×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


穴山安治(小助)が独断と偏見で選ぶ武田二十四将

[滋野一党]トップページへ戻る

サイト内検索
(小助官兵衛の部屋のなかで検索します)

Powered by Google

穴山安治(小助)が分析した武田二十四将の候補たちです。

[親族(一門)衆]
多田満頼 1501〜1563年   勝沼信友 1495〜1535年 ×  小笠原長行 1509〜1560年 ×
多田正春 1521〜1575年   勝沼信元 1526〜1560年 ×  小笠原長高 1488〜1550年 ×
多田正勝 1551〜1575年 ×  勝沼信厚 1528〜1582年 ×  小笠原長棟 1492〜1542年 ×
多田昌俊 1525〜1575年   油川信貞 1496〜1560年 ×  小笠原長時 1519〜1583年 ×
多田三吉 1529〜1575年   油川信友 1500〜1561年 ×  小笠原信定 1521〜1565年 ×
多田昌頼 1534〜1582年   油川信連 1522〜1561年   跡部信秋 1500〜1560年 ×
馬場虎貞 1490〜1530年 ×  油川顕重 1527〜1575年 ×  跡部勝忠 1503〜1575年 ×
贄川重有 1535〜1584年 ×  岩手胤美 1502〜1561年 ×  跡部重政 1523〜1575年 ×
原昌俊 1488〜1549年   岩手胤秀 1522〜1575年 ×  跡部昌忠 1528〜1565年 ×
原昌胤 1526〜1575年   諸角虎定 1480〜1562年   跡部昌秀 1509〜1565年 ×
原昌栄 1546〜1600年 ×  穴山信永 1477〜1513年 ×  跡部昌長 1529〜1565年 ×
木曾義在 1493〜1558年 ×  穴山友勝 1502〜1550年 ×  小笠原信貴 1502〜1585年 ×
木曾義康 1514〜1579年 ×  穴山信綱 1480〜1531年   岩尾行真 1469〜1540年 ×
木曾義昌 1540〜1595年 ×  穴山信友 1514〜1560年   岩尾行頼 1489〜1542年 ×
木曾義豊 1543〜1611年 ×  穴山信君 1541〜1582年   岩尾行範 1509〜1575年 ×
木曾義貫 1545〜1575年 ×  穴山信堯 1482〜1540年 ×  大井貞隆 1514〜1547年 ×
上松政行 1495〜1550年 ×  穴山信風 1484〜1540年 ×  大井貞清 1520〜1547年 ×
上松政春 1497〜1550年 ×  穴山基信 1485〜1540年 ×  大井信隆 1485〜1543年 ×
津金胤時 1510〜1570年   曽根信利 1498〜1540年 ×  平賀源心斎 1489〜1537年 ×
小尾祐光 1530〜1590年 ×  曽根政利 1518〜1583年   平賀政勝 1509〜1537年 ×
津金胤久 1532〜1600年 ×  曽根政基 1538〜1575年 ×  大井政継 1511〜1547年 ×
跡部久次 1535〜1600年 ×  曽根昌長 1485〜1540年 ×  平賀元徳 1513〜1547年 ×
津金久清 1537〜1600年 ×  曽根虎長 1505〜1560年   平賀元貞 1514〜1547年 ×
飫富道悦 1460〜1515年 ×  曽根虎吉 1535〜1560年 ×  平賀元成 1516〜1600年 ×
飫富昌義 1480〜1530年 ×  曽根昌世 1546〜1630年 ×  森山重定 1520〜1570年 ×
飫富虎昌 1504〜1565年   武田信保 1485〜1534年 ×  平原幡繁 1512〜1543年 ×
飫富昌景 1530〜1575年   武田信隆 1512〜1551年 ×  一戸政連 1511〜1581年 ×
甘利虎泰 1498〜1548年   武田信応 1515〜1564年 ×  八戸治義 1495〜1540年 ×
甘利昌忠 1534〜1565年   江草信正 1501〜1532年 ×  新田政盛 1500〜1570年 ×
甘利信康 1535〜1575年 ×  江草信恒 1506〜1582年 ×  北到愛 1503〜1566年 ×
板垣善満 1469〜1590年 ×  江草恒興 1526〜1622年 ×  北信愛 1523〜1613年 ×
板垣信方 1489〜1548年   今井信房 1475〜1515年 ×  南部安信 1493〜1541年 ×
板垣信憲 1511〜1552年 ×  今井信甫 1485〜1575年 ×  南部晴政 1517〜1582年 ×
板垣昌守 1496〜1564年   今井信良 1511〜1575年 ×  石川高信 1495〜1581年 ×
板垣昌信 1521〜1582年 ×  今井虎甫 1489〜1575年 ×  南長義 1497〜1590年 ×
板垣信基 1523〜1582年 ×  今井信是 1477〜1532年 ×  石亀信房 1499〜1583年 ×
逸見経高 1498〜1581年 ×  今井虎意 1497〜1548年   毛馬内秀範 1501〜1585年 ×
逸見昌経 1522〜1581年 ×  今井貞恵 1500〜1548年 ×  野沢重義 1468〜1540年 ×
小宮山昌清 1490〜1550年   今井信元 1484〜1575年 ×  堤光康 1469〜1530年 ×
小宮山昌友 1519〜1564年   今井信員 1511〜1575年 ×  堤経行 1489〜1540年 ×
小宮山友晴 1542〜1615年 ×  今井信隣 1486〜1575年 ×  大光寺政行 1496〜1572年 ×
小宮山虎景 1520〜1575年   倉科朝軌 1511〜1570年 ×  横田高松 1488〜1550年
小宮山友信 1523〜1575年   古屋満忠 1485〜1548年 ×  久慈信義 1521〜1570年 ×
小宮山忠房 1525〜1575年   小原満長 1510〜1548年 ×  大浦政信 1497〜1541年 ×
  小原広勝 1531〜1582年   大浦為則 1520〜1567年 ×
武田信虎 1494〜1574年 ×  小原忠次 1534〜1582年   七戸直国 1517〜1570年 ×
武田晴信 1521〜1573年   小原光継 1511〜1548年 ×  櫛引清長 1520〜1591年 ×
武田義信 1538〜1567年 ×  巨海信方 1482〜1540年 ×  九戸信仲 1514〜1568年 ×
武田信親 1541〜1582年 ×  栗原政長 1483〜1540年 ×  伴野信豊 1490〜1520年 ×
武田信之 1543〜1590年 ×  栗原忠重 1503〜1560年 ×  伴野信友 1510〜1575年 ×
武田勝頼 1546〜1582年   栗原清次 1523〜1575年 ×  於曽信安 1534〜1615年 ×
武田盛信 1557〜1582年   栗原信友 1504〜1575年 ×  曽根虎盛 1509〜1565年
武田信貞 1558〜1582年 ×  栗原昌清 1505〜1552年 ×  米倉重継 1519〜1582年
武田信繁 1525〜1561年   栗原詮冬 1525〜1575年   浅利信種 1526〜1564年
武田信頼 1545〜1561年 ×  布施信慶 1485〜1540年 ×  村上義益 1517〜1548年 ×
武田信豊 1547〜1582年 ×  大井信達 1474〜1552年 ×  村上義忠 1505〜1535年 ×
武田信頼 1551〜1575年 ×  大井信業 1494〜1553年 ×  村上武吉 1533〜1604年 ×
武田信豊 1526〜1541年 ×  大井信為 1514〜1553年 ×  村上隆重 1512〜1588年 ×
武田信廉 1528〜1582年   大井信常 1496〜1553年 ×  村上康吉 1491〜1567年 ×
武田信是 1530〜1571年 ×  武藤信堯 1502〜1553年 ×  村上通康 1519〜1567年 ×
武田宗智 1532〜1603年 ×  大井虎昌 1504〜1560年   村上吉直 1496〜1550年 ×
武田信実 1538〜1575年   大井常昭 1509〜1587年 ×  村上尚吉 1518〜1565年 ×
武田信龍 1539〜1582年   山縣虎清 1495〜1530年   村上義清 1503〜1573年 ×
  山縣頼冬 1483〜1550年 ×  村上頼平 1505〜1564年 ×
  蠣崎義広 1479〜1545年 ×  村上義兼 1509〜1564年 ×
  蠣崎季広 1507〜1595年   村上義利 1505〜1560年 ×
  武田元光 1494〜1538年 ×  村上義勝 1507〜1560年 ×
  山縣秀政 1513〜1560年 ×  屋代基綱 1480〜1540年 ×
  武田信豊 1514〜1561年 ×  屋代正重 1500〜1560年 ×
  武田信重 1516〜1570年 ×  上条織部 1502〜1567年 ×
  武田信実 1517〜1585年 ×  栗田国時 1501〜1573年 ×
  内藤信政 1520〜1570年 ×  井上清忠 1497〜1549年 ×
  武田光和 1480〜1540年 ×  井上清政 1517〜1573年 ×
  伴光広 1488〜1534年 ×  高梨房光 1480〜1550年 ×
  伴信重 1508〜1544年 ×  高梨忠直 1500〜1562年 ×
  初鹿野高利 1505〜1548年   高梨国政 1520〜1580年 ×
  初鹿野忠次 1534〜1561年 ×  高梨澄頼 1488〜1547年 ×
  岩崎信為 1480〜1530年 ×  高梨政頼 1508〜1559年 ×
  岩崎勝秀 1500〜1550年 ×  高梨定満 1510〜1570年 ×
  岩崎政長 1520〜1550年 ×  高梨清秀 1512〜1570年 ×
  駒井高白斎 1481〜1561年   高梨玄俊 1515〜1570年 ×
  駒井昌直 1511〜1582年   須田信正 1513〜1564年 ×
  青木信種 1480〜1541年 ×  山本貞家 1505〜1570年 ×
  青木信立 1500〜1541年 ×  山本貞重 1507〜1560年 ×
  青木信時 1520〜1590年 ×  山本豊守 1509〜1577年 ×
  横手信国 1522〜1590年 ×  山本勘助 1493〜1561年
  青木信久 1523〜1590年 × 
  青木信俊 1524〜1590年 ×  内藤虎資 1500〜1548年
  青木信実 1526〜1590年 × 
  曲淵信次 1528〜1590年 × 
  青木信秀 1533〜1582年 × 
  山寺信明 1505〜1570年 × 
  青木満懸 1507〜1570年 × 
  柳沢貞興 1485〜1540年 × 
  柳沢信房 1505〜1560年 × 
  小沢昌光 1508〜1549年 × 
  小沢貞利 1528〜1575年 × 
  教来石信保 1495〜1560年  
  教来石信房 1515〜1575年  
  教来石信頼 1517〜1575年  
  秋山信任 1507〜1548年  
  秋山信友 1527〜1575年  
  秋山忠国 1509〜1550年  
[譜代衆]
工藤虎豊 1490〜1537年   荻原昌勝 1461〜1533年   石原守繁 1490〜1550年 ×
工藤昌祐 1520〜1582年   日向昌時 1491〜1590年   三枝守綱 1491〜1564年 ×
工藤昌豊 1522〜1575年   加津野昌世 1513〜1565年 ×  三枝虎吉 1511〜1584年
加藤虎景 1492〜1560年   上原昌辰 1514〜1552年   三枝守友 1539〜1575年
加藤景忠 1522〜1575年   上原昌行 1538〜1582年 ×  立河守実 1510〜1580年 ×
才間河内 1483〜1548年 ×  上原辰行 1540〜1615年 ×  鮎川勝繁 1507〜1565年 ×
今福浄閑斎 1513〜1575年   上原昌貞 1515〜1552年 ×  鮎川光吉 1527〜1575年 ×
広瀬景昌 1518〜1575年 ×  上原盛昌 1516〜1575年 ×  楠蒲虎常 1509〜1565年
長坂虎房 1524〜1582年 ×  春日大隅 1496〜1561年 ×  安間弘家 1531〜1561年 ×
長坂英信 1530〜1575年 ×  春日虎綱 1527〜1578年   五味長遠 1530〜1575年 ×
長坂勝繁 1537〜1565年 ×  春日助宣 1529〜1575年 ×  富田対馬 1472〜1556年 ×
辻盛昌 1532〜1575年 ×  鯰江頼母 1479〜1547年 ×  曲淵吉景 1517〜1593年 ×
金丸虎嗣 1491〜1550年   土屋昌遠 1480〜1540年 ×  小幡盛次 1471〜1519年
金丸虎重 1511〜1530年   土屋直規 1500〜1575年 ×  小幡虎盛 1505〜1561年
金丸虎義 1518〜1572年   土屋知貞 1520〜1575年 ×  小幡昌盛 1534〜1582年
金丸昌直 1542〜1563年 ×  原友胤 1477〜1520年 ×  小幡光盛 1541〜1575年 ×
金丸昌次 1545〜1575年 ×  原虎胤 1497〜1564年   小幡貞長 1510〜1575年 ×
金丸昌詮 1546〜1575年 ×  原康景 1524〜1575年   市川義信 1500〜1550年 ×
金丸昌義 1548〜1582年 ×  原勝重 1527〜1575年 ×  市川昌房 1520〜1565年 ×
金丸定光 1552〜1582年 ×  原盛胤 1530〜1575年 ×  漆戸虎光 1512〜1565年
金丸昌忠 1553〜1582年 ×  小山田信有 1488〜1533年   桜井信貞 1523〜1575年 ×
金丸正直 1554〜1582年 ×  小山田信有 1519〜1552年  
金丸親久 1555〜1582年 ×  小山田信茂 1545〜1582年 × 
金丸昌恒 1556〜1582年 ×  小山田信義 1523〜1549年 ×  加藤段蔵 1503〜1599年 ×
[外様衆]
真田幸隆 1513〜1574年   小幡憲重 1505〜1575年   依田信守 1521〜1575年 ×
真田信綱 1537〜1575年   小幡重貞 1523〜1575年 ×  依田信蕃 1548〜1583年 ×
真田昌輝 1543〜1575年   小幡信貞 1541〜1592年 ×  保科正俊 1509〜1593年
真田昌幸 1547〜1611年   矢崎頼満 1516〜1578年 ×  相木昌朝 1521〜1587年 ×
真田信幸 1566〜1658年 ×  矢島満清 1499〜1551年 ×  田口良能 1520〜1548年 ×
真田幸村 1567〜1615年 ×  守矢頼真 1500〜1550年 ×  片桐信正 1500〜1550年 ×
真田信尹 1547〜1631年   金刺昌春 1490〜1552年 ×  片桐政忠 1520〜1582年 ×


〜小助が独断と偏見で選び出す〜


[親族(一門)衆]のなかでも、武田姓を敢えて24人に入れないというのがわたしの理想です。 『武田二十四将』という言葉がある以上は、24人を選ぶしかないわけで、いざ選ぶといっても、どの武将が適しているか…限定するのはすごく難しい。 ましてや、すでに様様な書物で選び出されているので固定観念もあります。
武田晴信を中心とする編成が一番常識的なのだろうと思います。しかし厳密に言えば、武田晴信は当主(総大将)ですから、武将ではありません。 わたしは少しでも多く家臣から選び出し、“豪華な武田騎馬軍団”を編成したいわけです。 武田姓は入れず、家臣だけで編成するというのは、ある意味格好いい!!と思うのはわたしだけでしょうか(笑)
一般的に選び出される武将たちは、川中島合戦など信濃侵攻での合戦で活躍した武功派が多い。 ですが、武田家を支えたのは何も武名の高い武将たちだけではありません。そこで様様な角度からこの『武田二十四将』を選び出したいと思うのです。

@[年齢]
まずは、上のわたしが分析した表をもとに確認していこうと思います。
◎の青字の武将は武名からしてもほぼ100%選び出されるだろうと思われる武将です。 彼らをもとに24人を選び出すことになるわけですが…。現段階で[親族(一門)衆]らは7人。続いて[譜代衆]らは4人。そして[外様衆]は1人となっています。 すでに12人…つまり半分も決まってしまっているわけです。いきなり半分も決まってしまっていると、残りの半分をどう選ぶかって結構難しい(笑)
では、早速年齢を見ていこうと思います。

横田高松  1488年      このような順番になります。
板垣信方  1489年      
原虎胤   1497年      1番早く生れている横田高松から、
甘利虎泰  1498年      最後の飫富昌景までは実に42歳も離れています。
多田満頼  1501年      
小幡虎盛  1505年      ちなみに1番早く死んでいるのは、
真田幸隆  1513年      板垣信方と甘利虎泰の1548年です。
教来石信房1515年      
工藤昌豊  1522年      このような事実からも、残りの12人は、
秋山信友  1527年      1548年までに元服している武将…。
春日虎綱  1527年      あるいは少なくとも生れていなければならないと考えます。
飫富昌景  1530年      

であるからして、1530年頃までに生まれ、1540年代には活躍していた武将。 つまりは武田晴信が父武田信虎を駿河へ追放し、信濃侵攻とともに村上家と壮絶に戦い、 武田晴信とともに成長し、武田家を盛り上げてきた武将でなければならないといえます。 やはり武田家といえば川中島の合戦!!川中島合戦で活躍した武将が、 真の武田二十四将なのではないでしょうか。
別に、生年がバラバラでもいいじゃないか…と思う人もいるでしょう。 一般的な24人は、武田晴信が生きていた頃の有名な家臣というだけで決まっています。 しかし戦国時代での武田家最盛期と言えばやはり武田晴信が生きていた時代であり、 またその武田晴信村上義清と戦った合戦、もしくは長尾景虎と戦った川中島合戦の時期こそが武田家にとっての全盛期であると思います。
ここはこだわりを持って“武田家を支えた武将”を厳選したいと思うのです。

ここで脱落する、一般的には入っていてもおかしくはないだろうと思われる武将は、この17名。
穴山信君  1541年      ここで名前が挙がった武将は、
金丸昌直  1542年      武田家を支えた武将…というよりは、
金丸昌次  1545年      武田晴信の小姓や側近から、
金丸昌詮  1546年      むしろ武田勝頼の代になって活躍した武将が多いでしょう。
金丸昌義  1548年      
金丸定光  1553年      金丸昌次と金丸昌恒は両者とも後に土屋家と継ぎ、
金丸昌恒  1556年      一般的に二十四将に含まれることが多いわけですが、
跡部勝資  1547年      やはり彼らも武田勝頼の代に活躍したと言えます。
今福友久  1539年      
小山田信茂1545年      
曽根昌世  1546年      
三枝守友  1539年      
上原昌行  1538年      
真田信綱  1537年      この中で、1番年長の真田信綱にしても、
真田昌輝  1543年      元服し活躍を始める頃には、
真田昌幸  1547年      板垣信方や横田高松はすでに死んでいないわけです。
真田信尹  1547年      

特に曽根昌世、三枝守友、真田昌幸は晴信から『我が両目の如き者』といわれた小姓もしくは側近であったわけです。 三枝守友や穴山信君らにしても、元服してから川中島合戦に出陣したとしてもせいぜい初陣の頃だったでしょう。 そして穴山信君にしても、小山田信茂にしても最後には武田勝頼を裏切って、武田家滅亡の一因を起こしています。 真田信綱を入れるのであれば、三枝守友辺りもギリギリ範囲内となるのですが、武田晴信と信濃侵攻を強調するためにはあえて外すことにします。

A[武勇]
では、続いていかに武田家を盛り上げてきた武将が漏れているか見てみましょう。
特に武名の高い武将を挙げてみました。次の19名です。

荻原昌勝  1461年      [年齢]のところでも言ったことですが、
小幡盛次  1471年      武田晴信の代であることが第一前程となります。
諸角虎定  1480年      荻原昌勝は武田晴信が元服する頃には病没しています。
日向昌時  1491年      初鹿野高利や日向昌時、上原昌辰らは
加藤虎景  1492年      信濃侵攻や村上家との戦いでも、大いに活躍しています。
飫富虎昌  1504年      
初鹿野高利1505年      
小幡憲重  1505年      小幡憲重は上野の国人であったため、
保科正俊  1509年      武田家に仕官したのは随分後のことです。
上原昌辰  1514年      
穴山信友  1514年      
矢沢頼綱  1518年      
小山田信有1519年      
原康景   1524年      
栗原詮冬  1525年      
浅利信種  1526年      
小原広勝  1531年      
小原忠次  1534年      
甘利昌忠  1534年      
小幡昌盛  1534年      

ここで言えることは、飫富虎昌や上原昌辰はかなり有力であり、初鹿野高利や日向昌時にしても選ばれて当然の働きはしているだろうと思います。 飫富虎昌はかつて諏訪頼満と結んで何度となく武田家と争っていますが、その後は武田家の重臣として信濃侵攻に大きな戦功をあげています。 荻原常陸守昌勝は、武田信虎の弓矢の指南役で、晴信が13歳の頃、75歳で亡くなっています。 なので二十四将には含めません。 荻原昌勝を含めるのであれば、武田信虎の家臣で有力であった小幡盛次(小幡日浄)も有力です。 諸角豊後守虎定はやはり武田信虎時代からの譜代の重臣で、永禄4年9月の川中島大合戦で壮烈な戦死を遂げています。 日向大和守昌時は信虎時代から武田家に仕え、長命にて天正年期まで生き長らえています。 加藤駿河守虎景は御旗本武者奉行であり、武田晴信へ弓矢の指南をしていて、 さらに山本勘助のような軍配者までも使いこなしていた真の武者奉行であったと、 かなり信頼されていたことが諸書から窺えます。

B[政治]
ここが一番ネックになってくるのだと思いますが、やはり政治機関で活躍した武将というのは、 有名な合戦で名前が常にあがるわけでもなく、どうしても忘れさられてしまいます…。 原加賀守昌俊は武田譜代の家老で、どちらかというと信虎時代の人でした。

原昌俊    1488年      ここで挙がった武将の中でも、特に有名なのは、
今福浄閑斎1513年      長坂釣閑斎の名で知られる長坂虎房です。
駒井昌直  1511年      諏訪郡代を歴任し家老をつとめています。
板垣信憲  1511年      しかし、彼も勝頼時代に活躍した武将です。
広瀬景昌  1518年      原昌胤は、陣馬奉行として合戦場に布陣する際、
長坂虎房  1524年      地の利、水の利など地形をよく見極めて、味方が有利に戦える
原昌胤    1526年      場所を選定する重要な役目を担っていました。

やはり24人の中に相応しいのは、原昌胤です。
要害山城を守っていた駒井昌直も城代を歴任していますが、親父の高白斎に比べると名前が出てきません。 それに駒井家はその後全く名前が出てこなくなりました。 今福浄閑斎は川中島合戦にも出陣し活躍しています。

C[智謀]
何と言っても、謀略で相手を翻弄する。戦わずして相手に勝つというのは、 武田晴信が最も得意とした戦い方ともいえるかもしれません。 山本勘助や真田幸隆など、武名で名高い武田家にも謀略を得意としている武将は大勢います。 中でも小宮山家が武田信昌時代からの譜代で、小宮山丹後守昌友は武田晴信の時代、 永禄年間の諏訪城代となり松井田城を守ったこともありました。 そして『高白斎記』で知られる駒井高白斎も、武田信虎時代から宿老的存在であり、 信濃や駿河への侵攻時には城主や城代をつとめるほどの有力家臣でした。

駒井高白斎1481年      川中島合戦などではほとんど名前が見えない駒井高白斎ですが、
山本勘助  1493年      板垣信方、甘利虎泰、飫富虎昌らと並ぶ重臣です。
小宮山昌友1519年      
米倉重継  1519年      足軽隊将の米倉丹後守重継は、苅屋原合戦に、
加藤景忠  1522年      鉄砲弾除けの竹束を工夫したことで有名です。

D[名前]
武田信虎の一字を賜り、名前に『虎』の字をもつ家臣が何人かいます。 彼らは当然、武田信虎に信頼され、武田信虎の代から活躍し、武田晴信の代でも活躍した武将は多いでしょう。 他にも虎の字をもつ武将もいますが、ここであげただけでも23人います。

青木義虎  1460年      こうして見てみると、だいたいの武将が
諸角虎定  1480年      武田晴信が生まれる前の武将で、
今井虎甫  1489年      武田信虎と同年代の武将が多く、
馬場虎貞  1490年      武田信虎が信頼し用いた武将であることが分かります。
工藤虎豊  1490年      
加藤虎景  1492年      
山縣虎清  1495年      
原虎胤   1497年      
今井虎意  1497年      
甘利虎泰  1498年      
内藤虎資  1500年      
飫富虎昌  1504年      
大井虎昌  1504年      
小幡虎盛  1505年      
曽根虎長  1505年      
曽根虎盛  1509年      
楠蒲虎常  1509年      
三枝虎吉  1511年      
漆戸虎光  1512年      
小宮山虎景1520年      
長坂虎房  1524年      
曽根虎吉  1525年      
春日虎綱  1527年      

E[人気]
こだわりを持って“武田家を支えた武将”を厳選したいので、あえてここで人気には触れない。


★結果★



(1)諸角虎定1480年 武田信繁の死に殉じた『武田信虎の叔父』
(2)駒井高白斎1481年 武田家参謀として、現在にも記録を残す『高白斎記』
(3)横田高松1488年 的確な情報収集と判断力!!『先手必勝』を武器とした頼れる足軽大将
(4)板垣信方1489年 武田晴信に武将教育を施した『武田晴信の心の師』
(5)日向昌時1491年 信濃侵攻に活躍。信虎、晴信、勝頼と3代に仕えた『日向大和守』
(6)加藤虎景1492年 武田晴信の弓矢指南役!!どんな人材でも使いこなす『旗本武者奉行』
(7)山本勘助1493年 敗れはしたが、やはり天才軍師だった『武田晴信の智恵袋』
(8)原虎胤1497年 部下10人で100人の働き!!戦の中の美学を貫いた『鬼美濃』
(9)甘利虎泰1498年 采配抜群の軍略家!!武田晴信の『軍配の師』
(10)多田満頼1501年 武田晴信秘蔵の足軽大将!!狙うは『夜襲戦』
(11)飫富虎昌1504年 甲山の猛虎!!元祖『武田の赤備え』
(12)初鹿野高利1505年 村上義清相手に壮絶な戦死を遂げた『初鹿野伝右衛門』
(13)小幡虎盛1505年 不屈の足軽大将
(14)真田幸隆1513年 謀略と根気強い内部工作を駆使して敵を撹乱!!『攻め弾正』
(15)上原昌辰1514年 城を守らせたら右に出る者はいないと言わしめた武田家の守将
(16)教来石信房1515年 『一国の太守に相応しい器量人』とうたわれた百戦錬磨の将
(17)米倉重継1519年 鉄砲弾除けの竹束を編み出した謀将
(18)小宮山昌友1519年 武田晴信に高い信頼を受けた譜代の重臣
(19)工藤昌豊1522年 固すぎる武田晴信との絆!!戦略に優れた『甲斐の副将格』
(20)栗原詮冬1525年 武田家中の重鎮!!『栗原一党』を束ねる侍大将
(21)原昌胤1526年 卓越した『陣馬奉行の才』
(22)秋山信友1527年 武田晴信側近の智将!!武田騎馬軍団の『猛牛』
(23)春日虎綱1527年 『退け弾正』作戦用兵の妙は軍団随一!!智勇兼備の侍大将
(24)飫富昌景1530年 敵を恐れぬ猛進の将!!『武田騎馬軍団最強』の武将

小宮山昌友と今福浄閑斎、栗田詮冬はかなり迷いました(^0^;) 長坂釣閑斎や浅利信種らは(板垣信方に無能だと罵られていたそうですが)これだけの重臣のなかにはとてもじゃないですが入れられませんね。




小助官兵衛の部屋トップへ