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『シリアナ』 ★★★★☆ 原題:Syriana 監督・脚本:スティーブン・ギャガン 原作:ロバート・ベア 撮影:ロバート・エルスウィット 音楽:アレクサンドル・デブラ 出演:ジョージ・クルーニー、マット・デイモン、ジェフリー・ライト 2005年アメリカ映画/2時間8分 配給:ワーナー・ブラザース映画 |
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シリアナは石油企業とCIAの話。国際問題に意識ある人にはオススメです。でも世界史履修してないと難しいかな。監督はあの複数の話がバラバラに進行して最後は一つに収束する「トラフィック(監督:スティーブン・ソダーバーグ)」を脚本した人。シリアナも複数の話が同時進行して少し複雑ですが、公式HPの解説を見ればだいたいわかるようになってます。映画は元CIAの中東担当諜報員ロバート・ベアの実話小説がもとになっており、とてもリアル。007のように強くもなく華麗でもない、息子の学費のためにCIAの現地スタッフとして働く中年太りしたおっちゃんが主人公です。そんな哀愁漂うリアルさで★4つは文句なしです! 「シリアナ」とはシリアとイラクとイランを統一国家とした場合の仮想国家名で、アメリカのシンクタンクが使う用語らしい。なぜシンクタンクがこんな妄想してるのかというと、これらの反米国家を鎮圧して一つの穏健な国家にして石油を安定供給させようと目論んでるから。その目論見の前には現地のアラブ人ペルシャ人のことなどの事情など一切考えていない。石油のためにある国家を潰すことさえ厭わないアメリカの傲慢さ溢れる用語といえるでしょうか・・・。とはいえ、そもそもイラクやヨルダン、シリアなどは、イギリスがオスマントルコを分裂させ諸部族を独立させて適当に作った国なので、これを新たに改変するという考えが自然に出てくるのかもしれません。 現在世界でもっとも稼ぐ業種はアメリカの金融企業と石油企業ですが、それらの企業は国際的に活動するゆえにネオコンと考え方が近くならざるをえません。これらの企業はアメリカの稼ぎ頭でありアメリカの国益そのものでありますから、アメリカ政府は彼らを守るためにCIAも動かします。しかしCIAは時に政府の知らないところで石油会社から直接命令を受けて行動しさえします。暗殺や兵器密売という命令がアメリカの企業の働きかけによってアメリカ政府の機関が行ってしまうという恐ろしいことがありうるのです。映画では、CIA副長官が知らないうちに部下である女性本部長がナシール王子暗殺計画を実行してしまうという場面があります。実際、アメリカは統率された政府などではなく、各機関があらゆる方面からの圧力をうけバラバラに行動する傾向が出ているようです。 さて、そんなこんなで、本部長に指示され暗殺計画を進めていたボブは失敗し、敵に捕まり拷問されてしまいます。(ここで中国政府が法輪講にやった拷問の話が出てくるが、これはネットに画像があるので検索したい人はどうぞ)ボブみたいな長年現地で活動してきたCIA工作員はそんな上層部の分裂状態など知りません。アメリカのためと思って毎回任務を遂行するのですが、実はその命令は石油会社の意を汲んだものだと最後に知ることになります。石油会社はCIAに影響力をもつCLI自由化委員会に委員を派遣し、誤った情報(石油会社に刃向かうアラブ人はテロリスト支援者)を提供しCIAを操っていたのです。CIAもその情報が誤りと知りつつも国益のために利用します。このように国際的大企業とアメリカ政府の馴れ合いの中で暗殺計画は進んで行き、中東で血が流されることになるのですが、それは巡り巡ってテロという形でアメリカに戻ってきます。 映画の中で、米政府高官はこう言います。「イランが宗教色の薄い、貿易を優先する穏健な国になりうるとの予測はたちますか?」 ようするに石油を安定供給させたいのです。そのために中東に宗教色を排した、民主的で穏健な商業国家(日本のような)を建設し、それを中東各国に波及させるのがアメリカの長期的戦略です。アジアの民主化作戦は、日本という優等生がいたため、60年以上かかってようやく成功に向かい始めていますが、中東では優等生がいないためなかなか成功する気配がありません。それは石油利権をめぐってアメリカ自身の石油会社が暗躍するからです。映画では、改革派であるナシール王子が石油をアメリカ企業に独占さえないつもりだという理由で、アメリカの石油会社が王子をテロ支援者認定してCIAが暗殺してしまいます。このように、中東の民主化の改革をアメリカ自身が石油欲しさに邪魔してしまうという現実があるのです。(アメリカとしては自主独立路線で民主化されるよりは、親米路線の独裁者に統治させその独裁者を脅すことで石油を安定供給させるほうを選びがちなのです。) しかし、民主化を阻害することでその国の経済発展や教育や福祉を遅らせることになり、無知で貧乏な庶民は過激なテロリストに説得されやすくなってしまう。そしてアメリカにテロが行われる。結局、巡り巡って自分自身に跳ね返ってきたのです。(こういうのをブローバック現象というらしい。) 一部の人間の決定が他の人間を不幸にし、不幸になった人間が他の人を傷つける。まるで、全ての人が一つのシステムの中で動いているかのようですね。大きな流れのまえで人間は翻弄されるしかないのでしょうか。 ちなみに、この映画に出てくる人たちはことごとく家族的に描かれています。暗殺に加担する人も、暗殺される人も、テロリストも、みんな自分の家族を大切にしているのです。CIAの職員が暗殺計画の話をしてる途中で「娘の運動会があるから」と言って退席するなど、なんとも皮肉です。監督が登場人物を身近に感じて欲しいためにあえてそうしたらしいのですが、ビンゴ!って感じです。このように家族を大切にする人たちが一方で他の人たちを不幸にしているという悲劇。ラストのテロリストのシーンでは涙を流さずにはいられません。これが現実に限りなく近いと感じさせるために余計やばい。 それにしても、CIAの内勤の官僚などは書類上で物事を決めるから、暗殺計画をこともなげに決断できるのでしょうか。ナチスのアイヒマン(ただの一官僚としてユダヤ人移送にサインしたが、結果的に虐殺に協力したと見なされてイスラエルに処刑された人)と似ているように感じました。 |