崎城ともいう。
上原城〒391-0001 長野県茅野市ちの上原 
桑原城〒392-0012 長野県諏訪市四賀桑原高鳥屋城、水晶城、矢竹城ともいう。天文11年(1542年)7月4日に諏訪頼重は上原城を維持できず桑原城に籠った。諏訪頼重武田晴信に捕らえられ甲府で弟諏訪頼高とともに切腹した。
茶臼山城〒392-0003 長野県諏訪市上諏訪茶臼山 
金子城〒392-0015 長野県諏訪市中洲下金子諏訪大社上社の近く。諏訪頼忠が築城。戦国時代には茅野氏(千野氏)が居城とした。金子左衛門尉が在城した。
武居城〒392-0015 長野県諏訪市中洲神宮寺片山城、片山古城、守屋山城、守矢山城ともいう。鎌倉時代に諏訪時重(諏訪五郎)が築城。天文11年(1542年)に武田晴信が攻略した。
大熊城〒392-0131 長野県諏訪市湖南大熊武居城の支城。茅野氏の居城。天文11年(1542年)に武田晴信が攻略した。天文17年(1548年)頃に破却されている。
有賀城〒392-0016 長野県諏訪市豊田有賀天狗山城ともいう。有賀氏の居城。承久年間(1219〜1222年)に有賀次郎が築城。天文11年(1542年)に高遠頼継が挙兵したときには武田氏に味方したが、天文15年(1546年)に有賀泰時木曾義昌に通じて武田氏に滅ぼされ、原虎胤が城主となった。天文18年(1549年)には茅野靭負尉(千野靭負尉)が城主となった。慶長6年(1601年)に諏訪頼水が高島の領主となると、茅野房清(千野丹波守房清)が城主となった。
高島城〒392-0022 長野県諏訪市高島浮城、島崎城、諏訪浮城ともいう。文録元年(1592年)に日根野高吉が築城。慶長3年(1598年)に完成。
大和城〒392-0001 長野県諏訪市大和大輪城、尾和城ともいう。大輪越中守の居城。武田軍が攻略した。
桜ヶ城  
山吹城〒393-0005 長野県諏訪郡下諏訪町東町中 
上ノ城〒393-0093 長野県諏訪郡下諏訪町東山田 
下ノ城〒393-0093 長野県諏訪郡下諏訪町東山田 
小坂城〒394-0044 長野県岡谷市湊小坂神官の一族が小坂氏を称したという。小坂氏は樋沢城を攻めたという。
花岡城〒394-0044 長野県岡谷市湊花岡尾尻城、湖尻城、小尻城、池尻城ともいう。鎌倉時代に諏訪一族有賀四郎が居城とした。後に有賀氏一族の花岡氏が居城とした。戦国時代には武田晴信に攻略され、武田信繁板垣信方らが在城した。天文17年(1548年)に武田晴信が上田原合戦で大敗すると、7月に諏訪西方衆や矢島氏、花岡氏一族らが農民をたきつけて一揆を起こし武田軍と戦った。
高尾山城〒394-0000 長野県岡谷市川岸天文年間(1532〜1555年)に武田家臣三沢対馬守が在城した。
瀬場城〒399-6462 長野県塩尻市洗馬洗馬城ともいう。
西條城〒399-0724 長野県塩尻市上西条西条城、城ヶ岳城、城ヶ嶽城ともいう。
高山城〒399-0714 長野県塩尻市堀ノ内 
上野山城〒399-0726 長野県塩尻市下西条小笠原氏の居城。
妙義城〒399-6462 長野県塩尻市洗馬芦ノ田妙義山城ともいう。三村氏の居城。
熊井城〒399-0711 長野県塩尻市片丘北熊井北熊井城ともいう。北熊井城と南熊井城をあわせて熊井城ともいう。
井川城〒390-0831 長野県松本市井川城『小笠原系図』によれば小笠原貞宗の子小笠原政長が元応元年(1319年)に井川館に生まれたと記している。
深志城〒390-0873 長野県松本市丸の内松本城、鷲湖城、烏城、鳥城ともいう。小笠原氏の城。林城の支城。永正元年(1504年)に小笠原貞朝が家臣島立貞永(島立右近)に築かせた。武田晴信が攻め落とすと、駒井高白斎が鍬立てをした(『高白斎記』により)。つづいて馬場信房が城代として入る。長篠合戦で馬場信房が討死した後はその一門の馬場信春が入城している。
犬甘城〒390-0861 長野県松本市蟻ケ崎犬甘氏が築城。清和源氏の犬甘氏は平賀盛義の子平賀敦義からはじまる。『二木家記』には天文20年(1551年)に犬甘大炊助馬場信房が城外で出くわした話が残る。
福応寺城〒390-1243 長野県松本市神林 
村井城〒399-0031 長野県松本市芳川小屋小屋城、小屋館ともいう。犬甘氏一族(埴原氏一族とも)の村井氏が居城とした。天文17年(1548年)に武田晴信が攻め寄せると村井氏は塩尻峠合戦で敗れ没落した。
小池城〒399-0024 長野県松本市寿小赤小池小池砦ともいう。天文19年(1550年)に武田晴信が築城したという。
赤木山城〒399-0024 長野県松本市寿小赤赤木赤木北城と赤木南城をあわせて赤木山城ともいう。
八間城〒399-0023 長野県松本市内田八間長者城、八間欠城ともいう。
桐原城〒390-0222 長野県松本市入山辺西桐原桐原氏の居城。桐原氏五代が居城とした。武田侵攻時には小笠原長時がこの城へ逃れてきたことで知られ、最後まで小笠原氏に従い自落した。武田軍攻略後には遠山長左衛門(遠山和泉守)が入城した。
霜降城〒390-0222 長野県松本市入山辺西桐原桐原氏の居城。桐原城の支城。桐原城の東方に位置する。桐原真智の子桐原真隆が嘉吉3年(1443年)に築城。桐原真基のときに桐原城とともに落城。
中入城〒390-0222 長野県松本市入山辺山家城、徳運寺城ともいう。鎌倉時代に諏訪一族(諏訪為頼)が山家氏を称し築城。山家氏は文明12年(1481年)に小笠原氏に攻められ滅亡。小笠原一族の折野昌治(山家薩摩守昌治)が山家氏を称し居城とした。
水番城〒390-0222 長野県松本市入山辺小笠原清宗が寛正元年(1460年)に築城。天文年間(1532〜1555年)には小笠原長時家臣の山辺持統が居城とした。
清水城〒390-0805 長野県松本市清水延徳元年(1489年)に島立貞永が改修して居城とした。大永3年(1523年)に島立貞知が居城とした。ただしこれは荒井城のことかともいわれる。
荒井城〒390-0852 長野県松本市島立荒井清水ヶ城、清水城ともいう。清水城と同じ城ともいわれる。島立貞永(島立右近)が居城とした。
林城〒390-0221 長野県松本市里山辺林大城、金華山城、福山城ともいう。林大城と林小城をあわせて林城ともいう。
林小城〒390-0221 長野県松本市里山辺 
平瀬城〒390-0851 長野県松本市島内下平瀬小笠原氏に属した平瀬下野守が築城。天文20年(1551年)に武田晴信に攻められ204人が討死した。
伊深城〒390-0314 長野県松本市岡田伊深井深城ともいう。岡田親義が築城。岡田氏一族の赤井氏が小笠原氏に属し在城した。後に赤沢氏の城となった。天文19年(1550年)に武田氏の侵攻に降った。小宮山氏が城代としておかれた。
埴原城〒390-0823 長野県松本市中山埴原東小笠原氏の直轄城。埴原氏、村井氏、波多腰氏(波田腰氏)らが在城した。天文19年(1550年)7月15日に武田晴信は真っ先に埴原城を攻め落とし、小笠原氏攻略の足がかりとした。
鍬形城〒399-0011 長野県松本市寿北鍬形原烽火台ともいう。
稲倉城〒390-0301 長野県松本市稲倉小笠原家臣の赤沢氏の居城。
茶臼山城〒390-0303 長野県松本市浅間温泉横谷入城ともいう。稲倉城の支城。
洞山城〒390-0317 長野県松本市洞早落とし城、早落城、洞城ともいう。稲倉城の出城。武田軍侵攻に本城とともにあまりにも早く落ちてしまったことから早落とし城という汚名がきせられた。
三才山城〒390-0302 長野県松本市三才山稲倉城の出城。
苅屋原城〒399-7417 長野県松本市刈谷原町刈谷原城、刈屋原城ともいう。鎌倉時代に光滋野氏が築城。天文22年(1553年)3月に武田晴信が攻め落とし、小笠原家臣で城主太田資忠を捕らえた。武田家臣今福石見守が城主となった。
荒神屋城〒399-7416 長野県松本市七嵐七嵐城ともいう。太田資忠(太田弥助)の居城。天文22年(1553年)3月に武田晴信が攻略した。
見揚城〒399-7415 長野県松本市赤怒田 
保福寺城〒399-7412 長野県松本市保福寺町掻揚城、見当城、掛ヶ上城ともいう。文亀2年(1502年)に小笠原長棟が築城。
笹ヶ城〒399-7401 長野県松本市五常西宮 
雨戸屋城〒399-7401 長野県松本市五常中北山会田氏の城。児玉民部の居城。
岩淵城〒399-7411 長野県松本市中川藤池岩渕城ともいう。会田家臣岩淵丹後守の居城。天文22年(1553年)に武田軍が攻略。
履盆子城〒399-7411 長野県松本市中川召田覆盆子城、召田城、矢久城、一期城ともいう。会田家臣召田監物の居城。会田氏が最後まで籠って抵抗した城。降伏した最後の一城だったため一期の城と称された。
秋吉城〒399-7411 長野県松本市中川小岩井会田氏の居城。海野氏の一族。会田滋野氏の居城。天文22年(1553年)4月に武田軍に降伏。
中ノ陣城〒399-7411 長野県松本市中川小岩井会田氏の居城。
虚空蔵城〒399-7402 長野県松本市会田峯ノ城、虚空蔵山城ともいう。秋吉城と中ノ陣城、虚空蔵山城をあわせて会田城ともいう。会田小次郎の居城。天文22年(1553年)に会田幸継(会田小次郎)は武田軍に抵抗しきれず降伏した。
北條城〒390-1702 長野県松本市梓川梓南北条北条城、西牧城ともいう。西牧信道が中塔城攻防戦で防衛のために入城した。天文16年(1547年)に小笠原氏を離反し、仁科氏や山家氏らとともに武田晴信に出仕し塩尻峠合戦で旧主と戦った。
於田屋城〒390-1702 長野県松本市梓川梓南北条西牧氏の居城。
西林城〒390-1702 長野県松本市梓川梓南北条西林砦ともいう。於田屋城の支城。
伊藤坂上城〒390-1702 長野県松本市梓川梓南北条伊藤坂上の小砦、伊藤坂上小砦、坂上砦、坂上城ともいう。於田屋城の支城。伊藤三太夫の砦。
城ノ上城〒390-1702 長野県松本市梓川梓南北条城ノ上砦、城の上砦、於田屋城の上砦ともいう。於田屋城の支城。
亀山城〒390-1702 長野県松本市梓川梓南北条北條城の支城。
中村城〒390-1703 長野県松本市梓川上野田屋中村館ともいう。西牧氏の居城。西牧氏は中村から於田屋へ移った。
田屋城〒390-1703 長野県松本市梓川上野田屋於田館、上野城、上ノ城ともいう。北條城の支城。天文15年(1546年)に西牧貞兼(西牧讃岐守)が築城。
荒海渡城〒390-1703 長野県松本市梓川上野田屋田屋城の支城。
大妻城〒390-1701 長野県松本市梓川倭南大妻大妻氏の城。大妻兼澄(大妻太郎)は承久3年(1221年)に後鳥羽上皇朝廷側と鎌倉幕府との承久の乱の際、大妻の地を所有していた後鳥羽上皇について敗れ去った。
中塔城〒390-1702 長野県松本市梓川梓小室中洞山城、小室山城ともいう。尖砦という詰め砦があったともいう。西牧滋野氏の居城。二木寿斎が城主を務めた。武田晴信によって林城を追われた小笠原長時は、 野々宮合戦(天文19年(1550年))ののち、中塔城へ籠った。武田氏に降伏した小笠原氏の譜代である山家氏や洗馬氏らが先鋒となって武田勢は攻めた。しかし長尾景虎が信濃への出陣の動きに武田晴信は諏訪へ退きかえしたという。
旭城〒390-1104 長野県東筑摩郡朝日村古見朝日城ともいう。三村氏の居城。武田氏に降ってからは武田勝頼が改修し上條氏が居城とした。
武居城〒390-1101 長野県東筑摩郡朝日村西洗馬洗馬の三村氏の居城。
淡路城〒390-1401 長野県東筑摩郡波田町上波田慶長年間(1596〜1615年)に築城された。春日淡路守の居城。
波多山城〒390-1401 長野県東筑摩郡波田町上波田秋葉城、波田山城、畑城ともいう。治承年間(1177〜1180年)に築城された。佐々廉義波多六郎左衛門(畑六郎左衛門)らが在城した。天文21年(1552年)に武田家臣日向大和守によって破却された。
櫛起城〒390-1401 長野県東筑摩郡波田町上波田櫛木城、西光寺城ともいう。寛正3年(1462年)に小笠原氏一族の櫛木一俊が築城。櫛木政盛(櫛起紀伊守)の居城。梓川対岸に西牧氏と抵抗を繰り広げた。
乱橋城〒399-7504 長野県東筑摩郡筑北村乱橋 
安坂城〒399-7711 長野県東筑摩郡筑北村坂井安坂 
高松薬師山城〒399-7200 長野県東筑摩郡生坂村小立野高松薬師城、横谷城ともいう。丸山政友の居城。
日峡大城〒399-7200 長野県東筑摩郡生坂村下生坂日岐小城と日岐大城をあわせて日岐城ともいう。仁科明盛の次男仁科盛慶が大永年間(1521〜1528年)に居城とした。後に仁科家臣丸山肥後守丸山兵庫丸山丹波守らが守備した。仁科四十八城のいちでも随一の堅固さをほこっている。丸山氏は小笠原氏に属したことから武田晴信によって滅亡させられ、武田家臣降幡備前守が城代に命じられたという(『信府統記』)。武田氏滅亡後、天正11年(1583年)には織部佐盛直が城主となり上杉景勝に属した。
大日向城〒399-7311 長野県東筑摩郡生坂村東広津大日向 
宇留賀城〒399-7311 長野県東筑摩郡生坂村東広津宇留賀古谷城ともいう。仁科氏一族の宇留賀小次郎が室町時代に築城。宇留賀氏は川中島合戦で敗れて後、井口氏と称したという。
金戸山城〒399-7311 長野県東筑摩郡生坂村東広津宇留賀 
西條城〒399-7501 長野県東筑摩郡筑北村西条小仁熊上一 
青柳城〒399-7601 長野県東筑摩郡筑北村坂北青柳 
麻績城〒399-7701 長野県東筑摩郡麻績村麻服部氏の居城。麻績服部氏の娘が諏訪頼重に嫁いでおり、後にその諏訪頼重の娘は武田晴信の側室として武田勝頼を産んでいる。天文22年(1553年)に武田晴信は青柳城を降伏させ、青柳頼長を従え麻績城の服部清延を追い払い青柳氏を移した。
矢倉城〒399-7701 長野県東筑摩郡麻績村麻矢倉服部氏の居城。
塔原城〒399-7103 長野県安曇野市明科光塔ノ原城、長峰山城ともいう。塔原氏の居城。天文22年(1553年)に武田軍が苅屋原城を攻略すると戦わずに落城した。
小谷城〒399-7102 長野県安曇野市明科中川手東栄町明科城、小屋城、小谷山城ともいう。塔原滋野氏の居城。
茶臼山城〒399-7102 長野県安曇野市明科中川手東栄町 
三峰笹ヶ城〒399-7101 長野県安曇野市明科東川手三峰笹ガ城、三峯笹ノ城、三嶺笹ノ城ともいう。
花見城〒399-7101 長野県安曇野市明科東川手花見山城ともいう。会田氏の居城。のちに丸山肥後守が居城とした。
中村城〒399-7105 長野県安曇野市明科南陸郷中村天狗山城ともいう。
狐城〒399-7104 長野県安曇野市明科七貴塩川原塩川原山城ともいう。
押野城〒399-7104 長野県安曇野市明科七貴塩川原押野山城、高田城ともいう。日岐氏の居城。高田繁清(高田大和守)が居城とした。
長尾城〒399-8102 長野県安曇野市三郷温上長尾西牧滋野氏が築城。長尾堀金氏の居城。
小倉城〒399-8103 長野県安曇野市三郷小倉天文年間(1532〜1555年)に小笠原家臣の秋山与一が居城とした。天正の頃には小笠原貞政が居城とした。
光城山城〒399-8203 長野県安曇野市豊科田沢仁場城、陣場城、光城、光山城、光大城ともいう。海野幸元(海野六郎)がこの地に移り光氏を称した。
田沢城〒399-8203 長野県安曇野市豊科田沢光城山城の支城。
上ノ山城〒399-8203 長野県安曇野市豊科田沢田沢城、殿山城、光小城ともいう。光城山城(光大城)と上ノ山城(光小城)をあわせて光城ともいう。光城山城の支城。
殿村城〒399-8201 長野県安曇野市豊科南穂高細萱細萱氏の居城。
真々部城〒399-8204 長野県安曇野市豊科高家真々部金龍寺城ともいう。仁科氏一族の真々部真光(真々部尾張守)の居城。武田晴信に捕らえられ甲斐府中で自害させられた(長尾景虎への内通を疑われ)。
法蔵寺城〒399-8205 長野県安曇野市豊科成相新田屋敷構ともいう。
田多井城〒399-8212 長野県安曇野市堀金三田田多井田多井氏の居城。
岩原城〒399-8211 長野県安曇野市堀金烏川岩原小岩井(小岩嶽)氏一族の堀金氏の居城。のちに武田氏に従い、武田氏滅亡後は没落した。
堀金城〒399-8211 長野県安曇野市堀金烏川堀金氏の居城。小岩嶽仁科氏の一族ともいわれる。天文20年(1551年)に武田晴信が深志城に入城すると恭順の意をあらわすために出仕。
小岩岳城〒399-8301 長野県安曇野市穂高有明小岩岳小岩嶽城ともいう。仁科氏が築城。古厩氏が居城とした。天文20年(1551年)10月27日に武田晴信の軍勢が攻め、天文21年(1552年)8月12日に城主仁科盛親が自害し2日後に落城した。
古厩城〒399-8301 長野県安曇野市穂高有明古厩正真寺城ともいう。古厩氏は天正11年(1583年)に小笠原貞慶に謀殺された。
渋田見城〒399-8602 長野県北安曇郡池田町会染渋田見仁科氏一族の渋田見勘解由の居城。渋田見氏は長生寺氏とも称していた。
等々力城〒399-8303 長野県安曇野市穂高等々力等々力氏の居城。
滝沢城〒399-8602 長野県北安曇郡池田町会染滝沢堀屋敷ともいう。滝沢資成の居城。
田ノ入城〒399-8605 長野県北安曇郡池田町陸郷安倍五郎丸の居城。
白駒城〒399-8605 長野県北安曇郡池田町陸郷物見城ともいう。鎌倉時代に仁科義重家臣の樋口兼時が居城とした。後に袖上上野介が居城とした。
池田山城〒399-8601 長野県北安曇郡池田町池田堀之内池田城、堀の内城、堀之内城、堀ノ内城ともいう。穂高四郎五郎池田盛国らの居城。
北山城〒399-8601 長野県北安曇郡池田町池田堀之内北山古城ともいう。
平出城〒399-8601 長野県北安曇郡池田町池田堀之内日岐丸山氏の居城。日岐城主丸山氏の家臣平出玄蕃の居城。
星野城〒399-8501 長野県北安曇郡松川村細野細野城ともいう。星野盛通の居城。武田晴信に従い川中島に従軍し戦死した。
大和田城〒399-8501 長野県北安曇郡松川村川西大和田山城、松川山城、松川山古城、観勝院山城ともいう。永正年間(1504〜1520年)に仁科氏一族の大和田盛氏が観勝院を建設。天文年間(1532〜1555年)に大和田盛久(大和田大蔵丞)が居城とした。
布上城〒399-8501 長野県北安曇郡松川村川西河西城、川西城ともいう。仁科氏一族の大和田氏の居城。天文年間(1532〜1555年)に平林氏が居城とした。
矢知原城 丸山盛直の居城。天文21年(1552年)に武田晴信が攻略した。
鼠穴城〒399-8501 長野県北安曇郡松川村鼠穴城ヶ峯城、城ヶ峰城、城ヶ嶺城、寝ず見城ともいう。土屋盛俊の居城。天文21年(1552年)に武田晴信が攻略した。
荒神山城〒399-7301 長野県大町市八坂横瀬横瀬荒神山城ともいう。
横瀬城〒399-7301 長野県大町市八坂横瀬橡古城、横瀬氏館、横瀬館ともいう。荒神山城と橡古城をあわせて横瀬城ともいう。北沢金熊の居城。
小屋場城〒399-7301 長野県大町市八坂大平古屋場城ともいう。北沢吉次の居城として知られる。
鳥立城〒399-7301 長野県大町市八坂切久保仁科家臣の切久保氏の居城。
雷電城〒399-7301 長野県大町市八坂大塚鳥屋城ともいう。仁科家臣の小菅氏の居城。小菅山には小菅山城(小菅山館)があったともいわれている。
小菅山城〒399-7301 長野県大町市八坂小菅小菅館、小菅山館ともいう。仁科家臣の小菅氏の居城。
野田城〒399-7301 長野県大町市八坂上篭長享2年(1488年)に仁科家臣坂井吉信が築城。
前山城〒399-7301 長野県大町市八坂上篭雷電城の出城。
千見城〒399-9101 長野県大町市美麻千見 
藤城〒399-9101 長野県大町市美麻二重 
白石城〒399-9101 長野県大町市美麻二重 
切明山城〒399-9101 長野県大町市美麻大塩 
大野田城〒399-9101 長野県大町市美麻大塩大塩山城ともいう。手塚次郎の城。
篠山城〒399-9101 長野県大町市美麻高地切明山城の支城。
西山城〒398-0004 長野県大町市常盤西山堀屋敷、筑前屋敷、筑前城ともいう。西山氏が築城。矢口大伴氏の居城。その後、大伴氏の流れを汲む矢口知光(矢ノ口筑前守)の城。天正9年(1581年)に高遠城へ移った。
大崎城〒398-0004 長野県大町市常盤清水清水山城、清水山古城、清水城、清水古城ともいう。清水盛好(清水石見守)の居城。
須沼城〒398-0004 長野県大町市常盤須沼堀屋敷ともいう。須沼氏の居城。
南原城〒398-0002 長野県大町市大町南原町仁科氏の城。天文年間(1532〜1555年)に高根明成が居城とした。
南山城〒398-0003 長野県大町市社青島丹生子城ともいう。丹生子筑後守が居城とした。天文20年(1551年)に武田軍の侵攻を抑えるために村上義清が攻めた。
仁科城〒398-0003 長野県大町市社木舟 
森城〒398-0001 長野県大町市平森仁科城ともいう。仁科氏は平維茂を祖とするといわれ、仁科盛康の代で武田氏の軍門に降った。仁科盛康の嫡男仁科盛政武田晴信の命によって川中島合戦で長尾景虎と戦うが長尾氏との内通を疑われ、甲府に呼びだされ自害させられている。仁科盛政の子仁科孫二郎も湖水に投身して果てた。武田晴信の子武田盛信が仁科氏の名跡を継承した。
天正寺城〒398-0002 長野県大町市大町荒神堂館、荒神堂城、天正寺城、天正寺仁科氏館ともいう。
駒沢城〒398-0002 長野県大町市大町大沢寺城、大澤寺城ともいう。南北朝時代に宗良親王に従った一條氏の居館。一條正信らの墓がある。
猿ヶ城〒398-0001 長野県大町市平海の口 
沢渡城〒399-9211 長野県北安曇郡白馬村神城沢渡沢渡氏の居城。沢渡氏は大塔合戦に従軍。天文21年(1552年)に中塔城の攻防戦がなされたのち沢渡盛方は武田氏に従った。
沢渡北ノ山城 北の山館城ともいう。
迎場城〒399-9211 長野県北安曇郡白馬村神城佐野佐野城ともいう。
上城〒399-9211 長野県北安曇郡白馬村神城佐野 
宮原城〒399-9211 長野県北安曇郡白馬村神城三日市場三日市場城、大宮城ともいう。沢渡城の出城。大文字一揆のなかに沢渡五郎の名が初見で、生島神社の起請文に沢渡盛則の名が残っている。仁科氏、小笠原氏に属した後、武田氏に従属した。
茨山城〒399-9211 長野県北安曇郡白馬村神城堀之内茨山堀の内城、堀ノ内城、堀之内城ともいう。城峯神社に位置する。飯田城の出城。弘治2年(1556年)に山縣昌景に攻められ落城。山本勘助が居城とした。
飯森城〒399-9211 長野県北安曇郡白馬村神城飯森腰掛城、飯盛城、一夜山城ともいう。弘治2年(1556年)に山縣昌景に攻められ城主飯森春盛は一夜にして逃亡し落城。そのことから一夜山城と侮蔑されるようになった。弘治3年(1557年)7月5日に平倉山城で飯森春盛曲淵庄左衛門によって討たれた。
飯田城〒399-9211 長野県北安曇郡白馬村神城飯田月夜沢城ともいう。大日向直長(大日向佐渡守)が居城としたが弘治元年(1555年)に山縣昌景に攻められ滅亡した。
塩島城〒399-9301 長野県北安曇郡白馬村北城塩島塩島山城、塩島城山ともいう。塩島勝雄の居城。弘治2年(1556年)に山縣昌景に攻められ落城。
千国城〒399-9422 長野県北安曇郡小谷村千国乙千国 
黒川城〒399-9422 長野県北安曇郡小谷村千国乙黒川 
稲葉城〒399-9511 長野県北安曇郡小谷村中土松本杉山右門(杉山右衛門)の居城。
来馬城〒399-9421 長野県北安曇郡小谷村中小谷丙 
平倉山城〒399-9511 長野県北安曇郡小谷村中土小谷城、白米城、中土城、平倉城ともいう。平盛照の居城。飯森盛春(飯森日向守)が守っていたが弘治3年(1557年)7月5日に山縣昌景に攻められ討死した。飯森春盛ともいう。小谷衆の1人山岸豊後守の援軍もむなしく落城した。
大網城〒399-9601 長野県北安曇郡小谷村北小谷大網長坂城ともいう。平倉山城が陥落したのち武田軍が烽火台として使用。長坂釣閑斎が居城とした。
龍ヶ崎城〒399-0428 長野県上伊那郡辰野町伊那富竜ヶ崎城、竜ガ崎城ともいう。
小式ヶ城〒399-0425 長野県上伊那郡辰野町樋口小式部城、小式部山城、小式ヶ山城、小式ガ城ともいう。
大石城〒399-0425 長野県上伊那郡辰野町樋口樋口光久の居城。
狐城〒399-0425 長野県上伊那郡辰野町樋口狐ン城ともいう。大石城の詰城。
荒神山城〒399-0425 長野県上伊那郡辰野町樋口天文年間(1532〜1555年)に草間備前守が居城とした。
羽場城〒399-0428 長野県上伊那郡辰野町伊那富羽場京極修理太夫の居城。天文年間(1532〜1555年)に小笠原重次郎が築城。
上ノ平城〒399-4602 長野県上伊那郡箕輪町東箕輪小河内丸山城、神之平城、上の平城ともいう。平安時代末期に源為朝が築城。源義家の奥州征伐に従った源為公(知久為公)が伊那郡司に任じられ三代が居城とした。知久氏はのちに下伊那郡の神之峰城へ移った。
大出城〒399-4601 長野県上伊那郡箕輪町中箕輪大出大井弓城、里小屋城、黒小屋城ともいう。『諏訪御符札之古書』に大出有兼(藤沢出羽守有兼)の名がある。藤沢織部の居城。福与城が落城したときにともに落城した。
松島城〒399-4601 長野県上伊那郡箕輪町中箕輪松島松島信久(松島豊前守)松島越前守の居城。福与城の藤沢氏に属していたが武田氏に降った。松島信久(松島豊前守)は弘治2年(1556年)7月に武田晴信が川中島で合戦中に謀反を起こす。その後武田晴信に捕らえられ処刑された。
荒城〒399-4602 長野県上伊那郡箕輪町東箕輪長岡福与城の出城。
福与城〒399-4604 長野県上伊那郡箕輪町福与箕輪城、鎌倉城ともいう。藤沢氏が築城。茅野光親(千野光親)の子茅野親貞(千野親貞)が藤沢に住み藤沢氏を称した。
木下城〒399-4601 長野県上伊那郡箕輪町中箕輪木下箕輪城ともいう。木下惣蔵(木下総蔵)の居城。木下惣蔵(木下総蔵)が下伊那へ移ってからは藤沢頼親の養子藤沢重時が入城した。
田中城〒399-4603 長野県上伊那郡箕輪町三日町 
大泉城〒399-4511 長野県上伊那郡南箕輪村大泉大泉上総守の居城。
古町城〒396-0015 長野県伊那市中央古町古城、爪ヶ崎城ともいう。高遠氏に属した春日氏の居城。のちに武田氏に従った。春日昌吉織田信長の高遠城攻めで戦死した。
天神山城〒396-0111 長野県伊那市美篶笠原平安時代末期に笠原頼直が居城とした。
大島城〒396-0111 長野県伊那市美篶上大島
中島城〒396-0621 長野県伊那市富県貝沼桜井重久の居城。高遠城主仁科盛信に従った。のちに上杉氏に従い会津へ去った。
埋橋城〒396-0621 長野県伊那市富県貝沼埋橋多賀茂の居城。
登城〒396-0621 長野県伊那市富県貝沼 天正年間(1573〜1593年)に中原四郎左衛門が居城とした。
叶尾城〒396-0621 長野県伊那市富県桜井桜井茂八郎の居城。高遠城攻防戦で討死。
羽場城〒396-0621 長野県伊那市富県北福地天正年間(1573〜1593年)に畑谷新八郎が居城とした。高遠城攻防戦で討死。
橋場城〒396-0621 長野県伊那市富県南福地天正年間(1573〜1593年)に竹松外記が居城とした。高遠城攻防戦では武田氏に属したことで没落した。
牛ヶ城〒396-0621 長野県伊那市富県南福地天正年間(1573〜1593年)に中山道賢が築城。高遠城攻防戦で討死。滅亡した。
春日城〒396-0021 長野県伊那市伊那伊那部城、伊奈部城、鋳鍋城ともいう。平家の末流粟田口重吉(粟田口民部)の一族がこの地に移り春日氏(伊那部氏)を称した。春日重慶(伊那部大和守重慶)は天文3年(11534年)に300貫文の領地と10騎の将として在城した。天竜川の段丘と谷を利用して築城された。春日重慶を嗣いだ春日重成(春日但馬守)には嫡男春日重親(春日左衛門尉)と次男春日重国(春日新左衛門)があり、春日重国は東春近中殿島区に分家し殿島城を改築。殿島大和守を名乗った。 弘治2年(1556年)7月に、武田晴信が川中島で長尾景虎と対戦していたすきに上伊那南部の地侍たち春日重親(伊那部左衛門尉)殿島重国(伊那部大和守)溝口正慶(溝口民部少輔)黒河内政信(黒河内隼人)松島信久(松島豊前守)宮田親房(宮田左近正)小田切正則(小田切大和守入道)上穂重清(上穂伊豆守)らが謀反を起こした。のちに武田晴信によって処された。天正年間(1573〜1593年)に居城としていた春日昌吉は高遠城で討死した。
殿島城〒399-4432 長野県伊那市東春近中殿島 
小黒城〒396-0026 長野県伊那市西町 
小出城〒399-4431 長野県伊那市西春近小出小出本城ともいう。小出氏の居城。大塔合戦の頃に小出氏が築城。
安岡城〒399-4431 長野県伊那市西春近諏訪形 
高遠城〒396-0213 長野県伊那市高遠町東高遠兜山城、甲山城ともいう。天文14年(1545年)4月に武田晴信軍が杖突峠を越えて高遠城を取り囲むと、勝ち目がないと悟った高遠頼継は、自ら城を開いて降伏した。
山田城〒396-0216 長野県伊那市高遠町下山田山田新左衛門の居城。
台ノ城〒396-0301 長野県伊那市高遠町藤澤台 
藤沢城〒396-0301 長野県伊那市高遠町藤澤藤澤城ともいう。藤沢茅野氏が築城。のちに保科正俊が居城とした。武田氏に属したが、高遠城攻防戦で高遠城が落城後は徳川氏に仕えた。
的場城〒396-0212 長野県伊那市高遠町長藤的場 
溝口城〒396-0402 長野県伊那市長谷溝口 
艮城〒396-0403 長野県伊那市長谷黒河内 
大田切城〒399-4301 長野県上伊那郡宮田村大田切平安末期に平氏に仕えた菅野友則の居城。治承4年(1180年)に源氏の武田信義らの侵攻に戦わずして自害したという。
北ノ城〒399-4301 長野県上伊那郡宮田村中越北の城ともいう。
赤須城〒399-4101 長野県駒ケ根市下平 
上穂城〒399-4117 長野県駒ケ根市赤穂北割 
高田城〒399-4321 長野県駒ケ根市東伊那栗林天正年間(1573〜1593年)に高田氏が築城した。
城村城〒399-4321 長野県駒ケ根市東伊那栗林城村の城ともいう。楠原氏の居城。
高見城〒399-4231 長野県駒ケ根市中沢中割倉沢氏が築城。倉沢一族中沢義忠武田晴信の侵攻に抵抗して討死した。
菅沼城〒399-4231 長野県駒ケ根市中沢菅沼菅沼氏の居城。高遠城の出城。
唐沢城〒399-3702 長野県上伊那郡飯島町飯島石曽根天文3年(1534年)に西箕輪から移った唐沢義景が築城。
岩間城〒399-3702 長野県上伊那郡飯島町飯島岩間片桐(片切)一族の岩間氏の居城。岩間為遠は大島城攻防戦で討死した。
飯島城〒399-3704 長野県上伊那郡飯島町本郷寿永元年(1182年)に飯島氏が築城。飯島氏は大塔合戦や高遠城攻防戦で戦っている。子孫が徳川家臣井伊直政に従った。
北山城〒399-3705 長野県上伊那郡飯島町七久保船山城の属城。千人塚が近くにあり、織田信長軍の進攻戦に多くの戦死者が葬られている。
葛島城〒399-3803 長野県上伊那郡中川村葛島片桐久信の居城。のちに片桐信正らは大島城攻防戦で討死した。
船山城〒399-3802 長野県上伊那郡中川村片桐箕輪上ノ平城主藤沢氏の分家片桐氏の居城。武田軍が攻略した。のちに子孫は徳川氏に仕えた。
大草城〒399-3801 長野県上伊那郡中川村大草 
大島城〒399-3304 長野県下伊那郡松川町大島台城、大島台城ともいう。大島氏が築城。元亀2年(1571年)に武田晴信秋山信友に命じて改修させた。
名子城〒399-3304 長野県下伊那郡松川町大島 
桃井城〒399-3302 長野県下伊那郡松川町生田桃井氏の居城。
駿木城〒399-3501 長野県下伊那郡大鹿村鹿塩南北朝時代に宗良親王を迎えた香坂高宗は大河原に居城を置き、駿木城を砦とした。
大河原城〒399-3502 長野県下伊那郡大鹿村大河原 
城腰城〒399-3502 長野県下伊那郡大鹿村大河原青木城、城の腰城ともいう。香坂氏の出城。
北ノ城〒399-3102 長野県下伊那郡高森町吉田北の城、垣外城ともいう。室町時代に知久家臣が居城とした。
吉田城〒399-3102 長野県下伊那郡高森町吉田 
中ノ城〒399-3101 長野県下伊那郡高森町山吹中の城、中平城ともいう。
山吹城〒399-3101 長野県下伊那郡高森町山吹座光寺盈太郎が居城とした。
南城〒399-3103 長野県下伊那郡高森町下市田 
坂牧城〒399-3103 長野県下伊那郡高森町下市田 
松岡城〒399-3103 長野県下伊那郡高森町下市田松岡貞則の居城。
洞頭城〒399-3105 長野県下伊那郡高森町牛牧 
松下城〒395-1107 長野県下伊那郡喬木村小川神之峰城の出城。知久家臣の羽生光定の居城。武田晴信軍に攻略された。
座光寺城〒395-0001 長野県飯田市座光寺座光寺北城、座光寺南城、上野城ともいう。北城と南城をあわせて上野城ともいう。片桐一族の座光寺氏代代の寺城。知久氏、武田氏に属した。織田軍に攻略された。
座光寺北城〒395-0001 長野県飯田市座光寺上野城ともいう。
座光寺南城〒395-0001 長野県飯田市座光寺上野城ともいう。
今宮城〒395-0071 長野県飯田市今宮町坂西氏の出城。
飯田城〒395-0034 長野県飯田市追手町坂西氏の居城。
愛宕城〒395-0036 長野県飯田市愛宕町坂西氏の城。
松尾城〒395-0825 長野県飯田市松尾城 
北原城〒399-2602 長野県飯田市下久堅下虎岩虎岩城ともいう。知久家臣の平沢氏の居城。
知久平城〒399-2603 長野県飯田市下久堅知久平知久城ともいう。
神之峰城〒399-2611 長野県飯田市上久堅下平 
鈴岡城〒399-2561 長野県飯田市駄科 
原ノ城〒399-2565 長野県飯田市桐林桃井氏の居城。知久氏に属した。弘治2年(1556年)に武田軍が攻略した。
鶯ヶ城〒399-2222 長野県飯田市千代神之峰城の出城。知久家臣の松島氏の居城。
久米城〒395-0241 長野県飯田市久米久米ヶ城、久米山城ともいう。小笠原氏の支城。
茶臼山城〒395-0245 長野県飯田市山本二ツ山二ツ山城ともいう。
伊豆木城〒399-2434 長野県飯田市伊豆木 
長山城〒399-1313 長野県飯田市南信濃南和田名古山城ともいう。遠山氏の居城。遠山景広(遠山遠江守)が築城。
和田城〒399-1311 長野県飯田市南信濃和田 
八重河内城〒399-1312 長野県飯田市南信濃八重河内 
熊ノ城〒399-1401 長野県飯田市南信濃木沢 
木沢城〒399-1401 長野県飯田市南信濃木沢 
中根城〒399-1401 長野県飯田市南信濃木沢 
程野城〒399-1403 長野県飯田市上村程野遠山氏の属城。
阿智山城〒395-0501 長野県下伊那郡阿智村浪合上町 
吉岡城〒399-2102 長野県下伊那郡下條村陽皐 
大沢城〒399-1505 長野県下伊那郡阿南町富草富草城、富草古城ともいう。吉岡城の支城。文明年間(1469〜1487年)に下條長広が居城とした。
日差城〒399-1612 長野県下伊那郡阿南町新野 
矢草城〒399-1504 長野県下伊那郡阿南町西條西條城、西条城ともいう。
大下條権現山城〒399-1504 長野県下伊那郡阿南町西條 
上田城〒399-1504 長野県下伊那郡阿南町西條 
八幡城〒399-1504 長野県下伊那郡阿南町西條  
井戸城〒399-1504 長野県下伊那郡阿南町西條 
満島城〒399-1201 長野県下伊那郡天龍村平岡 
贄川城〒399-6301 長野県塩尻市贄川楡沢山砦、楡沢山城、瀬戸城、七城八城ともいう。
奈良井城〒399-6303 長野県塩尻市奈良井木曾一族奈良井義高が天文年間(1532〜1555年)の頃に武田晴信に抵抗し弘治2年(1556年)に滅亡した。
藪原城〒399-6201 長野県木曽郡木祖村薮原薮原城ともいう。武田晴信が築城。栗原左衛門が在城した。
福島城〒397-0001 長野県木曽郡木曽町福島城山木曾義康が築城。天文24年(1555年)に武田晴信に降伏した。
木曾城〒397-0001 長野県木曽郡木曽町福島木曾館、木曾氏屋敷、山村代官屋敷ともいう。弘治2年(1556年)に木曾義康が築城。福島城を詰城とし居城とした。慶長5年(1600年)に山村良候が関ヶ原合戦の功により木曾の関所を預かり、木曾氏の屋敷を代官所とした。
上之段城〒397-0001 長野県木曽郡木曽町福島 
小丸山城〒397-0001 長野県木曽郡木曽町福島木曾義親から木曾義元までが居城とした。
西野城〒397-0302 長野県木曽郡木曽町開田高原西野木曾義昌が築城。
王滝城〒397-0201 長野県木曽郡王滝村崩越 
須原城〒399-5502 長野県木曽郡大桑村須原 
今井沢山城〒399-5503 長野県木曽郡大桑村長野 
野尻山城〒399-5504 長野県木曽郡大桑村野尻大桑山城、野尻山城ともいう。
三留野城〒399-5301 長野県木曽郡南木曽町読書和合木曾一族の沼田氏の居城。
妻籠城〒399-5302 長野県木曽郡南木曽町吾妻妻籠 
蘭城〒399-5302 長野県木曽郡南木曽町吾妻蘭妻籠城の出城。天正12年(1584年)に徳川家康が攻略。
田立城〒399-5303 長野県木曽郡南木曽町田立木曾家臣の原氏の居城。
丸山城〒508-0502 岐阜県中津川市馬籠馬籠城、馬篭城、馬込城、孫目城ともいう。木曾氏代代の城。

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