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■ 『アレキサンダー』



『アレキサンダー』
★★★☆☆
監督:オリヴァー・ストーン
脚本:オリヴァー・ストーン、クリストファー・カイル、レータ・カログリディス
音楽:ヴァンゲリス
出演:コリン・ファレル、アンジェリーナ・ジョリー、ヴァル・キルマー、アンソニー・ホプキンス、ジャレッド・レトー、ロザリオ・ドーソン、ジョナサン・リス=マイヤーズ、ゲイリー・ストレッチ、クリストファー・プラマー、ジョセフ・モーガン
2004年アメリカ映画/173分




リベラル派の巨匠であるオリバー・ストーン監督の歴史大作で、 紀元前300年代、ギリシャの英雄アレキサンダーがペルシャ帝国を倒し、インドまで遠征するという話です。一見、リベラルとは何の関連もない映画のように思えますね。オリバー・ストーン監督自身は、この作品は政治映画ではないと言っていましたが、私は政治映画として見なければ気がすみません! 公開当時は9・11〜アフガン戦争〜イラク戦争とかで「ネオコン」という単語がよく使われていたと思います(ちなみにネオコンという単語を日本に初めて紹介したのは我らが副島隆彦先生であります!)。そこで今回はネオコンと絡めてこの映画を見ていきたいと思います。絡めてこその★3つです!(いや、歴史映画として見ても、ファランクス陣形や戦象が出てくるので歴史マニアにはばっちりストライクゾーンですが)
 まず史実としてのアレキサンダーはどうだったかというと、彼の出身国マケドニアはギリシャ諸都市の北に位置しており野蛮な国として見られていましたがアレキサンダーの代で軍事力でギリシャ諸都市を征服、さらにはペルシア帝国さえも征服、さらにインドまで侵入してしまいます。しかし、インドにまで来たところでギリシャ人兵士たちは望郷の念にかられアレキサンダーの命に刃向かいます。やむなくアレキサンダーはペルシャのバビロンまで戻りそこで病死します。
 さて、映画の中でのアレキサンダーはどうだったのでしょう。ただのホモにしか見えなかったと言う人がいますが、それはあんまりでしょうw 当時は同性愛が美しいものとされていたのでアレキサンダーが同性愛者でもそれは普通のことです。監督はアレキサンダーの少年時代を家庭環境に難のある少年として描き、青年時代は異常な母から逃れるように戦争へと突き進んでいく様を描いています。おそらく監督の描きたかったことはここに集約されているのだろうと思います。



 ここからは私の妄想になりますw アレキサンダーはペルシャを征服した後、アジア人とギリシャ人の文化の違いに関してこう言います。「彼ら(アジア人)が街中で交わるのは礼儀を知らないからだ。教えれば礼儀正しくなる。分かり合えるんだ。(筆者要約)」 これはメソポタミア地域で行われていた神殿売春のことを言っているようです。神殿売春とは、メソポタミアの女性は誰でも一生に一度は豊穣の神の神殿で売春をして豊穣の神に捧げなければならないという宗教儀式のことです。現在の我々にとっては信じられないような儀式ですが、当時のアレキサンダーも同じように思ったでしょう。それでもアレキサンダーは理解し合えるはず、と言ってのけるのです。彼は異民族に対して理解しようと努力しました。史実でもアジアの山岳部族の酋長の娘と結婚しましたし、部下たちに異民族婚を奨励しました。そのおかげかギリシャ文化とアジア文化を融合させたヘレニズム文化が花開き、その影響は日本の法隆寺にも見られると言われています。そんな彼に対して、部下たちは異民族への偏見があり、文化の融合にも否定的な態度で描かれています。そして最後は、文化と価値観の融合を説き世界の果てまで征服事業を続けたいアレキサンダーと、故郷に帰りギリシャ人として生きたい部下の衝突になるのですが、これこそは現代アメリカのネオコンとアイソレーショニストの対立を暗示しているのではないでしょうか。


 そもそもネオコンの起源はユダヤ人にあります。ソ連の人権弾圧からアメリカに亡命してきたユダヤ人ら知識人が、「人権尊重」という大義のために悪の帝国ソ連を打倒すべきだと主張したことに始まります。彼らは人権尊重という大きな目的のためには戦争や暗殺を実行すべきであり、長い目で見ればそれらは小さな犠牲に過ぎないと考える人達です。それに対して、アイソレーショニスト(孤立主義者)は、アメリカの内政こそ一番に取り掛かるべき事項で、世界の国々の人の人権など構うなという人達です。割と田舎の白人に多いらしい。反対にネオコンはニューヨークなどの金融企業、テキサスの石油企業、多国籍企業などに多いらしい。この対立の図式がアレキサンダー(ネオコン)と部下(アイソレーショニスト)に当てはまるのではないでしょうか。
 監督は、世界の辺境にまで価値観の融合を目指して戦争することに意味はあるのか? 人権保護というもっともらしい正義を掲げるネオコンは本当に正しいのか?と問いかけているように思えます。映画の中で、インドの部族長たちとアレキサンダーたちが宴会をしている場面がありますが、まるでアフガンやアフリカに駐留するアメリカ軍のようです。

 ちなみに、ラストではアレキサンダーの成し遂げた文化の融合を肯定的に捉えて終わっています。結局、監督は何が言いたかったのか?リベラル派からの卒業か?とも思えますが、物事には2つの側面があるということなのでしょう。辺境まで出かけていって戦争することに意味はないが、戦争することで結果的に文化が高まる利点はあると。


こうなったら、オリバー・ストーンの次回作「9.11」を見て判断するしかありませんね!