小助官兵衛の戦国史シナリオ/小助官兵衛の戦国史に登場する城郭一覧

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小助官兵衛の戦国史に登場する城郭一覧です。
東北関東甲信越東海・北陸近畿中国四国九州
陸奥越後遠江近江美作讃岐筑前
出羽佐渡駿河伊勢備前阿波筑後
 上野伊豆伊賀備中伊予豊前
 下野三河志摩備後土佐豊後
 常陸尾張山城安芸 肥前
 下総飛騨大和周防 壱岐
 上総美濃河内長門 対馬
 安房越中和泉因幡 肥後
 武蔵加賀摂津伯耆 日向
 相模能登紀伊出雲 薩摩
 甲斐越前播磨石見 大隅
 信濃若狭淡路隠岐  
   丹波   
   丹後   
   但馬   

【安芸国】
安井城〒736-0002 広島県安芸郡海田町国信 
串山城〒736-0011 広島県安芸郡海田町寺迫 
宗像八幡城〒736-0071 広島県安芸郡海田町東海田 
遠見ヶ城〒731-4301 広島県安芸郡坂町狐ケ城 
新城城〒735-0004 広島県安芸郡府中町 
出張城〒735-0005 広島県安芸郡府中町宮の町府城、府中城、芸府城ともいう。応永年間(1394年〜1428年)に白井胤時が築城。白井氏は千葉忠常(千葉上総介)の後裔千葉義胤が上野国白井山田荘を領して白井氏と名乗ったことにはじまる。千葉義胤の子千葉胤時が下向して出張城を築いて居城とした。白井氏は武田氏に属し水軍を持って勢力を張っていた。大永7年(1527年)には周防国大内氏に属し、天文8年(1539年)には武田氏の川内警固衆を敗った。
石井城〒735-0007 広島県安芸郡府中町石井城別所城ともいう。佐伯氏一族の石井氏の城。田所氏の子孫。石井末忠(石井七郎)は正長元年(1332年)に楠木正成とともに摂津湊川合戦で破れ戦死。
柿原城〒731-0501 広島県安芸高田市吉田町吉田 
吉田郡山城〒731-0501 広島県安芸高田市吉田町吉田郡山城ともいう。南北朝時代に安芸毛利氏の祖毛利時親が築城。天文9年(1540年)に尼子晴久が侵攻するが大内氏と毛利氏の連合軍が迎撃した。
桂城〒731-0534 広島県安芸高田市吉田町桂中山城、三笠山城、三笠城ともいう。毛利氏の重臣桂広澄の居城。桂広澄毛利元就の相続に際し、毛利元綱擁立派の坂氏と関係が深かったために自害するが、桂元澄毛利元就を擁し以後も重臣として働く。
下峠城〒731-0534 広島県安芸高田市吉田町桂 
星ヶ城〒731-0535 広島県安芸高田市吉田町高野星ヶ崎城ともいう。星野市兵衛の居城。
高塚山城〒731-0502 広島県安芸高田市吉田町国司 
二ツ山城〒731-0523 広島県安芸高田市吉田町山手 
琴崎城〒731-0512 広島県安芸高田市吉田町小山文和元年・正平7年(1352年)に毛利元春が築城。
芹田城〒731-0512 広島県安芸高田市吉田町小山 
尼ヶ崎城〒731-0512 広島県安芸高田市吉田町小山 
竹樋城〒731-0512 広島県安芸高田市吉田町小山 
雨乞城〒731-0532 広島県安芸高田市吉田町上入江 
柏ヶ城〒731-0532 広島県安芸高田市吉田町上入江 
青山城〒731-0521 広島県安芸高田市吉田町常友 
光井山城〒731-0521 広島県安芸高田市吉田町常友 
高杉山城〒731-0543 広島県安芸高田市吉田町西浦 
宮ノ城〒731-0524 広島県安芸高田市吉田町川本大内義隆家臣堀江筑前守の子堀江甲本が川本村を領し築城。堀江氏は継子なく断絶し、後に毛利元就が川本を関野治左衛門に与えたが出火など災害により廃城。
川本城〒731-0524 広島県安芸高田市吉田町川本 
多治比猿掛城〒731-0544 広島県安芸高田市吉田町多治比明応年間(1492〜1501年)に毛利弘元が築城。
天神山城〒731-0511 広島県安芸高田市吉田町竹原井上氏の城。井上光教毛利豊元の妹婿。毛利氏とは密接な繋がりがあった。井上元兼毛利元就が宗家を相続するにあたっては郡山入城を要請する書状に連署した重臣の1人。しかし、天文19年(1550年)に井上一族は横暴な振舞が多かったことなどから毛利元就によって攻め滅ぼされた。
亀山城〒731-0533 広島県安芸高田市吉田町長屋 
槙ヶ城〒731-0533 広島県安芸高田市吉田町長屋 
木野村城〒731-0533 広島県安芸高田市吉田町長屋 
武士ヶ城〒731-0533 広島県安芸高田市吉田町長屋 
鈴尾城〒731-0513 広島県安芸高田市吉田町福原福原城ともいう。永徳元年・弘和元年(1381年)に福原広世が築城。
日下津城〒739-1201 広島県安芸高田市向原町坂坂城ともいう。坂毛利氏の城。観応元年・正平5年(1350年)に毛利親衡が築城。毛利匡時の代から坂氏を称した。
田屋城〒739-1203 広島県安芸高田市向原町長田内藤教泰が築城。内藤氏は厳島神社神主の佐伯氏一族。鎌倉時代に長田郷の自頭職に任ぜられた。
長見山城〒739-1103 広島県安芸高田市甲田町下小原南北朝時代に渡辺氏が築城。大永4年(1524年)に日下津城主坂広秀とともに毛利元就の異母弟相合元綱を宗家に擁立しようとして失敗。毛利元就によって滅ぼされた。
五籠城〒739-1104 広島県安芸高田市甲田町上甲立南北町時代に宍戸朝家が築城。
祝屋城〒739-1108 広島県安芸高田市甲田町深瀬 
加不呂久城〒739-1807 広島県安芸高田市高宮町羽佐竹 
高橋城〒739-1805 広島県安芸高田市高宮町原田 
猪掛城〒739-1805 広島県安芸高田市高宮町原田 
名倉城〒739-1802 広島県安芸高田市高宮町佐々部 
牛首城〒739-1802 広島県安芸高田市高宮町佐々部若狭城、龍之尾城、龍之口城ともいう。佐々部氏の城。面山城を居城とした。享録2年(1529年)に高橋氏が毛利氏によって滅ぼされた後に、牛首城を築いて居城を移した。
面山城〒739-1802 広島県安芸高田市高宮町佐々部佐々部高階氏の城。高橋氏や宍戸氏と姻戚関係を結んで勢力を維持。毛利氏が台頭するとそれに従い、宍戸氏の家臣となった。
狐城〒739-1802 広島県安芸高田市高宮町佐々部 
信木城〒739-1802 広島県安芸高田市高宮町佐々部 
陣ヶ丸城〒739-1801 広島県安芸高田市高宮町川根 
中山城〒739-1801 広島県安芸高田市高宮町川根 
木原城〒739-1801 広島県安芸高田市高宮町川根 
行部城〒739-1801 広島県安芸高田市高宮町川根 
吹屋城〒739-1801 広島県安芸高田市高宮町川根 
猿ヶ城〒739-1803 広島県安芸高田市高宮町船木 
奥垣内城〒739-1803 広島県安芸高田市高宮町船木梅木城ともいう。和智氏の城。
仁後城〒739-1803 広島県安芸高田市高宮町船木尼子城ともいう。
日原城〒739-1803 広島県安芸高田市高宮町船木日原氏の城。
俄々羅尾城〒739-1806 広島県安芸高田市高宮町来女木 
河内山城〒739-1806 広島県安芸高田市高宮町来女木 
阿賀城〒731-0304 広島県安芸高田市八千代町下根赤城ともいう。阿賀氏の居城。戦国時代に井上光貞(井上越前守)、子井上左馬助父子二代の居城。
源城〒731-0306 広島県安芸高田市八千代町向山 
谷ノ城〒731-0306 広島県安芸高田市八千代町向山 
丸山城〒731-0303 広島県安芸高田市八千代町佐々井 
五郎丸城〒731-0303 広島県安芸高田市八千代町佐々井 
御子ヶ丸城〒731-0303 広島県安芸高田市八千代町佐々井井上善左衛門の居城。
門出城〒731-0303 広島県安芸高田市八千代町佐々井 
狐ヶ城〒731-0303 広島県安芸高田市八千代町佐々井 
岡山城〒731-0302 広島県安芸高田市八千代町勝田 
末石城〒731-0305 広島県安芸高田市八千代町上根井上越前守の居城。
仮谷城〒731-0301 広島県安芸高田市八千代町土師 
田屋城〒731-0301 広島県安芸高田市八千代町土師 
大迫城〒731-0301 広島県安芸高田市八千代町土師 
松尾城〒731-0611 広島県安芸高田市美土里町横田 
高橋城〒731-0703 広島県安芸高田市美土里町生田 
桜尾城〒731-0701 広島県安芸高田市美土里町北 
日之原城〒731-0612 広島県安芸高田市美土里町本郷 
松笠城〒731-0612 広島県安芸高田市美土里町本郷 
志路城〒739-1303 広島県広島市安佐北区白木町大字志路 
丸屋城〒737-0303 広島県呉市下蒲刈町下島 
岩山城〒737-0161 広島県呉市郷原町 
大須和城〒737-2602 広島県呉市川尻町森 
丸子山城〒737-1377 広島県呉市倉橋町上河内 
伊屋城〒739-0302 広島県広島市安芸区上瀬野町 
隠居城〒739-0302 広島県広島市安芸区上瀬野町 
檜木城〒739-0315 広島県広島市安芸区瀬野南町阿曽沼興郷の居城。
鳥籠山城〒739-0322 広島県広島市安芸区中野町承久年間(1219〜1222年)に阿曽沼親綱が築城。
掛山城〒739-0324 広島県広島市安芸区中野東町 
阿計玖羅城〒736-0089 広島県広島市安芸区畑賀町 
矢野城〒736-0087 広島県広島市安芸区矢野町保木城、発喜城、野間城ともいう。
妣摺城〒736-0083 広島県広島市安芸区矢野東 
銀山城〒731-0100 広島県広島市安佐南区祇園町金山城、武田山城ともいう。承久3年(1221年)に武田信宗が築城。戦国時代に入り武田氏は安芸南部の豪族である高松山城主熊谷氏、八木城主香川氏、平原城主己斐氏などを家臣化するが安芸一国を率いることはできず大内氏に従っていた。武田氏は大内氏に反旗を翻し安芸を支配すべく安芸北部に進出。二度目の有田城合戦では武田元繁が大内軍として出陣した毛利元就に討たれ戦死。その子武田光和は尼子氏と結んで大内氏に対抗するが天文10年(1541年)に大内軍の毛利元就に攻められ落城し滅亡。
国重城〒731-3161 広島県広島市安佐南区沼田町大字伴 
岸城〒731-3167 広島県広島市安佐南区大塚西伴城ともいう。
八木城〒731-0101 広島県広島市安佐南区八木承久の変(1221年)後に地頭職を得て相模高座郡香川庄から入部した香川氏の城。
牛頭山城〒731-1171 広島県広島市安佐北区安佐町大字小河内 
市山城〒731-1141 広島県広島市安佐北区安佐町大字鈴張 
下西山城〒731-1141 広島県広島市安佐北区安佐町大字鈴張 
高松山城〒739-1700 広島県広島市安佐北区可部町大字城熊谷直時は高松山城に籠った二階堂是藤を破り、熊谷信直の代に居城を伊勢ヶ坪城からここに移した。熊谷氏ははじめ銀山城の安芸国守護武田氏に従い各地を転戦するが後に勢力を伸ばした毛利氏に従った。
熊谷城〒731-0213 広島県広島市安佐北区三入南熊谷高直が築城。
尾首城〒731-0235 広島県広島市安佐北区可部町大字勝木 
尾崎城〒731-0236 広島県広島市安佐北区可部町大字綾ケ谷 
尾崎支城〒731-0236 広島県広島市安佐北区可部町大字綾ケ谷 
宇祢能城〒731-0217 広島県広島市安佐北区可部町大字下町屋 
観音寺山城〒731-0217 広島県広島市安佐北区可部町大字下町屋 
新宮城〒731-0217 広島県広島市安佐北区可部町大字下町屋 
王子城〒731-0217 広島県広島市安佐北区可部町大字下町屋 
門田山城〒731-0217 広島県広島市安佐北区可部町大字下町屋 
新城山城〒731-0214 広島県広島市安佐北区可部町大字桐原 
天上山城〒731-0214 広島県広島市安佐北区可部町大字桐原 
三入城〒731-0216 広島県広島市安佐北区可部町大字上町屋とんが坊城ともいう。
片山城〒739-1754 広島県広島市安佐北区小河原町 
木ノ宗山城〒739-1752 広島県広島市安佐北区上深川町奥西仲綱の城。
尾和城〒739-1751 広島県広島市安佐北区深川町 
院内城〒739-1751 広島県広島市安佐北区深川町 
恵下山城〒739-1741 広島県広島市安佐北区真亀 
地蔵堂山城〒739-1731 広島県広島市安佐北区落合 
伊勢ヶ坪城〒731-0202 広島県広島市安佐北区大林町塩ヶ坪城ともいう。
三遍山城〒731-0202 広島県広島市安佐北区大林町 
古川城〒739-1521 広島県広島市安佐北区白木町大字三田七郎城、七郎古城ともいう。三田氏の城。
鍋谷城〒739-1301 広島県広島市安佐北区白木町大字井原 
小野城〒739-1302 広島県広島市安佐北区白木町大字古屋 
小田城〒739-1411 広島県広島市安佐北区白木町大字市川 
星ヶ城〒739-1411 広島県広島市安佐北区白木町大字市川 
旭日山城〒739-1414 広島県広島市安佐北区白木町大字秋山 
海老山城〒731-5134 広島県広島市佐伯区海老山町北西にあった宍戸氏の五日市城の属城。
五日市城〒731-5127 広島県広島市佐伯区五日市 
水晶城〒731-5102 広島県広島市佐伯区五日市町大字石内石道本城ともいう。永正5年(1508年)に大内義興に従い上洛していた厳島神主藤原興親が亡くなると厳島神領を大内氏の直轄領とし、杉甲斐守を城主とした。
有井城〒731-5108 広島県広島市佐伯区石内南南北朝時代に有井三郎左衛門尉が築城。のちに山縣備前守が居城とした。
茶臼山城〒731-5156 広島県広島市佐伯区倉重 
柏原城〒738-0603 広島県広島市佐伯区湯来町大字下 
向城〒738-0511 広島県広島市佐伯区湯来町大字葛原 
川角城〒738-0512 広島県広島市佐伯区湯来町大字白砂 
安南坊城〒738-0601 広島県広島市佐伯区湯来町大字和田 
立石城〒733-0815 広島県広島市西区己斐上釈迦ヶ岳城、岩倉城ともいう。
岩原城〒733-0814 広島県広島市西区己斐西町己斐古城ともいう。
平原城〒733-0813 広島県広島市西区己斐中己斐城、己斐新城、茶臼山城、小茶臼城ともいう。己斐氏の居城。己斐豊後守(己斐師道入道宗端)は有田城合戦で討死。その子己斐直之(己斐豊後守)は厳島合戦では毛利方として草津城主新里氏とともに宮尾城に籠城した。
草津城〒733-0851 広島県広島市西区田方田方城ともいう。水軍城である要所のため、康正2年(1456年)に武田信賢が攻め、長録元年(1457年)には大内氏が攻め、天文22年(1553年)には毛利元就が攻めて落城させている。
鬼ヶ城〒733-0851 広島県広島市西区田方 
広島城〒730-0011 広島県広島市中区基町鯉城、在間城、当麿城ともいう。天正19年(1591年)に毛利輝元が築城。
屋太山城〒732-0034 広島県広島市東区温品町 
戸坂城〒732-0014 広島県広島市東区戸坂大上 
尾上城〒732-0035 広島県広島市東区馬木町 
仁保城〒734-0041 広島県広島市南区黄金山町仁保島城ともいう。明応4年(1495年)に白井光胤武田元信から仁保近海における海上諸公事における微収権を安堵された。
亀山城〒737-2133 広島県江田島市江田島町鷲部 
高山城〒729-0472 広島県三原市高坂町真良妻高山城ともいう。建永元年(1206年)に沼田小早川茂平が築城。相模国土肥郡の土肥実平が沼田荘に地頭として入部したことにはじまる。
稲村山城〒723-0131 広島県三原市小坂町応永年間(1394〜1428年)に田坂氏が築城。
椋梨城〒729-1331 広島県三原市大和町椋梨堀城ともいう。
鶴山城〒723-0132 広島県三原市長谷町 
高木山城〒729-0414 広島県三原市本郷町下北方 
今井谷城〒729-0415 広島県三原市本郷町上北方 
梨羽城〒729-0415 広島県三原市本郷町上北方沼田小早川氏の九代小早川春平の三男小早川時春が沼田郡梨羽郷を与えられ、梨羽氏を称した。
丸子山城〒729-0415 広島県三原市本郷町上北方 
永福寺城〒729-0411 広島県三原市本郷町船木 
岡井城〒729-0411 広島県三原市本郷町船木 
金売城〒729-0411 広島県三原市本郷町船木 
日名内城〒729-0413 広島県三原市本郷町南方 
新高山城〒729-0412 広島県三原市本郷町本郷天文21年(1552年)に小早川隆景が築城。
吉川城〒731-1703 広島県山県郡北広島町海応寺天正11年(1582年)に吉川元春が築城。
今田城〒731-1535 広島県山県郡北広島町今田河内山城ともいう。永享年間(1429〜1441年)に山縣満政が今田に築城し今田氏を称した。
寺原城〒731-1504 広島県山県郡北広島町寺原正平5年・観応元年(1350年)に城主寺原時親は猿喰城の山縣為継(山形為継)壬生道忠とともに寺原城に籠ったが、吉川実経武田氏信らの攻撃により落城、降伏した。
余谷城〒731-1504 広島県山県郡北広島町寺原与谷城ともいう。南北朝時代には毛利親胤寺原掃部が籠り吉川氏と争った。吉川氏の所領となっていた余谷城は吉川氏の内紛により、森脇経和ら重臣300余騎が籠り、 この内紛は毛利元就の次男毛利元春吉川興経の養子として家督を譲ることで決着。毛利元春が相続した後は粟屋氏が城主となった。
日野山城〒731-2103 広島県山県郡北広島町新庄火の山城、日山城ともいう。
小倉山城〒731-2103 広島県山県郡北広島町新庄小倉城、小蔵山城、紅葉山城ともいう。
壬生城〒731-1515 広島県山県郡北広島町壬生高峰城ともいう。鎌倉時代に山縣氏が築城。寿永2年(1183年)に山縣為綱のときに安芸国壬生荘に下向し、津久羅山に居城した。天文5年(1536年)に山縣信春のときに毛利氏によって攻撃され落城。
駿河丸城〒731-2104 広島県山県郡北広島町大朝平家丸、間所城ともいう。正和2年(1313年)に吉川経高が築城。
猿喰城〒731-1526 広島県山県郡北広島町本地 
有田城〒731-1533 広島県山県郡北広島町有田茗荷丸ともいう。山縣一族の有田氏の城。永正12年(1515年)に有田氏は安芸国銀山城主武田氏が大内氏に反旗を翻したのに呼応すが、大内氏の命によって出陣した毛利興元に攻められ(第一次有田合戦)落城する。
亀居城〒739-0623 広島県大竹市小方小方城ともいう。慶長8年(1603年)に福島正則が築城。
野々本城〒725-0013 広島県竹原市吉名町 
木村城〒725-0003 広島県竹原市新庄町木村山城、新庄城、篠原城ともいう。正嘉2年(1258年)に小早川政景が築城。十三代の小早川興景が病死すると天文13年(1544年)に毛利元就の三男毛利隆景を迎える。天文19年(1550年)には毛利隆景は沼田小早川繁平の養子ともなり、翌年には高山城に移った。
片山城〒725-0005 広島県竹原市仁賀町 
天下城〒725-0002 広島県竹原市西野町 
茶臼山城〒725-0002 広島県竹原市西野町 
的場城〒725-0021 広島県竹原市竹原町的場山城、道工城ともいう。
鎮海山城〒725-0021 広島県竹原市竹原町村上武吉が築城。
賀儀城〒729-2314 広島県竹原市忠海床浦鍵城ともいう。浦小早川氏が築城。小早川宣平の七男小早川氏実が豊田郡浦郷を所領して浦氏を称した。浦氏は五代浦元安に嗣子がなかったため乃美家氏の子乃美賢勝に家を継承させた。その子乃美宗勝毛利元就が厳島で陶晴賢を破った厳島合戦において、村上水軍を味方にするべく外交をした。
胡ヶ丸城〒725-0001 広島県竹原市田万里町 
藤ヶ平城〒725-0001 広島県竹原市田万里町 
本城山城〒725-0004 広島県竹原市東野町 
松尾城〒739-2402 広島県東広島市安芸津町三津竹原小早川家臣行友光叔の居城。
東城  
常友城〒739-2205 広島県東広島市河内町戸野 
鷹城〒739-2205 広島県東広島市河内町戸野 
小田城〒739-2207 広島県東広島市河内町小田新荘小早川氏の惣領家である椋梨国平の弟椋梨信平が祖となる小田氏が築城。
松ヶ嶽城〒739-2208 広島県東広島市河内町入野松嶽城ともいう。
木原城〒739-2113 広島県東広島市高屋町高屋東 
御園字城〒739-2111 広島県東広島市高屋町高屋堀弘安年間(1278〜1288年)に平賀惟長が築城。
頭崎城〒739-2112 広島県東広島市高屋町貞重頭崎山城ともいう。大永3年(1523年)に平賀弘保が築城。文亀3年(1503年)に平賀弘保は白山城を築き居城を御園宇城から移す。尼子氏が大内氏の鏡山城を落とすとこれに対処するため頭崎城を築き、嫡男平賀興貞を置いた。
白山城〒739-2114 広島県東広島市高屋町白市文亀3年(1503年)に平賀弘保が築城。
赤城山城〒739-0266 広島県東広島市志和町奥屋 
三津城〒739-0266 広島県東広島市志和町奥屋 
秋森城〒739-0268 広島県東広島市志和町志和西 
松橋城〒739-0268 広島県東広島市志和町志和西 
岡城〒739-0268 広島県東広島市志和町志和西 
米山城〒739-0262 広島県東広島市志和町志和東結城城ともいう。鎌倉時代に天野顕義が築城。
生城山城〒739-0262 広島県東広島市志和町志和東生峡山城ともいう。戦国時代に天野興定が築城。生城山天野氏の城。藤原氏一族足立遠元の二男足立遠景が伊豆国田方郡天野荘を所領して天野氏を称した。生城山天野氏は天野顕義天野顕氏天野顕忠天野顕房天野顕勝天野家氏天野弘氏天野興次とつづき、天野興次の時代に志房荘一円の地頭職を譲り受けて、その弟天野元貞は金明山天野氏の天野元氏の養子となり、天野元行(天野元連)と名乗った。
女生城山城〒739-0262 広島県東広島市志和町志和東 
刈屋城〒739-0262 広島県東広島市志和町志和東 
円明寺城〒739-0262 広島県東広島市志和町志和東 
玉留免城〒739-0262 広島県東広島市志和町志和東 
古屋城〒739-0262 広島県東広島市志和町志和東 
松巌城〒739-0262 広島県東広島市志和町志和東 
金明山城〒739-0269 広島県東広島市志和町志和堀室町時代に天野政貞が築城。
新城山城〒739-0269 広島県東広島市志和町志和堀 
財崎城〒739-0269 広島県東広島市志和町志和堀戦国時代に天野隆重が築城。
南迫城〒739-0269 広島県東広島市志和町志和堀天野氏の城。
阿蔵谷城〒739-0269 広島県東広島市志和町志和堀天野家臣の佐々木氏の城。
沼田城〒739-0264 広島県東広島市志和町七条椛坂 
泥田城〒739-0264 広島県東広島市志和町七条椛坂 
寺山城〒739-0261 広島県東広島市志和町内石井城、岸の城ともいう。
三ツ城〒739-0025 広島県東広島市西条中央平賀広相の居城。
尾崎土居城〒739-0044 広島県東広島市西条町下見 
山崎土居城〒739-0044 広島県東広島市西条町下見 
二神山城〒739-0044 広島県東広島市西条町下見茶臼山城ともいう。水戸新四郎の居城。元久元年(1204年)に落城。
陣ヶ平城〒739-0024 広島県東広島市西条町 
八幡山城〒739-0024 広島県東広島市西条町御薗宇 
鏡山城〒739-0024 広島県東広島市西条町御薗宇 
槌山城〒739-0152 広島県東広島市八本松町吉川明神山城ともいう。大永3年(1523年)に鏡山城が尼子経久によって落城。大内氏は西條盆地の拠点を槌山城へ移し重臣弘中隆兼を配置。 槌山城には菅田宣真が城主となっていたが、天文20年(1551年)に陶晴賢大内義隆を討ち大友家より大友義長を迎えると、これに従わない菅田氏を討つように陶晴賢毛利元就に命じる。毛利元就毛利隆元を総大将として派遣。まず平賀隆保の籠る頭崎城を攻め落として槌山城へと攻め寄せた。 槌山城には菅田宣真菅田宣種父子のほか、尾和秀義(尾和備後守)大林隆廉(大林和泉守)財満入道宗因尾ほか、頭崎城主平賀隆保も300余騎を従えて籠った。毛利勢は三方より攻め寄せたが堅城であったため、一旦これを退き城内より討って出た籠城兵をおびき寄せ、これを切り崩して一気に城内へ流れ込み本丸まで攻め寄せた。これによって城主菅田宣真等は城兵の助命を願い切腹して落城した。
砥石山城〒739-0152 広島県東広島市八本松町吉川 
鬼ヶ丸城〒739-0152 広島県東広島市八本松町吉川槌山城合戦において毛利隆元が陣場とした。
曾場ヶ城〒739-0146 広島県東広島市八本松飯田大山城、飯田城、曾都山城、曾場ヶ城山ともいう。大永年間(1521〜1528年)に大内氏家臣の飯田頼氏が築城。
高塚城〒739-2304 広島県東広島市福富町上戸野菊が城ともいう。
堀城〒739-2304 広島県東広島市福富町上戸野 
狼倉山城〒738-0201 広島県廿日市市永原中山河津城、中山萩原城ともいう。河津氏の城。
中山城〒738-0204 広島県廿日市市河津原 
勝山城〒739-0588 広島県廿日市市宮島町大永4年(1524年)に大内義興が築城。
宮尾城〒739-0588 広島県廿日市市宮島町宮ノ尾城、要害山城ともいう。弘治元年(1555年)に毛利元就が築城。
辻堂原城〒738-0034 広島県廿日市市宮内 
楢原城〒738-0205 広島県廿日市市玖島 
星ヶ城〒738-0031 広島県廿日市市原 
桜尾城〒738-0005 広島県廿日市市桜尾本町鎌倉時代に吉見氏が築城。友田興藤の城。享禄元年(1528年)に大内義興が亡くなると友田興藤は厳島神領を思うままにし、天文10年(1541年)には大内氏と断交。大内義隆はすぐさま門山城へ進軍。桜尾城を包囲。籠城していた羽仁氏、野坂氏、熊野氏らは友田興藤に二心あって城内から逃亡。友田興藤は城に火をかけて自刃した。
門山城〒739-0488 広島県廿日市市大野大野弾正が築城。永正5年(1508年)に大内義興の助力によって京へ帰った足利義稙に随行して上洛した桜尾城主藤原興親は京で客死してしまう。厳島神主家を継ぐことを望んだ友田興藤小方加賀守が跡目を争う。大内義興はしばらく神主を置かずにいる処置を下したが、 これに不満をもった友田興藤は大永3年(1523年)に銀山城主武田光和らの安芸諸豪族を味方につけ桜尾城で自立。大永4年(1524年)に友田興藤と武田氏は陶尾張守弘中下野守が在陣する門山城を攻めたが敗走。大内義興大内義隆父子は大軍を率いて安芸へ侵攻しはじめ勝山に陣を置き、後に門山城に陣を移して桜尾城に侵攻するが、吉見頼興の調停により和睦。
小原城〒738-0222 広島県廿日市市津田比丘尼城ともいう。
下勝成山城〒738-0222 広島県廿日市市津田 
溝迫城〒738-0202 広島県廿日市市峠上勝成山城ともいう。陶勝成(陶弾正)の城。
河内城〒739-0426 広島県廿日市市物見東大野河内城ともいう。
狼城〒738-0203 広島県廿日市市友田 
高立城〒738-0203 広島県廿日市市友田 
高森城  
茶臼山城〒722-2415 広島県尾道市瀬戸田町中野 
葛城〒725-0402 広島県豊田郡大崎上島町沖浦葛山城ともいう。小早川氏一族の土倉氏の城。
大谷城〒725-0301 広島県豊田郡大崎上島町中野南城山城、田尾城ともいう。伊予国越智郡高橋郷を本貫とする高橋氏の城。
尼崎城〒725-0231 広島県豊田郡大崎上島町東野尾崎城ともいう。有田氏の城。
小頃子城〒725-0231 広島県豊田郡大崎上島町東野小原望月氏が築城。
力満城〒725-0231 広島県豊田郡大崎上島町東野小原小川氏の居城。
須走城  
杉城〒739-2315 広島県東広島市豊栄町吉原杉山城ともいう。
瀬戸島城〒737-0000 広島県呉市音戸町大字音戸 
堀城〒737-0012 広島県呉市警固屋 
小浜山城〒737-0012 広島県呉市警固屋 
発坂城〒731-3821 広島県山県郡安芸太田町土居 
台城〒794-1305 愛媛県今治市大三島町台 
明日城〒794-1303 愛媛県今治市大三島町明日 
御串山城  
甘崎城〒794-1403 愛媛県今治市上浦町甘崎天崎城ともいう。天智天皇10年(671年)に越智氏が築城。
能美城〒737-2213 広島県江田島市大柿町大原乃美城ともいう。山野井氏の城。

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