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■ 『ラスト・サムライ』



『ラスト サムライ』
★★☆☆☆
原題:The Last Samurai
監督:エドワード・ズウィック
脚本:エドワード・ズウィック、マーシャル・ハースコヴィッツ、ジョン・ローガン
出演:トム・クルーズ、ティモシー・スポール、ビリー・コネリー、トニー・ゴールドウィン、渡辺謙、真田広之、原田眞人、小雪
2003年アメリカ映画/154分



 村の入り口に立つ鳥居、忍者軍団の襲来など奇妙に思ったところもありましたが、アメリカ人にしてはよくがんばったほうだと思います。今まで誤解されたような映画しかなかったことを考えれば、評価していいのではないでしょうか。戦後60年が経ってようやく日本文化に対して肯定的な映画が出てきたことに意味が感じられるのであって、映画自体はフィクションだし、リアリティがイマイチということもありそれほど評価する気にはなれませんでした。騎馬武者の突撃シーンの迫力に★2つです。(日本原産馬ではなくサラブレッドに乗るのはしょうがないとして)


 この映画は、近代化に抗う保守派の戦いを描いたものですが、これに近い出来事を探すとすれば保守の中でも過激派である神風連の乱があたるでしょうか。彼らは近代化を嫌悪し、銃を持たず、鎧兜をまとって政府の施設を襲撃したと言われています。神風連はあまりに徹底した反近代化思想のため、士族の中でも理解されることが少なかったようですが、廃刀令や秩禄処分が行われ、政府に不満を持った多くの士族がやがては西南戦争をおこすことになります。西南戦争は神風連の乱と違い、銃砲や大砲を駆使した戦いなので、刀と弓で戦うラストサムライの設定とは若干離れています。すると、やはりラストサムライは(神風連のような)保守派の中でも過激な者たちによる反乱の話ということになりますね。

 それにしても、大砲や銃に対して刀や弓で戦うという時代錯誤な考えはありえるのでしょうか。300年前の戦国時代の武将、織田信長が聞いたらびっくりすることでしょう。しかし山田洋二監督「隠し剣鬼の爪」の中で、老侍が「銃など卑怯者の武器だ!刀で戦え!」と言う場面があるように、侍も平和な江戸時代を過ごす間に戦国時代の合理主義が失われ、武士道の理想化が進んでしまい、逆に戦闘技術面では退化してしまった面があるかもしれません。実際、神風連のような人達もいたわけですから。



 この映画とインディアン映画の共通点を指摘する人が多くいます。「近代化の象徴である鉄道を破壊する」「山奥に住んでいる」「人々に恐れられてる」などです。しかし実際の士族は鉄道を破壊してないし、城下町に住んでるし、町民と同じように暮らしていました。どうもインディアンを侍にしただけという感は否めません。テーマを近代化に抗う保守派の戦いとするのではなく、史実の西南戦争もしくは戊辰戦争を映画化するだけのほうがドラマチックでりっぱなものができたように思います。西南戦争までの西郷隆盛の苦心、熊本城内の政府軍の孤立、田原坂の激戦、政府軍士族の抜刀突撃。戊辰戦争では白虎隊や奥羽列藩同盟の奮戦など。そこに架空の雇われ外国人指揮官を設定するだけで感動的な物語はできるでしょう。映画の中で、現在の日本はどれだけの犠牲の上にここまでの国になったかを忘れてはいけないと言うセリフがありますが、そう言うなら西南戦争や戊辰戦争こそ映画化して欲しかったです。



 劇中で南北戦争とインディアン戦争で有名なカスター将軍が出てきます。彼は今でもアメリカでは女子供のインディアンを殺した虐殺者か、260人で数千人のインディアンと戦った英雄かで評価が割れてますが、それを勝元が「英雄だ」と肯定したのは複雑な事情を知ってるアメリカ人は苦笑いするとともに、武士道とは野蛮な考え方なのだと感じたかもしれません。(斬首の場面もありましたし。)その後、ネイサン(トム・クルーズ)を通して侍のストイックさを見ていくことで、偏見が薄れていくという過程を味わったことでしょう。この見せ方はベタです。
 また、フィクションということもあって、映画チックすぎるところが目につきました。夫を殺した相手に妻が好意を寄せるなどトムみたいなイケメンでもありえないし、髷を切られて号泣したり、勝元を称え全員が土下座するシーンも違和感ありまくりだし、最後にアメリカの要求を退ける日本政府など皮肉にさえ感じてしまいます。やはり★2つです。