小助官兵衛の戦国史シナリオ/小助官兵衛の戦国史に登場する城郭一覧

小助官兵衛の戦国史バナー
サイト内検索
(小助官兵衛の部屋のなかで検索します)

Powered by Google

小助官兵衛の戦国史に登場する城郭一覧です。
東北関東甲信越東海・北陸近畿中国四国九州
陸奥越後遠江近江美作讃岐筑前
出羽佐渡駿河伊勢備前阿波筑後
 上野伊豆伊賀備中伊予豊前
 下野三河志摩備後土佐豊後
 常陸尾張山城安芸 肥前
 下総飛騨大和周防 壱岐
 上総美濃河内長門 対馬
 安房越中和泉因幡 肥後
 武蔵加賀摂津伯耆 日向
 相模能登紀伊出雲 薩摩
 甲斐越前播磨石見 大隅
 信濃若狭淡路隠岐  
   丹波   
   丹後   
   但馬   

【武蔵国】
江戸城〒100-0001 東京都千代田区千代田千代田城ともいう。康正2年(1456年)に太田道灌が築城。文明18年(1486年)に太田道灌が主君扇谷定正に謀殺されると扇谷朝良が居城とした。 大永4年(1524年)に北條氏綱太田資高の内応を得て江戸城を包囲すると城主扇谷朝興は川越城に逃げた。天正18年(1590年)に小田原の北條氏が豊臣秀吉に滅ぼされると徳川家康が関東八国に移封となり江戸城に入城した。その後、江戸城は何度かの大改修によって現在の規模に拡張された。
今井城〒107-0052 東京都港区赤坂今井兼平(今井四郎)の居城。
白金城〒108-0072 東京都港区白金柳下上総介が築城。
西久保城〒105-0001 東京都港区虎ノ門鎌倉時代に熊谷直実の城という。
番神山城〒105-0001 東京都港区虎ノ門太田道灌が築城。
渋谷城〒150-0002 東京都渋谷区渋谷金王丸城ともいう。渋谷氏の城。
牛込城〒162-0853 東京都新宿区北山伏町大胡重行の子牛込勝行が築城。
御殿山城〒162-0815 東京都新宿区筑土八幡町太田道灌が築城。
筑土城〒162-0815 東京都新宿区筑土八幡町上杉時氏が築城。
御殿山城〒140-0001 東京都品川区北品川太田道灌が築城。
鈴木城〒140-0001 東京都品川区北品川文明年間(1469〜1487年)に鈴木長敏(鈴木道胤)が築城。
品川城〒141-0033 東京都品川区西品川鎌倉幕府有力御家人の品川氏の城。応永31年(1424年)に足利持氏に領地を没収されてしまった。
金子山城〒140-0015 東京都品川区西大井金子大井氏の城。
梶原城〒140-0011 東京都品川区東大井戦国時代、北條家臣の梶原日向守梶原助五郎らの城。
荏原城〒142-0064 東京都品川区旗の台武蔵七党、荏原猪俣氏の城。荏原義宗の城。
今川城〒140-0005 東京都品川区広町今川氏真徳川家康の江戸入城により与えられた城館。今川氏真の長男今川範以は死去し、次男今川高久は今川氏名跡を継ぐことを許されず品川氏を称した。
馬込城〒143-0025 東京都大田区南馬込戦国時代に北條家臣梶原助五郎が築城。
大井城〒143-0014 東京都大田区大森中大井氏の城。
八幡塚城〒144-0046 東京都大田区東六郷永禄12年(1569年)に北條家臣行方明連が築城。
鵜木城〒146-0091 東京都大田区鵜の木鵜木氏の城。
池上城〒146-0082 東京都大田区池上鎌倉時代に池上宗仲が築城。
行方城〒144-0052 東京都大田区蒲田天正18年(1590年)に行方直清が築城し豊臣秀吉軍と戦い討死した。
新井宿城〒143-0023 東京都大田区山王善慶寺城ともいう。戦国時代に梶原日向守が築城。
斎藤城〒144-0052 東京都大田区蒲田妙安寺城ともいう。行方義安の妻の兄斎藤政賢が築城。
六郷城〒144-0052 東京都大田区蒲田天文年間(1532〜1555年)に上杉憲幸の子六郷氏幸が居城とした。
目黒城〒153-0061 東京都目黒区中目黒鎌倉幕府御家人の目黒氏の城。
碑文谷殿山城〒152-0003 東京都目黒区碑文谷 
奥沢城〒158-0083 東京都世田谷区奥沢戦国時代に世田谷城主吉良氏の家臣大平出羽守が築城。
等々力城〒158-0083 東京都世田谷区奥沢大平氏の城。
世田谷城〒154-0021 東京都世田谷区豪徳寺三河国東條の吉良氏が移住。北條氏に属していたが天正18年(1590年)に吉良氏朝は戦わずに豊臣秀吉に降伏した。
赤堤城〒156-0044 東京都世田谷区赤堤吉良氏の城。
烏山城〒157-0062 東京都世田谷区南烏山竜城ともいう。北條家臣の高橋氏の城。
深沢城〒158-0091 東京都世田谷区中町永禄年間(1558〜1570年)に南條重長(南條右京亮)が築城。
瀬田長崎城〒158-0095 東京都世田谷区瀬田天文年間(1532〜1555年)に長崎重光(長崎伊予守)が築城。長崎重光長崎重高長崎重次と継がれていく。
三宿城〒154-0005 東京都世田谷区三宿吉良氏の城。
本郷城〒113-0033 東京都文京区本郷太田康資が築城。
長島高城〒134-0084 東京都江戸川区東葛西北條家臣太田新六郎の城。
葛西城〒124-0011 東京都葛飾区四つ木豊島清光の三男葛西清重が築城。
葛西殿山城〒125-0062 東京都葛飾区青戸青戸城ともいう。山内上杉家臣の大石氏の城。永禄5年(1562年)に北條家臣本田正勝が在城した。
渋江城〒124-0014 東京都葛飾区東四つ木山中城ともいう。戦国時代に山中氏が築城。北條家臣山中内匠助が居城とした。
千葉袋城〒124-0002 東京都葛飾区西亀有上千葉城ともいう。北條家臣遠山丹波守が居城とした。
宮城城〒120-0047 東京都足立区宮城南北朝時代に豊島重信の子宮城重中が築城。戦国時代には宮城政業が岩付城の太田資正に仕え、宮城泰業も北條氏に属し太田氏の配下にあった。北條氏が豊臣秀吉によって滅ぶと宮城氏も没落したが宮城正業徳川秀忠に仕えた。
石浜城〒116-0003 東京都荒川区南千住康正元年(1455年)に千葉実胤が築城。
道灌山城〒116-0013 東京都荒川区西日暮里太田道灌の城。北條家臣関長耀(関小次郎道閑)が居城とした。
中野山城〒164-0001 東京都中野区中野城山城ともいう。文明年間(1469〜1487年)に中野氏が築城。戦国時代には堀江氏が居城とした。
成願寺城〒164-0012 東京都中野区本町源義経の家来となった鈴木重家鈴木重清兄弟の一族鈴木氏の城。室町時代に鈴木九郎が築城。
沼袋城〒165-0025 東京都中野区沼袋文明9年(1477年)に太田道灌が築城。江古田ヶ原・沼袋合戦のときに陣城として使用した。
和田山城〒165-0024 東京都中野区松が丘鎌倉時代に和田義盛が居城とした。
板橋城〒174-0073 東京都板橋区東山町文明年間(1469〜1487年)に板橋豊島氏が築城。板橋肥後守は北條氏に仕えた。
志村城〒174-0056 東京都板橋区志村千葉城、篠田城ともいう。志村豊島氏の城。長久3年(1042年)に志村将監が居城とした。康正2年(1456年)に馬加康胤に攻められ下総市川城を追われた千葉自胤が赤塚城に逃れている。千葉信胤が志村城を守備した。大永4年(1524年)に北條氏綱によって落城。
赤塚城〒175-0092 東京都板橋区赤塚康正2年(1456年)に千葉自胤が築城。一族馬加康胤に追われて太田道灌を頼って武蔵国に逃れてきた。千葉自胤の兄千葉実胤は石浜城へ逃れている。
善福寺城〒167-0041 東京都杉並区善福寺太田道灌が築城。
大橋城〒166-0016 東京都杉並区成田西成宗城ともいう。戦国時代に大橋成宗が築城。
和田堀内城〒166-0013 東京都杉並区堀ノ内鎌倉時代に和田義盛が築城。
練馬城〒176-0001 東京都練馬区練馬豊島城、矢野山城ともいう。元弘年間(1331〜1334年)に豊島泰景の弟豊島景村が築城。
石神井城〒177-0045 東京都練馬区石神井台城主の豊島氏は文明8年(1476年)に長尾景春の乱に荷担し、扇谷上杉氏の家宰太田道灌に攻められる。 太田道灌豊島泰明の籠る平塚城に攻め寄せ、豊島泰明豊島泰経はこれを迎えうったが敗れ、豊島泰明は討死。豊島泰経は石神井城へ退いた。 太田道灌豊島泰経を追って石神井城へ攻め寄せこれを落とし、豊島泰経は小机城へ敗走した。
愛宕山城〒177-0044 東京都練馬区上石神井文明9年(1477年)に太田道灌が築城。
栗山城〒176-0001 東京都練馬区練馬右馬頭城、右馬頭屋敷、屋敷山城ともいう。豊島右馬頭が築城。
中村山城〒176-0023 東京都練馬区中村北城山城ともいう。
稲村城〒115-0055 東京都北区赤羽西文明年間(1469〜1487年)に太田道灌が築城。
平塚城〒114-0016 東京都北区上中里鎌倉時代に豊島近義が築城。
豊島城〒114-0003 東京都北区豊島清光寺城ともいう。平安時代に豊島清光(豊島清元)が築城。
梶原堀内城〒114-0004 東京都北区堀船室町時代には梶原道景(梶原美濃守)、戦国時代には梶原政景(梶原源太)が太田氏に属し居城とした。
袋ノ殿山城〒115-0053 東京都北区赤羽台岩淵城ともいう。
滝野川城〒114-0023 東京都北区滝野川文明年間(1469〜1487年)に滝野川豊島氏が築城。
深大寺城〒182-0017 東京都調布市深大寺元町新大寺城ともいう。鎌倉時代に武蔵七党の西氏の家臣である狛江氏が築城。北條氏から攻められると扇谷上杉家臣の難波田広宗(難波田弾正)が守った。
柴崎城〒182-0014 東京都調布市柴崎柴崎野与氏の城。木田見江戸氏の城。
佐須城〒182-0016 東京都調布市佐須町狛江城ともいう。鎌倉時代に狛江増西入道が築城。
麻生城〒181-0005 東京都三鷹市中原戦国時代に麻生氏が築城。
上仙川城〒181-0004 東京都三鷹市新川島屋敷、島城、金子城、金子氏館ともいう。室町時代に金子時光が築城。戦国時代には金子弾正が居城とした。
天神山城〒181-0004 東京都三鷹市新川扇谷上杉氏の城。
牟礼城〒181-0002 東京都三鷹市牟礼戦国時代に高橋氏が築城。北條氏に与して扇谷上杉氏に対抗した。
保谷城〒202-0021 東京都西東京市東伏見保谷直政(保谷出雲守)が築城。
徳蔵寺城〒189-0021 東京都東村山市諏訪町板倉氏の城。
高安寺城〒183-0021 東京都府中市片町府中城ともいう。天慶9年(940年)に佐藤太秀郷が城館と見生寺を建立。足利尊氏が高安寺と改名した。武蔵国の中心地で幾多の合戦に巻き込まれた。最重要地として北條氏にとって扇谷上杉氏攻略の戦略上拠点となっていた。
人見城〒183-0005 東京都府中市若松町武蔵七党の人見猪俣氏の城。人見氏は深谷城周辺に分布している。
谷保三田城〒186-0011 東京都国立市谷保谷保山城、城山城ともいう。鎌倉時代に津戸為守(津戸三郎)が築城。
立河城〒190-0023 東京都立川市柴崎町立河西氏(日奉西氏)の城。西氏からわかれた立川宗恒を祖とする。文和4年(1355年)に立川宗恒(立川宮内少輔)が居城とした。戦国時代には立川照重が北條氏に仕えた。
真福寺城〒208-0001 東京都武蔵村山市中藤 
平山城〒191-0043 東京都日野市平山平山氏の城。平山季重の城。
高幡城〒191-0031 東京都日野市高幡室町時代末期に高幡十右衛門が築城。戦国時代には北條家臣平山大学助が居城とした。
田村城〒191-0024 東京都日野市万願寺安養寺城ともいう。武蔵七党の田村日奉氏の城。戦国時代には北條家臣で侍医田村安栖が居城とした。
日奉城〒191-0001 東京都日野市栄町東光寺城ともいう。日奉西氏が築城。立河氏が居城とした。
川辺堀内城〒191-0015 東京都日野市川辺堀之内室町時代に高麗左衛門が築城。
大丸城〒206-0801 東京都稲城市大丸南北朝時代に築城され、戦国時代には北條氏が領した。
小沢城〒206-0812 東京都稲城市矢野口小沢蔵城、小沢蔵屋敷ともいう。小沢小太郎の城。吾妻鏡に小沢重政小沢信重らの名が残る。応安年間(1368〜1375年)に小沢国高が築城。
長沼城〒206-0802 東京都稲城市東長沼鎌倉時代に源頼朝に従った長沼宗政が居城とした。日奉西氏の流れをくむ長沼西氏の城。
関戸城〒206-0011 東京都多摩市関戸霞ノ関城、南木戸柵城ともいう。和田義盛の乱の直後に鎌倉幕府が設置。明応3年(1494年)に扇谷上杉定正が山内上杉顕実を攻め関戸城を陥落させている。戦国時代には北條家臣の佐伯氏が居城とした。
有山城〒206-0003 東京都多摩市東寺方天文年間(1532〜1555年)に北條家臣有山減右衛門が築城。
佐伯城〒206-0011 東京都多摩市関戸戦国時代に佐伯道永が築城。佐伯道永は北條氏に仕え永禄12年(1569年)に戦死。
島崎城〒206-0035 東京都多摩市唐木田戦国時代に島崎二郎が北條に仕え、天正18年(1590年)に豊臣軍と戦い八王子城で討死。
寺方城〒206-0013 東京都多摩市桜ケ丘寿徳寺城ともいう。
中島城〒206-0032 東京都多摩市南野中島源右衛門が北條氏に仕え天正18年(1590年)に豊臣軍と戦い討死。
諏訪坂城〒206-0023 東京都多摩市馬引沢鎌倉時代に築かれた。
永島城〒206-0031 東京都多摩市豊ケ丘戦国時代に小宮山八兵衛(永島八兵衛)が築城。
小野路城〒195-0064 東京都町田市小野路町結道城ともいう。鎌倉時代に小山田有重の次男小山田重義が築城したという。
小山田城〒194-0202 東京都町田市下小山田町承安元年(1171年)に小山田有重が築城。小山田氏は桓武平氏で秩父重弘の次男秩父有重が小山田荘に住んで小山田氏を名乗ったことにはじまる。 秩父有重の長男稲毛重成は同族の畠山重忠と争って、畠山重忠を諌言した。この結果畠山重忠は相模国二俣川で討死し、元久2年(1205年)にこの諌言が稲毛重成の虚言であったことが発覚して、稲毛重成も誅殺され小山田一族は離散した。 甲斐国岩殿城主の小山田氏は、この稲毛重成(小山田重成)の弟小山田行重(小山田行平)の末裔。
勝沼城〒198-0042 東京都青梅市東青梅師岡城ともいう。三田氏の城。永禄6年(1563年)に北條氏が攻城してくると当主の三田綱秀は勝沼城を捨てて辛垣城に入り抵抗したが滅亡。北條家臣師岡将景(師岡山城守)が入城した。
辛垣城〒198-0001 東京都青梅市成木西城ともいう。永禄年間(1558〜1570年)に平将門の流れをくむ三田綱秀が築城。三田氏は北條氏に与していたが長尾景虎の関東進撃で北條氏に反旗を翻す。永禄6年(1563年)に北條氏照に攻められ滅亡。
枡形山城〒198-0171 東京都青梅市二俣尾枡形山城ともいう。永禄年間(1558〜1570年)に三田綱秀が築城。
藤橋城〒198-0022 東京都青梅市藤橋戦国時代に、檜原城主の平山虎吉(平山越前守)が築城。藤橋小三郎が城代をつとめた。
今井城〒198-0023 東京都青梅市今井武蔵七党の児玉氏の流れをくむ今井経家(今井四郎左衛門尉)が居城とした。
御岳山城〒198-0175 東京都青梅市御岳山鎌倉時代に秩父氏の流れをくむ畠山重忠が築城。戦国時代には三田氏が北條氏に仕え武田氏の備えとして守備した。
楯ノ沢城〒198-0046 東京都青梅市日向和田館ノ城、東木戸城、日向和田城ともいう。戦国時代に三田氏が築城。
矢倉台城〒198-0005 東京都青梅市黒沢物見櫓、物見城ともいう。永禄年間(1558〜1570年)に三田綱秀が築城。
森下城〒198-0089 東京都青梅市森下町青梅城ともいう。陣屋が置かれた。
片倉城〒192-0914 東京都八王子市片倉町応永年間(1394〜1427年)に大江師親の子長井道広が築城。
殿丸城〒192-0914 東京都八王子市片倉町藍原孝遠(藍原二郎)の居城。
浄福寺城〒192-0154 東京都八王子市下恩方町案下城、千手城、松竹城、新城、恩方城、千手山城ともいう。至徳元年(1384年)に大石信重(大石遠江守)が二宮城から移り築城。
八王子城〒193-0826 東京都八王子市元八王子町北條氏照が築城。
滝山城〒192-0002 東京都八王子市高月町大永元年(1521年)に武蔵守護代大石定重が築城。永禄12年(1569年)に武田勝頼の猛攻により落城寸前の危機に陥った。
高月城〒192-0002 東京都八王子市高月町高槻城ともいう。長禄年間(1457〜1460年)に大石頼重が築城。大石顕重が居城とし、大永元年(1521年)に大石顕重の子大石定重が滝山城を築城し居城を移した。
初沢城〒193-0845 東京都八王子市初沢町椚田城、高乗寺城、桐田塁、桐田城ともいう。室町時代に椚田重兼が築城。
井草城〒192-0362 東京都八王子市松木戦国時代に北條家臣井草越前守が築城。
大石城〒192-0362 東京都八王子市松木戦国時代に大石宗虎(大石信濃守)が築城。
大江城〒193-0933 東京都八王子市山田町長井城ともいう。鎌倉時代に大江氏が築城。大江広元の次男大江時広から出た長井氏が領した。
小田城〒192-0362 東京都八王子市松木戦国時代に北條家臣小田定久(小田肥後守)が築城。小田定久の子小田源太左衛門が居城とした。
小田野城〒192-0153 東京都八王子市西寺方町小田城ともいう。戦国時代に小田源左衛門(小田野源左衛門)が築城。
梶原城〒193-0826 東京都八王子市元八王子町梶原景時が築城。
川口城〒193-0801 東京都八王子市川口町平安時代に川口信久(川口兵庫介)が築城。吾妻鏡に川口景季川口景綱らの活躍が伝えられる。応永年間(1394〜1428年)には川口幸秀(川口兵庫介)が居城とした。
高乗寺山城〒193-0844 東京都八王子市高尾町 
金比羅山城〒193-0844 東京都八王子市高尾町 
左入城〒192-0011 東京都八王子市滝山町西山城ともいう。戦国時代に滝山城の支城として、西山十右衛門が居城とした。
廿里城〒193-0843 東京都八王子市廿里町十十里城、鳥取城、廿里砦ともいう。北條家臣横地吉信中山家範らが守り武田軍を迎え撃った。
中山城〒192-0011 東京都八王子市滝山町戦国時代に武蔵七党の一族中山家範が築城。
松木城〒192-0362 東京都八王子市松木永和年間(1375〜1379年)に足利持氏の家臣松木師澄(松木七郎)が居城とした。
由井城〒193-0822 東京都八王子市弐分方町武蔵七党の由比西氏が築城。由井宗弘が居城とした。戦国時代には由井源三郎が北條氏に仕えた。
由木城〒192-0372 東京都八王子市下柚木柚木城、大石城ともいう。由木横山氏の城。戦国時代には大石定久が居城とした。
横山城〒192-0063 東京都八王子市元横山町鎌倉時代に横山時広横山時兼らが武功をあげている。
石見城〒192-0054 東京都八王子市小門町大久保長安が領した。
浄泉寺城〒193-0944 東京都八王子市館町平安時代には鎌倉景正(鎌倉権五郎)が築城。戦国時代には北條家臣近藤助実(近藤出羽守)が居城とした。
出羽山城〒193-0825 東京都八王子市城山手戦国時代には北條家臣近藤助実(近藤出羽守)が築城とした。
戸倉城〒190-0173 東京都あきる野市戸倉室町時代に小宮憲明(小宮上野介)が築城。天文15年(1546年)に北條氏に滝山城を明け渡した大石定久が隠居城とした。
阿伎留城〒190-0162 東京都あきる野市三内秋留城ともいう。三内綱遠(三内孫四郎)が築城。
網代城〒190-0155 東京都あきる野市網代高尾氏が築城。北條家臣青木内記が居城とした。
伊奈城〒190-0142 東京都あきる野市伊奈戦国時代に平井氏が築城。
小川城〒197-0821 東京都あきる野市小川宝清寺城ともいう。武蔵七党西氏の流れをくむ日奉宗綱の孫小川宗弘が居城とした。承久の乱では小川季能小川直高二宮忠久らが軍功をあげている。
上平井城〒190-0142 東京都あきる野市伊奈岩松寺城ともいう。戦国時代に平井氏が築城。
来住野城〒190-0163 東京都あきる野市舘谷南北朝時代に来住野十郎兵衛が活躍。戦国時代には来住野善二郎が北條氏に仕えた。
館谷城〒190-0163 東京都あきる野市舘谷来住野氏の城。
戸吹城〒197-0832 東京都あきる野市上代継根小屋城、新城、二城ともいう。戦国時代に大石氏が築城。
二宮城〒197-0814 東京都あきる野市二宮西氏の流れをくむ二宮氏の城。小川久長の子小川太郎が二宮氏を称した。吾妻鏡には二宮時光(二宮弥次郎)が伝わる。文明年間(1469〜1487年)に大石駿河守が改修。
法林寺城〒197-0822 東京都あきる野市小川東小川氏の城。
檜原城〒190-0214 東京都西多摩郡檜原村本宿 
新井城〒190-0181 東京都西多摩郡日の出町大久野北條家臣新井伊賀守の城。
勝峯山城〒190-0181 東京都西多摩郡日の出町大久野将門城ともいう。平将門が築城。
幸神城〒190-0181 東京都西多摩郡日の出町大久野幸神氏の城。平山綱景が居城とした。
平井堀内城〒190-0182 東京都西多摩郡日の出町平井平井氏の城。
岡上城〒215-0027 神奈川県川崎市麻生区岡上阿部ノ原城、阿部城ともいう。戦国時代に岡上豊前守が築城。
亀井城〒215-0021 神奈川県川崎市麻生区上麻生 
加瀬城〒212-0057 神奈川県川崎市幸区北加瀬夢見ヶ崎城ともいう。鎌倉時代に嘉瀬資親が築城。
小沢城〒214-0006 神奈川県川崎市多摩区菅仙谷天神山城ともいう。平安時代に稲毛重成が築城。稲毛重成の子小沢重政(小沢小太郎)が領した。享禄3年(1530年)に扇谷上杉朝興が小沢城を落とし、小沢原合戦で北條氏綱と戦い撃破されている。
多摩寺尾城〒214-0005 神奈川県川崎市多摩区寺尾台菅寺尾城ともいう。室町時代に寺尾若狭守が築城したという。諏訪右馬之助(諏訪右馬亮)の城。
多摩枡形山城〒214-0032 神奈川県川崎市多摩区枡形稲毛重成が築城。永正元年(1504年)に上杉顕定と争った伊勢盛時今川氏親とともに枡形山城を本陣として武蔵立川原で上杉軍と合戦。永禄12年(1569年)に武田晴信が小田原を攻めたときには枡形山城を横山弘成が迎え撃とうと守備した。
稲毛城〒214-0032 神奈川県川崎市多摩区枡形秩父氏の小山田有重の子小山田重成が稲毛氏を称した。
作延城〒213-0033 神奈川県川崎市高津区下作延平安時代に稲毛重成(稲毛三郎)が築城。
子母口城〒213-0023 神奈川県川崎市高津区子母口 
有馬山城〒216-0003 神奈川県川崎市宮前区有馬有馬城、有馬城山ともいう。窪田又五郎の城。
泉沢寺砦〒211-0053 神奈川県川崎市中原区上小田中泉澤寺城ともいう。天文18年(1549年)に吉良頼康が築城。
丸子城〒211-0001 神奈川県川崎市中原区上丸子八幡町渡船場に従事する守子衆の名から丸子という名となったという。文明10年(1478年)に太田道灌が落ち延びていた豊島泰経の丸子城を陥落させたという。
赤堀城〒211-0025 神奈川県川崎市中原区木月赤堀入道が築城。中田氏や市野氏らも領した。北條家臣の中田加賀守の一族中田彦七郎が城主をつとめた。永禄4年(1561年)には市野善次郎が領した。
井田城〒211-0035 神奈川県川崎市中原区井田戦国時代に北條家臣中田加賀守が築城。
今井城〒211-0066 神奈川県川崎市中原区今井西町鎌倉時代に畠山重忠一族の小宮重康(小宮筑後守)が築城。
小杉城〒211-0068 神奈川県川崎市中原区小杉御殿町慶長2年(1597年)に小泉吉次(小泉次大夫)が代官として領し、慶長13年(1608年)に徳川家康が築城。
矢上城〒212-0056 神奈川県川崎市幸区矢上中田館ともいう。中田加賀守の城。
殿町城〒210-0821 神奈川県川崎市川崎区殿町 
川崎城〒210-0024 神奈川県川崎市川崎区日進町河崎堀之内城、河崎城ともいう。平安時代に河崎基家が築城。河崎基家河崎重家河崎重国とつづき、河崎重国は渋谷氏の祖となった。
鶴見城〒230-0063 神奈川県横浜市鶴見区鶴見総持寺城ともいう。鎌倉時代に鶴見平次が築城。秋田義景(秋田城之介)が居城とした。元弘3年(1333年)に千葉貞胤金沢貞将が戦った鶴見合戦が行われた。
諏訪坂城〒230-0014 神奈川県横浜市鶴見区諏訪坂諏訪午之丞の城という。
別所城〒230-0074 神奈川県横浜市鶴見区北寺尾 
獅子ヶ谷城〒230-0073 神奈川県横浜市鶴見区獅子ケ谷御園城、獅子ヶ谷殿山城ともいう。戦国時代は御園氏が領した。慶長年間(1596〜1615年)は小田切氏の居城。
寺尾城〒230-0076 神奈川県横浜市鶴見区馬場馬場城ともいう。戦国時代に諏訪三河守が築城。信濃諏訪氏の流れをくむ諏訪氏5代が居城とした。
潮田城〒230-0041 神奈川県横浜市鶴見区潮田町戦国時代に潮田今川氏が築城。大永年間(1521〜1528年)に入野光行は北條氏に従い潮田を領し潮田姓を称した。潮田光行の子潮田光永(潮田左馬介)は小机衆の目付役をつとめた。
岸谷城〒230-0078 神奈川県横浜市鶴見区岸谷生麦貝助台城ともいう。寺尾城の支城。里見義高(里見入道)が居城とした。
土井谷城〒222-0036 神奈川県横浜市港北区小机町土井谷砦ともいう。戦国時代に北條家臣の笠原氏が築城。
天神城〒222-0002 神奈川県横浜市港北区師岡町天神原城、桃井播磨守館ともいう。南北朝時代に桃井直常が居城とした。
大曽根城〒222-0003 神奈川県横浜市港北区大曽根大曾根城ともいう。小机城の支城。
大豆戸城〒222-0032 神奈川県横浜市港北区大豆戸町小幡城ともいう。天文年間(1532〜1555年)に北條家臣小幡泰久(小幡伊賀守)が築城。小幡政勝(小幡勘解由左衛門)が居城とした。
小机城〒222-0036 神奈川県横浜市港北区小机町飯田城、根古屋城ともいう。文明8年(1476年)の長尾景春の乱で小机城主矢野兵庫助長尾景春に与した。太田道灌に攻められ逃れた豊島泰経を小机城に迎えている。伊勢盛時(北條早雲)は城代に笠原信為(笠原越前守)を入れ大改修を実施。
亀之甲山城〒223-0057 神奈川県横浜市港北区新羽町亀甲山城、亀之甲山陣城ともいう。文明10年(1478年)に太田道灌が築城。
金子城〒222-0026 神奈川県横浜市港北区篠原町篠原城ともいう。戦国時代に北條家臣金子出雲守が築城。
鳥山城〒222-0035 神奈川県横浜市港北区鳥山町 
矢上城〒223-0061 神奈川県横浜市港北区日吉戦国時代に北條家臣中田加賀守が居城とした。
高田城〒223-0063 神奈川県横浜市港北区高田町南北朝時代に桃井直常(桃井播磨守)が居城とした。
山田城〒224-0023 神奈川県横浜市都筑区東山田山田城山、山田山城、殿谷ノ丘、堀ノ内城ともいう。平安時代末期に鎌田正清が築城。
茅ヶ崎城〒224-0033 神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎東多田山城ともいう。多田行綱が治安年間(1021年頃)に築城。
川和城〒224-0057 神奈川県横浜市都筑区川和町川和山城、川和城山ともいう。源義経家臣の熊井太郎が居城とした。戦国時代には北條綱成が所領とした。
佐江戸城〒224-0054 神奈川県横浜市都筑区佐江戸町大永年間(1521〜1524年)に猿渡内匠助が築城。
池辺城〒224-0053 神奈川県横浜市都筑区池辺町大丸城ともいう。戦国時代に中田加賀守が築城。
加賀原城〒224-0053 神奈川県横浜市都筑区池辺町大丸城ともいう。中田加賀守の城。
梶川城〒224-0045 神奈川県横浜市都筑区東方町梶原十次兵衛が陣城とした。
荏田城〒225-0013 神奈川県横浜市青葉区荏田町荏田山城、荏田城山、江田城ともいう。鎌倉時代に源義経の家臣江田広基(荏田源三郎)が築城。曾爾采女助の居城。
谷本城〒227-0042 神奈川県横浜市青葉区下谷本町 
上原城〒225-0024 神奈川県横浜市青葉区市ケ尾町上原出羽守の城。
榎下城〒226-0015 神奈川県横浜市緑区三保町久保城ともいう。室町時代初期に上杉憲清が築城。上杉憲清の子上杉憲直足利持氏に仕えた。戦国時代には山田右京進が北條氏に仕えた。
小山城〒226-0023 神奈川県横浜市緑区小山町荒川氏の城。
八朔城〒226-0021 神奈川県横浜市緑区北八朔町 
神大寺城〒221-0801 神奈川県横浜市神奈川区神大寺天文6年(1537年)に上杉朝定北條氏綱に対抗するために築城。
道灌森城〒221-0801 神奈川県横浜市神奈川区神大寺太田道灌が陣城として使用。
神奈川御殿城〒221-0061 神奈川県横浜市神奈川区七島町慶長15年(1610年)に築城された。
神奈川台場城〒221-0061 神奈川県横浜市神奈川区七島町松平勝善(松平隠岐守)が築城。
青木城〒221-0833 神奈川県横浜市神奈川区高島台多米氏の居城。
権現山城〒221-0051 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷永正7年(1510年)の扇谷上杉朝良家臣上田政盛(上田蔵人)が、伊勢盛時(北條早雲)の内応に従ってこの城で叛旗を挙げた。
観音堂城〒221-0051 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷間宮四郎左衛門が築城。
西寺尾城〒221-0001 神奈川県横浜市神奈川区西寺尾里見義高(里見入道)が居城とした。
岡城〒351-0007 埼玉県朝霞市岡岡ノ山城、岡山城ともいう。戦国時代に太田康資(太田新六郎)が築城。
山口城〒359-1145 埼玉県所沢市山口児泉城ともいう。山口氏の城。平安時代に山口家継(山口小七郎)が築城。武蔵七党村山頼家の子村山家継が山口氏を称した。
根古屋城〒359-1154 埼玉県所沢市勝楽寺勝楽寺城、龍谷の城、龍谷城ともいう。山口高忠(山口小太郎)が室町時代に築城。伏見小太郎山住彦三郎らが城主。
滝ノ城〒359-0013 埼玉県所沢市城本郷城ともいう。室町時代に大石氏が築城。太田下野守大石定久らが城主。
荒波多城〒359-1133 埼玉県所沢市荒幡荒幡城ともいう。鎌倉時代に荒波多氏が築城。武蔵七党の村山氏からわかれた荒波多山口氏は山口季信の次男の家系。
北秋津城〒359-0038 埼玉県所沢市北秋津北堀山城ともいう。鎌倉時代に久米村山氏が築城。
毛呂山城〒350-0446 埼玉県入間郡毛呂山町小田谷 
龍谷山城〒350-0455 埼玉県入間郡毛呂山町阿諏訪 
市川城〒358-0031 埼玉県入間市新久龍円寺城ともいう。
大森城〒358-0014 埼玉県入間市宮寺松平清康松平広忠の二代にわたって仕えた大森親好の孫大森好長が居城とした。
金子城〒358-0047 埼玉県入間市木蓮寺平安時代に、源氏に仕えた金子家忠(金子十郎)の居城。金子村山氏は入間郡金子邑を本拠としている。
金子城〒358-0053 埼玉県入間市仏子平安時代に金子家範の子金子親範が居城とした。金子親範は弟金子家忠らとともに、源頼朝の平氏打倒に抵抗し、河越重頼畠山重忠らとともに平氏に与した。
五味城〒358-0026 埼玉県入間市小谷田東光寺城ともいう。武田晴信に仕えた五味政義の子五味豊直が徳川氏に仕え居城とした。
土屋城〒358-0014 埼玉県入間市宮寺江戸時代初期に土屋利清が居城とした。
宮寺城〒358-0014 埼玉県入間市宮寺加納城ともいう。鎌倉時代に村山頼家の次男宮寺家平(宮寺五郎)が築城。宮寺村山氏の城。鎌倉時代末期には新田義貞に仕えた加納下野守が居城とした。
柏原山城〒350-1335 埼玉県狭山市柏原城山城、上杉城、柏原城山ともいう。天文12年(1543年)に上杉憲政が築城。
入間川城〒350-1305 埼玉県狭山市入間川南北朝時代に足利基氏が築城。
義貞城〒350-1335 埼玉県狭山市柏原新田義貞が居城とした。
柏ノ城〒353-0007 埼玉県志木市柏町志木城、引又城ともいう。大永4年(1524年)に大石信吉(大石信濃守)が築城。
関根城〒353-0008 埼玉県志木市宗岡宗岡城ともいう。戦国時代に関根兵庫が築城。北條氏に難波田与太郎が仕え宗岡城を居城とした。
難波田城〒354-0004 埼玉県富士見市下南畑南畑城ともいう。鎌倉時代に難波田高範が築城。武蔵七党の金子村山氏が難波田を領し難波田氏を称した。戦国時代には難波田憲重(難波田弾正)が扇谷上杉氏の重臣として活躍。天文14年(1545年)の河越夜戦で難波田憲重は討死。難波田氏は北條氏に仕えた。天正18年(1590年)に難波田憲次は北條氏滅亡後に前田利家に仕えた。
大久保城〒354-0001 埼玉県富士見市東大久保大窪城ともいう。戦国時代は大窪氏の城。難波田氏の家臣。
多門城〒354-0023 埼玉県富士見市諏訪鶴馬城ともいう。戦国時代に北條氏に仕えた上田左近の城。江戸時代に多門平次郎が居城とした。
打越城〒354-0015 埼玉県富士見市東みずほ台 
勝瀬城〒354-0031 埼玉県富士見市勝瀬戦国時代に北條氏に仕えた勝瀬孫六郎が築城。
鶴間城〒354-0023 埼玉県富士見市諏訪鶴馬城、宮崎城、殿山城ともいう。室町時代に宮崎氏が築城。
水子城〒354-0011 埼玉県富士見市水子戦国時代に難波田家臣上田左近が築城。上田左近は北條氏に仕えた。
泉ヶ城〒357-0003 埼玉県飯能市青木青木城ともいう。平安時代に青木実近(青木式部大輔)が築城。
阿須城〒357-0046 埼玉県飯能市阿須阿津城ともいう。鎌倉時代に新田義貞が築城。
大石城〒357-0003 埼玉県飯能市青木室町時代に大石氏が築城。
大河原城〒357-0065 埼玉県飯能市大河原龍崖山城ともいう。室町時代に大河原西氏が築城。
岡部城〒357-0213 埼玉県飯能市坂石町分岡部猪俣氏の城。
加治城〒357-0002 埼玉県飯能市中居一丁城、一丁屋敷ともいう。加治丹氏の城。秩父基房の五男秩父経家が武蔵国高麗郡に移住し、秩父経家の次男秩父家季が加治氏を称した。
加治城〒357-0034 埼玉県飯能市東町室町時代末期に加治頼胤(加治藤兵衛)が築城。扇谷上杉氏の河越城修築で功労。
小瀬戸城〒357-0067 埼玉県飯能市小瀬戸鎌倉時代に岡部忠澄(岡部六弥太)が築城。戦国時代は北條家臣岡部忠正(岡部小右衛門)が居城とし松田康秀に仕えた。
田辺ヶ城〒357-0001 埼玉県飯能市宮沢田辺氏の城。
堂平城〒357-0065 埼玉県飯能市大河原室町時代に大河原丹氏が築城。
長田城〒357-0062 埼玉県飯能市永田中村丹氏からわかれた長田丹氏が築城。
中山城〒357-0006 埼玉県飯能市中山中山家範(中山勘解由)が居城とした。
判乃城〒357-0031 埼玉県飯能市山手町平安時代に高麗五郎の四男判乃基兼が築城。
下加治城〒357-0016 埼玉県飯能市下加治 
龍崖山城〒357-0213 埼玉県飯能市坂石町分岡部氏の城。
長宮城〒356-0022 埼玉県ふじみ野市長宮平安時代に星野氏が築城。
福岡山城〒356-0011 埼玉県ふじみ野市福岡戦国時代に北條家臣富永守定(富永善左衛門)が築城。富永氏は伊豆水軍を任され重臣であった。
川越城〒350-0053 埼玉県川越市郭町初雁城、霧隠城ともいう。長禄元年(1457年)に太田道真太田道灌父子が築城。
老袋城〒350-0848 埼玉県川越市下老袋毛呂山城ともいう。戦国時代に道祖土康成が築城。
大堀山城〒350-0804 埼玉県川越市下広谷大堀山城ともいう。
往還上城〒350-0804 埼玉県川越市下広谷室町時代に築城。
上戸河肥城〒350-0816 埼玉県川越市上戸河越城ともいう。坂東平氏のながれをくむ河越秩父氏の本拠ともいわれている。戦国時代には北條氏が占拠し大道寺政繁が配置されている。
小仙波堀内城〒350-0036 埼玉県川越市小仙波町小仙波堀ノ内城、喜多院城ともいう。
小室城〒350-1106 埼玉県川越市小室天正18年(1590年)に水野守重が築城。
在家城〒350-0804 埼玉県川越市下広谷室町時代の城。
砂久保城〒350-1152 埼玉県川越市砂久保天文14年(1545年)に上杉憲政が古河公方足利晴氏と連合し8万の大軍を率いて川越城を包囲したときに陣城として築城。
仙波城〒350-0034 埼玉県川越市仙波町平安時代末期に仙波家信(仙波家信)が築城。
弾正城〒350-0034 埼玉県川越市仙波町筑後弾正の城。
寺尾城〒350-1136 埼玉県川越市下新河岸北條家臣諏訪右馬亮の城。
広谷北城〒350-0804 埼玉県川越市下広谷戸宮前城ともいう。
広谷南城〒350-0804 埼玉県川越市下広谷宮廻城ともいう。
広谷宮前城〒350-0804 埼玉県川越市下広谷 
古尾谷城〒350-0001 埼玉県川越市古谷上善仲寺城ともいう。鎌倉時代に古尾谷氏が築城。戦国時代には北條家臣仲資信(仲筑後守)が居城とした。
丸山城〒362-0806 埼玉県北足立郡伊奈町小室戦国時代に無量寺閼伽井坊が築城。
赤山城〒333-0825 埼玉県川口市赤山 
戸塚城〒333-0811 埼玉県川口市戸塚小宮山城ともいう。戦国時代に小宮山忠孝が築城。
平柳城〒332-0011 埼玉県川口市元郷永禄7年(1564年)に平柳蔵人太田資正に仕え国府台合戦に出陣。
本郷城〒334-0063 埼玉県川口市東本郷谷古田城ともいう。戦国時代に太田輝資が築城。
蕨城〒335-0004 埼玉県蕨市中央南北朝時代に渋川義行が築城。戦国時代に渋川義堯は北條氏に仕える。永禄10年(1567年)に渋川義基里見義弘と上総国三船山で戦うが討死。
戸田城〒335-0022 埼玉県戸田市上戸田蕨城、左衛門屋敷ともいう。南北朝時代に桃井直常が築城。
桃井城〒335-0023 埼玉県戸田市本町百ノ井城ともいう。足利氏一門の桃井氏の城。戸田六郎が居城とした。
宿ノ城〒338-0814 埼玉県さいたま市桜区宿宿宮前堀の内城ともいう。安保氏の城。
道場城〒338-0835 埼玉県さいたま市桜区道場鎌倉時代に畠山重忠が居城とした。
真鳥山城〒338-0832 埼玉県さいたま市桜区西堀鎌倉時代に畠山重忠家臣の真鳥日向守が築城。
宇田川城〒336-0022 埼玉県さいたま市南区白幡戦国時代に宇田川弾正が築城。
領ヶ谷城〒336-0015 埼玉県さいたま市南区太田窪太田窪城ともいう。源頼朝に与した佐々木守綱の城。
円阿弥城〒338-0007 埼玉県さいたま市中央区円阿弥御屋敷山城ともいう。太田氏が築城。江戸時代初期には伊奈半左衛門が居城とした。
落合城〒338-0002 埼玉県さいたま市中央区下落合鎌倉時代に安達盛長が築城。
寿能城〒330-0804 埼玉県さいたま市大宮区堀の内町永禄3年(1560年)に太田資正(太田美濃守)の四男潮田資忠(潮田出羽守)が築城。太田資正が岩槻城を留守にしている隙に長男太田氏資は北條氏に内応した。太田氏資の弟潮田資忠も北條氏に仕えた。潮田資忠潮田資勝父子は天正18年(1590年)の小田原征伐で討死した。寿能城は北沢宮内加藤大学らが守備したが討死。
大成城〒330-0852 埼玉県さいたま市大宮区大成町室町時代に金子家光(金子駿河守)が築城。金子村山氏の城。
景元寺城〒330-0835 埼玉県さいたま市大宮区北袋町長尾景虎の家臣長尾景元が陣城とした。
金子山城〒331-0071 埼玉県さいたま市西区高木高野城ともいう。室町時代に金子彦十郎が居城とした。
中釘城〒331-0077 埼玉県さいたま市西区中釘指扇城、山之内城ともいう。
土屋城〒331-0062 埼玉県さいたま市西区土屋永田城ともいう。慶長年間に伊奈忠次が居城とした。
福田城〒331-0071 埼玉県さいたま市西区高木福田惟康(福田又左衛門)が築城。
水判土城〒331-0059 埼玉県さいたま市西区水判土水判土堀内城、水判土堀ノ内城、慈眼寺城ともいう。太田氏の城。
土呂城〒331-0804 埼玉県さいたま市北区土呂町武田氏の遺臣初鹿野信昌(初鹿野伝右衛門)が居城とした。
大和田城〒337-0053 埼玉県さいたま市見沼区大和田町太田氏房の家老伊達房実が守将として天正18年(1590年)に籠城し豊臣軍を迎え撃った。
伊達城〒337-0053 埼玉県さいたま市見沼区大和田町永禄3年(1560年)に太田氏の家臣伊達房実が築城。
中丸城〒337-0041 埼玉県さいたま市見沼区南中丸春日城、堀之内城ともいう。南北朝時代に春日行元(春日八郎)が築城。戦国時代には太田資正に仕えた春日景定(春日兵庫助)が居城とした。
松野城〒337-0033 埼玉県さいたま市見沼区御蔵御蔵城ともいう。松野宇都宮氏の城。宇都宮頼業の次男宇都宮時業が松野氏を称した。松野助信太田道灌に仕え、松野助信の子松野助正太田氏房に仕えた。北條氏滅亡後に松野助正松野資信父子は徳川氏に仕えた。
岩槻城〒339-0052 埼玉県さいたま市岩槻区太田白鶴城、浮城、竹束城ともいう。長禄元年(1457年)に太田道真太田道灌父子が築城し、文明10年(1478年)に成田正等が改修した。 関東管領扇谷上杉持朝が古河公方足利成氏に対抗するため、太田父子に命じて築かせた。 大永4年(1524年)に小田原の北條氏綱が扇谷上杉朝興の居城江戸城を攻め落とし、翌5年(1525年)に岩槻城に侵攻。 上杉家臣渋江三郎北條氏綱に内応したため落城、北條氏は渋江三郎を守将とした。石戸城へ逃れた太田資頼は享禄3年(1530年)に岩槻城を奪い返した。 太田資頼の子太田資正が継いだ後に扇谷上杉氏が滅び、山内上杉氏も越後国長尾氏を頼って落ち延びると、太田資正長尾景虎(上杉謙信)と結び、北條氏に対抗する。 しかし、永禄7年(1564年)里見氏らとともに北條氏と戦ったが破れ、北條氏の謀略により長子太田氏資が寝返り、太田資正は佐竹氏を頼って落ちた。
佐枝城〒339-0064 埼玉県さいたま市岩槻区日の出町佐枝佐々木氏の城。戦国時代に佐枝秀成(佐枝若狭守)が築城。天正18年(1590年)に佐枝秀成佐枝秀元父子は功績で徳川家康に召し出された。
渋江城〒339-0057 埼玉県さいたま市岩槻区本町渋江大蔵氏の城。鎌倉時代に渋江光衡(渋江五郎)が築城。大永5年(1525年)に太田家臣渋江三郎は北條氏に内応した。
代山城〒336-0975 埼玉県さいたま市緑区代山山田大隅城ともいう。築城は小久保縫殿助とも、山田大隅守ともいわれている。
春日部城〒344-0061 埼玉県春日部市粕壁鎌倉時代に春日部兵衛尉が築城。文明12年(1480年)に春日部又四郎は越後に移住。
田波目城〒350-0246 埼玉県坂戸市多和目大崖城、多和目城ともいう。室町時代に宿谷重近が築城。
浅羽城〒350-0241 埼玉県坂戸市鶴舞萱方城ともいう。浅羽下総守が戦国時代に築城。
稲生城〒350-0246 埼玉県坂戸市多和目徳川家康が関東に進出したときに徳川家旗本で尾張出身稲生光正が築城。
大穴城〒350-0206 埼玉県坂戸市中小坂大穴山城ともいう。室町時代に築城された。徳川家康家臣の本多秀玄(本多九蔵)が改修し居城とした。
大家城〒350-0244 埼玉県坂戸市森戸戦国時代に北條家臣久米玄蕃が築城。
大塚城〒350-0255 埼玉県坂戸市成願寺北條幻庵が築城。
河村城〒350-0246 埼玉県坂戸市多和目河村氏が築城。
小島城〒350-0209 埼玉県坂戸市塚越戦国時代に小島豊後守が築城。
勝呂城〒350-0212 埼玉県坂戸市石井鎌倉時代に勝呂村山氏の勝呂恒高が築城。勝呂豊前守が北條氏に仕えた。
大法寺城〒350-0263 埼玉県坂戸市堀込堀籠城、多田城ともいう。浅羽児玉氏からわかれた堀籠氏の城。
塚越城〒350-0209 埼玉県坂戸市塚越西光寺城、塚越西光寺城ともいう。勝呂村山氏の城。
堀込城〒350-0263 埼玉県坂戸市堀込堀籠氏が築城。
三福寺城〒350-0257 埼玉県坂戸市小山戦国時代は北條氏がおさめた。
岸田城〒350-2202 埼玉県鶴ケ島市五味ケ谷室町時代に岸田氏が築城した。戦国時代には岸田正春が居城とした。天文15年(1546年)川越夜戦で上杉朝定北條氏康に討たれると上杉朝定の子を岸田正信と名のらせて育てた。弘治2年(1556年)に岸田正春は死去。
広谷城〒350-2203 埼玉県鶴ケ島市上広谷広屋城ともいう。岸田正春の城。
神田城〒350-1236 埼玉県日高市猿田高麗丹氏の城。
高麗城〒350-1245 埼玉県日高市栗坪 
台城〒350-1253 埼玉県日高市台岡城、秀殿城ともいう。岡上隼人正が築城。
中鹿山城〒350-1232 埼玉県日高市中鹿山甲斐武田家臣の飯田氏が築城。
小杉城〒350-0422 埼玉県入間郡越生町小杉太田道真城ともいう。
岡崎城〒350-0416 埼玉県入間郡越生町越生越生児玉氏からわかれた越生有平の三男岡崎有基が築城。
越生城〒350-0416 埼玉県入間郡越生町越生越生児玉氏の城。平安時代に入西資行の三男越生有行が築城。
倉田城〒350-0416 埼玉県入間郡越生町越生越生児玉氏の城。平安時代に越生児玉氏の一族倉田基行(倉田孫四郎)が築城。
黒岩城〒350-0411 埼玉県入間郡越生町黒岩越生児玉氏の城。越生有平の次男越生有光(越生次郎)が黒岩氏を称した。
児玉城〒350-0406 埼玉県入間郡越生町堂山堂山城、最勝寺城ともいう。鎌倉時代に児玉雲太夫が築城。
山芝城〒350-0425 埼玉県入間郡越生町龍ケ谷三枝城、自得軒城ともいう。永享2年(1430年)に太田道灌が築城。
高取城〒350-0416 埼玉県入間郡越生町越生要害山城、高取山城、越生要害山城ともいう。鎌倉時代に越生氏に築城された。文明18年(1486年)に越生定光が居城とした。
田代城〒350-0401 埼玉県入間郡越生町古池長亨元年(1487年)に田代三喜が居城とした。古河公方の足利政氏の侍医となった。
戸神城〒350-0425 埼玉県入間郡越生町龍ケ谷宮崎氏の城。
鳴瀬城〒350-0404 埼玉県入間郡越生町成瀬成瀬城ともいう。越生児玉氏の一族鳴瀬氏の城。越生有平の長男越生有年が鳴瀬氏を称した。鳴瀬有年黒岩有光岡崎有基ら兄弟が越生一帯をおさめた。
大類城〒350-0432 埼玉県入間郡毛呂山町大類平安時代に大類児玉氏が築城。
斎藤城〒350-0441 埼玉県入間郡毛呂山町岩井戦国時代に三河国から移住し扇谷上杉定正に仕えた斎藤冨長(斎藤美濃守)の城。永禄元年(1558年)に死去。
宿谷城〒350-0445 埼玉県入間郡毛呂山町葛貫宿谷児玉氏の城。秩父行弘の子秩父行俊秩父重堯父子のころに宿谷氏を称した。
村田城〒350-0441 埼玉県入間郡毛呂山町岩井戦国時代に北條家臣大野玄蕃が居城とした。徳川家康の時代には村田和泉守が上野国から移住。
毛呂城〒350-0451 埼玉県入間郡毛呂山町毛呂本郷榎堂城、毛呂山城ともいう。毛呂藤原氏の城。藤原季仲の子藤原季清が毛呂氏を称した。毛呂季光源頼朝の挙兵に従った。戦国時代には毛呂顕重が北條家臣となった。
山根城〒350-0451 埼玉県入間郡毛呂山町毛呂本郷大蔵城、毛呂城ともいう。戦国時代に毛呂顕季(毛呂土佐守)が居城とした。
阿諏訪城〒350-0455 埼玉県入間郡毛呂山町阿諏訪阿諏訪巳之助の城。大永4年(1524年)に上杉憲房が攻めている。
石戸天神山城〒364-0025 埼玉県北本市石戸宿室町時代に扇谷上杉家臣の藤田八右衛門が築城。永禄5年(1562年)に北條氏邦が石戸城を攻めると毛利丹後守が必死に守った。後に北條家臣依田大膳亮が居城とした。天正18年(1590年)に豊臣軍に攻められ落城。
石戸城〒364-0025 埼玉県北本市石戸宿石戸堀内城ともいう。鎌倉の御家人石戸左衛門尉が居城とした。
三ツ木城〒363-0027 埼玉県桶川市川田谷石井氏の城。岩槻太田家臣石井丹後守の城。
加納城〒363-0001 埼玉県桶川市加納 
足立城〒363-0012 埼玉県桶川市末広平安時代に足立遠元(足立右馬允)が居城とした。
川田谷城〒363-0027 埼玉県桶川市川田谷天正18年(1590年)に牧野康成が築城。
安達城〒365-0059 埼玉県鴻巣市糠田平安時代に安達藤原氏の城。源頼朝家臣の安達盛長(安達藤九郎)が居城とした。
箕田城〒365-0051 埼玉県鴻巣市宮前箕田ノ城ともいう。
経基城〒365-0054 埼玉県鴻巣市大間大間城、箕田城ともいう。源経基の城。
青鳥城〒355-0072 埼玉県東松山市石橋青島城、石橋城ともいう。室町時代に斧沢修理大夫が築城。
基氏城〒355-0065 埼玉県東松山市岩殿岩殿山城ともいう。貞治2年(1363年)に足利基氏が築城。
小代城〒355-0044 埼玉県東松山市正代岡ノ城ともいう。小代児玉城が築城。
高坂城〒355-0047 埼玉県東松山市高坂高坂秩父氏の城。北條家臣高坂刑部が居城とした。
野本城〒355-0036 埼玉県東松山市下野本鎌倉時代に野本基員が築城。
比企城〒355-0008 埼玉県東松山市大谷比企能員の城。
東松山城〒355-0017 埼玉県東松山市松葉町 
伊奈城〒350-0142 埼玉県比企郡川島町上大屋敷伊奈忠次の城。
牛村城〒350-0152 埼玉県比企郡川島町上伊草上伊草堀内城ともいう。戦国時代に牛村氏が築城。天正10年(1582年)に牛村助十郎が居城とした。
道灌城〒350-0133 埼玉県比企郡川島町表養竹院城ともいう。太田資長が築城。
小見野城〒350-0102 埼玉県比企郡川島町下小見野法鈴寺城ともいう。平安時代に小野見氏が築城。入西資行の長男浅羽行業がおり、浅羽行業の子浅羽盛行(浅羽四郎)は小野見氏を称した。
道祖土城〒350-0122 埼玉県比企郡川島町下八ツ林道祖土藤原氏の城。那須資隆の子那須資兼(道祖土十郎)が道祖土氏を称した。道祖土氏兼伊勢盛時に仕え、孫の道祖土康成北條氏康に仕えた。道祖土康兼(道祖土図書助)は岩槻太田氏の代官をつとめた。
比企城〒350-0165 埼玉県比企郡川島町中山金剛寺城ともいう。戦国時代に比企政員が築城。比企政員上杉朝定に仕えた後は岩槻太田氏や松山上田氏に仕えている。天正18年(1590年)には比企則員(比企左馬助)が居城とした。
美尾屋城〒350-0133 埼玉県比企郡川島町表平安時代に美尾屋広徳(美尾屋十郎)が築城。
松山城〒355-0155 埼玉県比企郡吉見町北吉見応永6年(1399年)に上田友直が築城。
大串城〒355-0134 埼玉県比企郡吉見町大串平安時代に大串次郎が築城。由木横山氏由木保経の次男由木孝保が大串氏を称した。
御所城〒355-0151 埼玉県比企郡吉見町御所江戸時代に中川八郎左衛門が居城とした。
範頼城〒355-0151 埼玉県比企郡吉見町御所源範頼の城。
大築城〒355-0364 埼玉県比企郡ときがわ町西平応永年間(1394〜1428年)に吾那憲光(吾那左衛門尉)が築城。
小倉城〒355-0341 埼玉県比企郡ときがわ町田黒戦国時代に北條家臣遠山光景が築城。
玉川城〒355-0342 埼玉県比企郡ときがわ町玉川玉川堀内城ともいう。鎌倉時代に藤原盛吉が築城。
杉山城〒355-0211 埼玉県比企郡嵐山町杉山初雁城ともいう。比企重成源経基金子家忠らが居城とした。
菅谷城〒355-0221 埼玉県比企郡嵐山町菅谷重忠城ともいう。鎌倉時代に畠山重忠が築城。
越畑城〒355-0206 埼玉県比企郡嵐山町越畑戦国時代に北條家臣庄行秀(庄式部少輔)が築城。
大蔵城〒355-0222 埼玉県比企郡嵐山町大蔵源義賢の居城。
木曾城〒355-0225 埼玉県比企郡嵐山町鎌形源義賢が築城。木曽義仲が幼少時代に居城とした。
山田城〒355-0802 埼玉県比企郡滑川町山田戦国時代に成田家臣小高大和守贄田摂津守らが居城とした。
三門城〒355-0807 埼玉県比企郡滑川町和泉泉福寺城ともいう。
羽尾城〒355-0811 埼玉県比企郡滑川町羽尾宮前城ともいう。戦国時代に山崎若狭守が築城。
月輪城〒355-0813 埼玉県比企郡滑川町月輪大堀城、九條城ともいう。鎌倉時代に九條兼実が築城。
水房城〒355-0805 埼玉県比企郡滑川町水房小山城ともいう。鎌倉時代に小山朝政が築城。
谷城〒355-0802 埼玉県比企郡滑川町山田 
山崎城〒355-0802 埼玉県比企郡滑川町山田 
高見城〒355-0306 埼玉県比企郡小川町高見四津山城ともいう。治承4年(1180年)に青木氏久家臣の石井政綱が築城。長亨2年(1488年)と延徳3年(1491年)に高見原合戦が山内上杉氏と扇谷上杉氏の間で行われている。
腰越城〒355-0327 埼玉県比企郡小川町腰越根古屋城ともいう。治承4年(1180年)に山田清義(山田伊勢守)が築城。戦国時代には上田直朝家臣の上田直定が居城とした。赤浜原合戦で討死した上田直定のかわりに弟上田直安が居城とした。
青山城〒355-0324 埼玉県比企郡小川町青山割谷城ともいう。平安時代に青木藤原氏の青木氏宗が築城。
小河城〒355-0328 埼玉県比企郡小川町大塚平安時代に小河資能(小河次郎)が築城。
高谷城〒355-0311 埼玉県比企郡小川町高谷治承4年(1180年)に金子忠成(金子十郎兵衛)が築城。
竹沢城〒355-0331 埼玉県比企郡小川町靭負竹沢児玉氏の城。児玉保義の五男竹沢行高が竹沢氏を称したことにはじまる。
武田城〒355-0312 埼玉県比企郡小川町上横田上横田城、輪禅寺城ともいう。武田信実の子武田信俊が川窪氏を称して徳川家康に仕え居城とした。
中城〒355-0328 埼玉県比企郡小川町大塚猿尾城ともいう。鎌倉時代に猿尾種重が築城。建武年間(1334〜1336年)に斎藤重範(斎藤六郎右衛門尉)が居城としている。文明6年(1474年)に上田上野介が居城とした。
奈良梨城〒355-0303 埼玉県比企郡小川町奈良梨徳川家康に仕えた諏訪頼水が居城とした。
安戸城〒355-0374 埼玉県秩父郡東秩父村安戸大河原丹氏の城。室町時代に上田氏が居城とした。
天神山城〒369-1311 埼玉県秩父郡長瀞町岩田白鳥城、根古屋城ともいう。天文元年(1532年)に藤田重利藤田康邦らが築城。藤田猪俣氏の居城。
虎ヶ岡城〒369-1301 埼玉県秩父郡長瀞町矢那瀬円良田城ともいう。戦国時代に猪俣範綱が築城。
根古屋城〒368-0072 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬机ノ城ともいう。戦国時代に朝見慶延(朝見伊賀守)が築城。
龍ヶ谷城〒369-1411 埼玉県秩父郡皆野町三沢千馬山城ともいう。
高松城〒369-1625 埼玉県秩父郡皆野町下日野沢 
日尾城〒368-0111 埼玉県秩父郡小鹿野町飯田 
塩沢城〒368-0201 埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄 
朝日城〒368-0072 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬日向城ともいう。
横瀬城〒368-0072 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬平安時代に横瀬六郎左衛門が築城。丹経房の次男丹時親が横瀬氏を称し、子の横瀬時綱が居城とした。
金崎城〒369-1621 埼玉県秩父郡皆野町金崎鎌倉時代に金崎信昌(金崎十郎左衛門)が築城。
小池城〒369-1412 埼玉県秩父郡皆野町皆野室町時代に甲斐武田氏の一族小池光里(小池左馬助)が築城。
千馬山城〒369-1411 埼玉県秩父郡皆野町三沢龍ヶ谷城、要害城ともいう。戦国時代に藤田重利が築城。
田野城〒369-1413 埼玉県秩父郡皆野町下田野 
玉川城〒369-1411 埼玉県秩父郡皆野町三沢室町時代に玉川小太郎が築城。藤田重利藤田正光藤田正憲ら三代が居城とした。
根岸山城〒369-1621 埼玉県秩父郡皆野町金崎金崎氏の城。
井戸城〒369-1312 埼玉県秩父郡長瀞町井戸白鳥丹氏の城。岩田氏、藤谷淵氏ら庶流を出している。白鳥基政の子白鳥政成(井戸八郎)が井戸を領して井戸氏を称した。井戸政成の子は井戸直家のほか、兄弟が野田氏、三沢氏に分布した。
岩田城〒369-1311 埼玉県秩父郡長瀞町岩田平安時代に白鳥基政の長男白鳥政光、次男白鳥政広らが岩田氏を称した。岩田政広源頼朝に従った。岩田氏から藤谷淵氏や野上氏がわかれた。
白鳥城〒369-1312 埼玉県秩父郡長瀞町井戸白鳥丹氏の城。丹経房の弟白鳥行房が白鳥氏を称した。
田城〒369-1312 埼玉県秩父郡長瀞町井戸天神山城の支城。
仲山城〒369-1302 埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷正和元年(1312年)に阿仁基保(阿仁和兵助)が築城。
野上城〒369-1304 埼玉県秩父郡長瀞町本野上岩田政広の子岩田政経が野上氏を称した。
大河原城〒355-0375 埼玉県秩父郡東秩父村御堂平安時代に中村時経の子大河原時季が築城。大河原丹氏の城。
山田城〒355-0374 埼玉県秩父郡東秩父村安戸戦国時代に上田朝直の家老山田直定(山田伊賀守)が築城。
奈倉城〒368-0101 埼玉県秩父郡小鹿野町下小鹿野室町時代に奈倉行家(奈倉加賀守)が築城。北條家臣奈倉重則(奈倉下野守)は永禄13年(1570年)に武田氏との戦いで討死。
諏訪城〒368-0005 埼玉県秩父市大野原大野原城、蓼沼城ともいう。戦国時代に北條氏邦の家臣諏訪民部が築城。
長者屋敷山城〒369-1871 埼玉県秩父市下影森 
下原城〒369-1871 埼玉県秩父市下影森金仙寺城、上ノ屋敷ともいう。延文2年(1357年)に橋久保大膳が築城。橋久保主馬の名も残る。
長尾城〒368-0001 埼玉県秩父市黒谷堀の内城、瑞岩寺城ともいう。室町時代に長尾昭国の城。
永田城〒368-0056 埼玉県秩父市寺尾永田林四郎諏訪七右衛門寺尾彦三郎井上三河守らが居城。
日野城〒369-1803 埼玉県秩父市荒川日野中野城、熊倉城、馬立城ともいう。
大島城〒368-0004 埼玉県秩父市山田平安時代に大島大膳忠が築城。
小柱城〒368-0061 埼玉県秩父市小柱小柱堀ノ内城ともいう。児玉経行の子児玉行高秩父重綱の養子になり秩父氏を称した。秩父行高の長男小幡行頼、次男大淵高重、三男倉賀野高俊と分布した。
加治城〒368-0004 埼玉県秩父市山田戦国時代に加治新五郎が築城。加治丹氏の城。
関口城〒368-0004 埼玉県秩父市山田南北朝時代に関口丹後守が築城。
田村城〒368-0055 埼玉県秩父市田村鎌倉時代に田村氏が築城。
遠山城〒368-0004 埼玉県秩父市山田鎌倉時代に遠山山城守が築城。遠山丹氏の城。北條家臣遠山信濃守が居城とした。
敏桑城〒368-0053 埼玉県秩父市久那高根城、嫩桑城ともいう。
中村城〒368-0051 埼玉県秩父市中村町丹時房の子丹時重が中村氏を称した。
根岸城〒369-1871 埼玉県秩父市下影森滋野城ともいう。戦国時代に滋野刑部が居城とした。
伏栗城〒368-0025 埼玉県秩父市桜木町鎌倉時代に中村時経が築城。
宮崎城〒368-0005 埼玉県秩父市大野原大野原城、民部城ともいう。黒沢民部が居城とした。
山田城〒368-0004 埼玉県秩父市山田平安時代に山田政成が築城。
小倉城〒369-1503 埼玉県秩父市下吉田 
秩父城〒369-1503 埼玉県秩父市下吉田鶴ヶ窪城、鳥方城ともいう。平将常の子平武基が秩父に移住。平武基の子平武綱が秩父氏を称した。
寺山城〒369-1501 埼玉県秩父市吉田久長物見平城ともいう。
比丘尼城〒369-1504 埼玉県秩父市吉田石間石間城の支城。
龍ヶ谷城〒369-1501 埼玉県秩父市吉田久長吉田盾城ともいう。戦国時代に久長但馬守が築城。北條家臣阿佐伊勢守が居城とした。
熊倉城〒369-1803 埼玉県秩父市荒川日野日野城、真建城ともいう。文明12年(1480年)に長尾景春が築城。
室山城〒368-0053 埼玉県秩父市久那毛呂山城、宝山城ともいう。北條家臣大胡大八郎が築城。
猪俣城〒367-0115 埼玉県児玉郡美里町猪俣室町時代に猪俣兵庫頭入道が築城。
安保城〒367-0247 埼玉県児玉郡神川町元阿保安保丹氏の城。鎌倉時代に安保綱房が築城。戦国時代に安保全隆が居城とした。北條家臣倉林越後守も居城とした。
池田城〒367-0234 埼玉県児玉郡神川町池田室町時代に斎藤実永家臣の卜部修理が築城。後に甲斐武田家臣松本左京大夫が改修。
岡部城〒367-0232 埼玉県児玉郡神川町新里猪俣時範の孫猪俣忠綱が岡部を称した。猪俣忠綱の孫岡部忠澄が居城とした。
金鑽御嶽城〒367-0301 埼玉県児玉郡神川町渡瀬高見城ともいう。文明12年(1480年)に安保吉兼が築城。戦国時代には長井政実(長井豊前守)が居城とし武田氏に与した。長井信実(長井右馬允)は北條氏に属して滅亡した。
光権寺城〒367-0245 埼玉県児玉郡神川町植竹安保氏が鎌倉時代に築城。
中新里城〒367-0231 埼玉県児玉郡神川町中新里新里安保氏が鎌倉時代に築城。
金窪城〒369-0301 埼玉県児玉郡上里町金久保太瑯城、王太瑯城、金久保城ともいう。治承年間(1177〜1181年)に加治家李が築城。寛正年間(1460〜1466年)に斎藤盛光が居城し、曾孫斎藤定利は北條氏に仕えた。
浮浜城〒369-0316 埼玉県児玉郡上里町長浜長浜城ともいう。平安時代に安保丹氏の流れ新里綱房の三男長浜信光が築城。長浜光経新田義貞に従い建武4年(1337年)に越前金ヶ崎城で討死。
金窪南城〒369-0301 埼玉県児玉郡上里町金久保陽雲寺城ともいう。天文9年(1540年)に斎藤定盛が改修。
勝場城〒369-0311 埼玉県児玉郡上里町勅使河原勅使河原城ともいう。秩父基房の長男秩父直時が勅旨河原氏を称した。
甘糟城〒367-0113 埼玉県児玉郡美里町甘粕甘粕城ともいう。平安時代に甘糟広忠が築城。猪俣忠基の子猪俣家基が甘糟氏を称し、猪俣家基の子甘糟広忠が築城。
木部城〒367-0112 埼玉県児玉郡美里町木部平安時代に猪俣家兼の子猪俣行兼が木部氏を称し築城。戦国時代には別家であるが木部範虎が武田氏に属した。
御所ノ内城〒367-0118 埼玉県児玉郡美里町広木防人檜前舎人石前之館ともいう。
広木吉原城〒367-0118 埼玉県児玉郡美里町広木延元2年(1337年)に一色範行が居城とした。
古郡城〒367-0111 埼玉県児玉郡美里町古郡古凍城ともいう。中村丹氏の城。中村時経の長男中村時員が古郡氏を称した。
雉岡城〒367-0217 埼玉県本庄市児玉町八幡山雉ヶ岡城、児玉城ともいう。寛正年間(1460〜1466年)に夏目実基が築城。後に夏目定基(夏目豊後守)が居城とした。
本庄城〒367-0051 埼玉県本庄市本庄毛呂山城ともいう。弘治2年(1556年)に本庄実忠が築城。
五十子城〒367-0024 埼玉県本庄市東五十子 
北堀本田城〒367-0031 埼玉県本庄市北堀北堀堀内城ともいう。鎌倉時代に庄児玉氏の庄時家が築城。
栗崎城〒367-0032 埼玉県本庄市栗崎家長城ともいう。平安時代に庄家弘が築城。
富田城〒367-0035 埼玉県本庄市西富田鎌倉時代に児玉家行の三男富田親家(富田三郎)が築城。
東本庄城〒367-0031 埼玉県本庄市北堀鎌倉時代に庄頼家が築城。室町時代に本庄信明(本庄宮内少輔)が居城とした。
四方田城〒367-0034 埼玉県本庄市四方田鎌倉時代に庄弘高の子四方田弘長が築城。戦国時代に四方田政実明智光秀に仕えた。
阿佐美城〒367-0202 埼玉県本庄市児玉町下浅見浅見城、関根城ともいう。児玉家弘の子児玉弘方が阿佐美氏を称した。
秋山城〒367-0213 埼玉県本庄市児玉町秋山新蔵人城ともいう。南北朝時代に甲斐源氏の秋山光政が築城。秋山続照(秋山新九郎)の名も残る。
塩谷城〒367-0223 埼玉県本庄市児玉町塩谷真鏡寺城ともいう。塩谷児玉氏の城。児玉家行の次男塩谷家遠が居城とした。
城ノ内城〒367-0203 埼玉県本庄市児玉町入浅見鎌倉時代に阿佐美実高が築城。
武井城〒367-0202 埼玉県本庄市児玉町下浅見武井児玉氏の城。
中沢城〒367-0213 埼玉県本庄市児玉町秋山武蔵国那珂郡中沢郷の中沢氏が居城とした。
蛭川城〒367-0204 埼玉県本庄市児玉町蛭川鎌倉時代に庄高家が築城。庄高家の子蛭川定重が居城とした。
福島城〒367-0202 埼玉県本庄市児玉町下浅見福島氏の城。
用土城〒369-1201 埼玉県大里郡寄居町用土高城ともいう。天文15年(1546年)に藤田康邦が築城。藤田康邦の子藤田重連も居城としたが、天正6年(1578年)に毒殺されたため、弟藤田信吉は北條氏を離反し武田勝頼の家臣となった。
鉢形城〒369-1224 埼玉県大里郡寄居町鉢形文明8年(1476年)に長尾景春が築城。
花園城〒369-1205 埼玉県大里郡寄居町末野平安時代に藤田政行が築城したという。藤田猪俣氏の居城。藤田氏の菩提寺(藤田善導寺)の南背後の山西端に築城。
御嶽城〒369-1205 埼玉県大里郡寄居町末野花園御岳城、御獄城ともいう。
阿部鉄丸城〒369-1231 埼玉県大里郡寄居町立原江戸時代に阿部正権(阿部鉄丸)が築城。
大河内城〒369-1224 埼玉県大里郡寄居町鉢形天正18年(1590年)に大河内秀綱(大河内金兵衛)が築城。
織原城〒369-1234 埼玉県大里郡寄居町折原折原堀ノ内城ともいう。平安時代に織原泰房が築城。
金尾山城〒369-1236 埼玉県大里郡寄居町金尾金尾城、要害山城、愛宕山城ともいう。天文元年(1532年)に藤田重利が築城。北條家臣金尾弥次兵衛が居城とした。
桜沢城〒369-1202 埼玉県大里郡寄居町桜沢北條氏が戦国時代に築城。
島田城〒369-1216 埼玉県大里郡寄居町富田島田氏が築城。
立原堀内城〒369-1231 埼玉県大里郡寄居町立原立原氏が築城。
箱石城〒369-1205 埼玉県大里郡寄居町末野鎌倉時代に藤田氏が築城。
藤田城〒369-1205 埼玉県大里郡寄居町末野花園城ともいう。平安時代に藤田政行が築城。
不動寺城〒369-1216 埼玉県大里郡寄居町富田無動寺城ともいう。平安時代に不動寺太郎が築城。
水野城〒369-1211 埼玉県大里郡寄居町赤浜昌国寺城ともいう。北條家臣水野長勝が築城。水野長勝徳川家康の従兄弟。
岡部城〒369-0203 埼玉県深谷市普済寺康正元年(1455年)に上杉房顕が築城。岡部忠綱の孫岡部忠澄が居城とした。
横瀬城〒366-0009 埼玉県深谷市横瀬 
庁鼻和城〒366-0033 埼玉県深谷市国済寺国済寺城ともいう。室町時代に上杉憲顕の六男上杉憲英が築城。上杉憲英上杉憲光上杉憲信とつづき、康正2年(1456年)に上杉憲房が深谷城を築城し移住。
深谷城〒366-0823 埼玉県深谷市本住町木瓜城ともいう。康正2年(1456年)に上杉房憲が築城。
東方城〒366-0041 埼玉県深谷市東方康正2年(1456年)に深谷上杉氏が築城。
秋元城〒366-0053 埼玉県深谷市秋元町上総国出身の秋元氏の城。天文10年(1541年)に秋元景朝が深谷城主上杉憲賢に仕え上杉三宿老の1人と称された。秋元景朝の子秋元長朝上杉氏憲に仕えた。天正18年(1590年)に秋元長朝は小田原城に向かった上杉氏憲にかわって深谷城を守備したが前田利家に降伏した。
伊勢方城〒366-0836 埼玉県深谷市伊勢方上杉仮城、曲田城ともいう。康正2年(1456年)に上杉房憲が築城。岡谷香丹が改修して曲田城と改めた。
内ヶ島城〒366-0831 埼玉県深谷市内ケ島平安時代に岡部忠綱の子内ヶ島国綱(内ヶ島五郎)が築城。岡部忠澄内ヶ島国綱の甥にあたる。内ヶ島国綱の子には内ヶ島忠俊蓮沼国家らがいる。
小内城〒366-0834 埼玉県深谷市曲田桜田馬場が居城とした。岡谷家臣の小内氏の城。天正18年(1590年)に小内外記之助が居城とした。
大沼城〒366-0828 埼玉県深谷市東大沼戦国時代の大沼繁忠(大沼弾正忠)の城。永禄12年(1569年)に北條氏と上杉氏の同盟が破れると上杉憲盛は上杉氏に与した。元亀3年(1572年)に北條氏と武田氏の連合軍が深谷城に攻め入るなか、岡谷清英の活躍で深谷城を死守したが、後に北條氏の軍門に降った。
木之本城〒366-0035 埼玉県深谷市原郷深谷上杉氏が戦国時代に築城。
皿沼城〒366-0029 埼玉県深谷市上敷免上敷免城ともいう。深谷上杉氏の三宿老の岡谷氏、秋元氏、井草氏の一氏、岡谷氏の城。延徳3年(1491年)に岡谷香丹(岡谷加賀守)が築城。
幡羅城〒366-0035 埼玉県深谷市原郷平安時代に幡羅道宗(幡羅太郎)が築城。
人見城〒366-0811 埼玉県深谷市人見平安時代に人見政経(人見六郎)が築城。
曲田城〒366-0835 埼玉県深谷市谷之谷之城ともいう。岡谷香丹(岡谷加賀守)が皿沼城を子の岡谷清英に譲り曲田城を居城とした。元亀元年(1571年)に死去。
河辺城〒369-0223 埼玉県深谷市榛沢榛沢丹氏の城。
黒田城〒369-0201 埼玉県深谷市岡享保17年(1732年)に黒田直邦(黒田豊前守)が築城。
源勝院城〒369-0211 埼玉県深谷市岡部平安時代に岡部氏が築城。
榛沢城〒369-0222 埼玉県深谷市後榛沢武蔵七党の榛沢丹氏の城。榛沢成房の子榛沢成清が築城。
六反田城〒369-0223 埼玉県深谷市榛沢榛沢丹氏の城。
畠山城〒369-1107 埼玉県深谷市畠山畠山重能が平安時代に築城。
本田城〒369-1105 埼玉県深谷市本田畠山重忠の家臣本田親常(本田次郎)が築城。本田長繁が深谷城主上杉氏憲に仕えている。本田長繁の子本田長親は北條氏に仕えた。
飯塚城〒369-1241 埼玉県深谷市武蔵野猪俣政家の子藤田政行からはじまった藤田氏の城。藤田能兼の三男飯塚氏行が居城とした。
小前田城〒369-1246 埼玉県深谷市小前田御前田城ともいう。藤田能兼の次男小前田信国が居城とした。天正18年(1590年)に小前田越前守が討死。
別府城〒360-0852 埼玉県熊谷市東別府平安時代に成田助高の次男成田行隆が別府を本拠とした。
熊谷城〒360-0047 埼玉県熊谷市仲町平安時代に私市直季が熊谷氏を称し築城。
玉井城〒360-0853 埼玉県熊谷市玉井平安時代に成田助高の四男玉井助実が築城。
奈良城〒360-0805 埼玉県熊谷市上奈良平安時代に成田助高の三男奈良高長が築城。北條家臣奈良兵衛尉奈良左近将監に従い軍功をあげた。
成田城〒360-0012 埼玉県熊谷市上之延徳元年(1489年)に成田親泰が忍氏を滅ぼして行田に移り忍城主となった。
西別府城〒360-0857 埼玉県熊谷市西別府平安時代に西別府氏が築城。成田助高の次男西別府行隆が築城。
東別府城〒360-0852 埼玉県熊谷市東別府成田助高の次男成田行隆が居城とした。
北廓城〒369-0105 埼玉県熊谷市箕輪 
須賀広城〒360-0102 埼玉県熊谷市須賀広田村城ともいう。
広澤城〒360-0115 埼玉県熊谷市成沢大永5年(1525年)に上杉憲政家臣の成澤義祐が築城。
増田城〒360-0101 埼玉県熊谷市野原野原城ともいう。増田重富の城。
羽生城〒348-0052 埼玉県羽生市東天文年間(1532〜1555年)に広田直繁が築城。広田直繁と弟木戸忠朝はともに古河公方に仕えていたが北條氏の侵攻で羽生城も攻略された。北條家臣中條出羽守が城代をつとめた。永禄3年(1560年)に越後長尾氏が関東へ出陣すると広田氏と木戸氏ら兄弟は長尾景虎に与して小田原攻めに出陣。軍功をあげた。
平野城〒348-0065 埼玉県羽生市藤井下組戦国時代に平野氏が築城。
堀越城〒348-0064 埼玉県羽生市藤井上組藤井修理菅原直則鷺坂道可らが居城とした。
須賀城〒361-0004 埼玉県行田市須加 
忍城〒361-0053 埼玉県行田市水城公園亀城ともいう。文明10年(1478年)に成田正等が築城。延徳2年(1490年)に成田親泰が築城。戦国時代に成田長泰は山内上杉氏に与した。長尾景虎が関東に進出すると従うが、鎌倉鶴岡八幡宮での関東管領就任式典で下馬しなかったため不和となり北條氏康に臣従。
皿尾城〒361-0063 埼玉県行田市皿尾永禄4年(1561年)に長尾景虎が築城。木戸玄斎が城代となった。
行田城〒361-0077 埼玉県行田市忍鎌倉時代に行田氏が築城。延徳元年(1489年)に忍大烝を滅ぼした成田親泰が行田に忍城を築城した。
花崎城〒347-0032 埼玉県加須市花崎戦国時代に粟原城主細萱光仲が築城。北條氏に与した細萱光仲は11歳になった子細萱泰秀を守将とし小田原城へ加勢し長尾氏と交戦。花崎城は長尾氏に攻められ落城した。
油井城〒347-0026 埼玉県加須市油井ケ島鐘撞山城ともいう。猪俣則綱が居城とした。
門井城〒347-0015 埼玉県加須市南大桑天正10年(1582年)に足利義氏の家臣石川信濃守が築城。
河口城〒347-0014 埼玉県加須市川口鎌倉時代に河口経保が築城。河口経保の子河口重綱も居城とした。
設楽城〒347-0044 埼玉県加須市礼羽天正18年(1590年)に設楽貞清が築城。
札羽城〒347-0044 埼玉県加須市礼羽鎌倉時代に礼羽次郎が築城。
騎西城〒347-0104 埼玉県北埼玉郡騎西町根古屋私市城、根古屋城、山根城ともいう。元亀2年(1572年)に小田顕家が種垂城から移住。小田顕家成田親泰の次男成田助三郎を養子とした。
多賀谷城〒347-0122 埼玉県北埼玉郡騎西町内田ケ谷 
菖蒲城〒346-0105 埼玉県南埼玉郡菖蒲町新堀 
栗原城〒346-0012 埼玉県久喜市栗原粟原城ともいう。
幸手城〒340-0115 埼玉県幸手市中 
天神島城〒340-0152 埼玉県幸手市天神島 
久喜城〒346-0005 埼玉県久喜市本町甘棠院城、足利政氏館ともいう。永正15年(1518年)に足利政氏が築城。
粟原城〒340-0217 埼玉県久喜市鷲宮鷲宮城ともいう。

[back] [list] [random] [next]






小助官兵衛の部屋トップへ