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小助官兵衛の旅日記(信州編)
〜信州真田をたずねて(2)〜

山梨→長野→群馬 1日目。2月18日。冬の肌寒い朝だった。我々は朝9時に神奈川のオリッ○スでレンタカーを借り、一旦私の荷物を積むために東京の私の家へ行く。ペーパードライバーな私は傷をつけないように緊張しながらの運転。ところが途中でフロントガラスに1cmの割れ傷がついてる事に気づいてあせった。とりあえずオリッ○スさんに電話して最初からついてる傷だという確認をしてもらう。2時に家に着き、3時に家を出てまず第一の城、八王子城へ向う!ところが4時半。青梅街道あたりでフロントガラスの傷がさらに20cmくらい広がったことに気付きオリッ○スに電話。八王子城を目の前にして、神奈川まで車交換に退き帰すことになってしまった。ガラスはすでに縦にひび割れた状態である。サッカー日本VSオマーン戦をラジオで聞きながら神奈川についたのが夜8時前。サッカーは久保のロスタイムのシュートで日本が勝ったらしい。そのとき我々は車交換のためラジオを聞き逃した…全く、オリッ○スには毎度何かしらの問題が起こる。車を返却するときガソリンを入れなかったのでわざわざ緊急に用意されていた代わりの車のランクを大きい車から小さい車に下げられる。(誰が払うかってんだよ!傷は我々のせいじゃないし1日無駄になったんだし…でも小さいほうがペーパーにとっては扱いやすいかな)もう今日は心身ともに疲れて出発する気になれないので、明日からまた改めて借りることにしてもらって神奈川の家で一泊することにした。帰って久保のロスタイムシュートをTVでみる。ニュースでしか見れなかったのも全てはオリッ○スのせいだ。

さて、気を取り直して2日目!朝9時半にオリッ○スを出て、小田急線沿いに北上し、昨日到達できなかった八王子城へ! 八王子城は入り口がよく整備されていて自治体の気合がよくわかる。ハイキング老人も多い。久しぶりの山登りなので汗をかきながら辛かったが、ここはまだ旅の序章に過ぎないのである。本丸が見つかりにくいが構えは立派で、難易度は普通の山城だった。ふもとにある北条氏照の屋敷には一見の価値あり。巨大な橋と石垣には当時の北条氏の威勢を見せつけられるだろう。さて、次に我々は滝山城は逆方向なのでとばし、甲州街道にのって甲州へ。夕方4時、狭い山道を後ろの車に圧迫されながら上ってると突然目の前に岩山が現れ、その岩壁に「岩殿山城」と看板が!!!まさかこれを上るのか?!山を削り取ったような絶壁にかかってた看板を見て恐怖したが、とりあえずルートはあるようなので上ってみることに。ふもとには櫓(プラネタリウムらしい)があり、雰囲気は出ているが、崖を見上げるとほぼ垂直だぞ?岩を削って狭い山道を造ってるようだが崖にはかわりがない。傾斜も半端じゃなく辛い。落ちたら間違いなく死ぬだろう。なんとか頂上(本丸)についたが、信じられないことに馬場を発見。ここまで馬が? 帰りは怖いので別ルートで下山。全然違う車道に下りたが、無事下りられてよかった…。膝はもうガクガクである。車に着いた頃には辺りは真っ暗で夜8時になってた。難攻不落の城征服を記念してふもとでお土産を探すがまったく無いのでがっかり。甲府(躑躅ヶ崎館)に向け出発。途中、小山城をナビで見つけ、探すがどうやら山削って団地にしたらしく見つけられなかった。ケンタ食って甲府市に。甲府駅の側で巨城舞鶴城(秀吉が作らせた平城)を発見し今までの山城(ほとんど山そのもの)とはまったく違う威容に感服。さすが秀吉。しかし、残念なことに、城にはこれ見よがしに山形有朋(明治の元勲)のオベリスク状の謝恩碑がでかでかと建っていた。なぜ甲府にあるのか知らないけど(山縣昌景の子孫?)城の雰囲気をぶち壊してることは言うまでもない。安い温泉を探したけど、値段高かった(1000円前後)のでやめて、甲府善光寺で寝る用意したが明日上る要害山を見て武田神社(躑躅ヶ崎館)の駐車場で一泊。深夜2時。

3日目。8時起床。武田神社のトイレで身支度を整え(トイレの前で小助とはなを1時間待たせ)、9時に要害山城上り。入り口は旅館の隣にある細い登山道。高いと思ったけど入り口まで車でこれるから意外と楽だった。石垣の残骸があり門(土塁と石の)がいくつかの曲輪(くるわ)の入り口にあった。頂上の主格は広く詰め城へと続く道が奥にある。下山するときに何やら杖らしき棒を発見。これからの旅に使えそうなのでゲット!!!武田神社には各種お土産がそろっていて、さすが武田の本拠地と言ったところ。ぶどうのワインと盃を買う。これで春日山城の毘盃とおそろいに!!あと馬刺しや椎茸茶がおいしいのでオススメ。近くの信玄の墓は特に何もなし。改めて舞鶴城に行き写真を撮る。午前中だったので市民の憩いの場となってるようで、裸のオッサンが天守で雄たけびをあげていた。イカレたオッサンは東京だけじゃなく、何処にでもいるもんだということを知った。白化粧をした日本アルプスの山脈を横に見ながら、甲府を出て信州へと続く道を走っていると、崖の上の新府中韮崎城(新府城)があった。ここは鉄砲戦を意識した平丘城となっており、洋風の城(五稜郭みたいな)のようだった。鉄砲戦となると自然とこのような形に行き着くのだろう。主格には長篠の戦死者の墓があり、とても広い。帰り工事中のオッサンに「何も見るもんなかったでしょ」と言われたが、やはりこういった史跡は一般人には無用のものらしい。あやうく車に轢かれそうになる。湯村城、白山城は見つからなかったが、穴山氏の能見山城の看板を発見。辺りを周ったが入り口らしきものは何もない。近くに住むおばちゃんが「なんもないよ!」と教えてくれた。え!!!あんなデカい看板出しててねぇのかよ…。若神子のガストで飯。ココア飲みまくり。眠たくなったのでアリナミン。夕方5時半、教来石(馬場信房の出身地)を通るが何もなかった。がっかりして国道を走ってると横に鳶木宿という休憩所を発見!!三日ぶりの銭湯に入れた。ずっと車生活だったから我々にとって風呂は唯一の体を休められる場所だった。風呂上りに八ヶ岳牛乳と味噌パンを食べる。夜8時までゆっくりしたあと上原城へ。次第に雪が車道の横に見られてきて嫌な予感…。山の上まで車で上ると路面に雪が…、ただでさえ夜で真っ暗なのに。無視して坂道を上ってると上原城入り口の氷の上でタイヤが空回り!!! そこで一夜を明かして朝下りることを提案したが、氷の上に車が乗っている以上あまりに危険だと、小助が何としても山を下りることを決断する。せっかく風呂で温まったのに、しぶしぶ車の外に出て、木の枝を折り、それタイヤの後ろに並べてバックで山を下り、何とか脱出。すっかり体が冷えてしまったが、小助の決断力と行動力には天晴れ!!!桑原城も完全に登山道が雪で埋まっていた。結局上原城に続き桑原城も断念。平地の高島城は小さな平城で公園となっており櫓だけが立派。有賀城は道路の工事中の向こうに登山道を発見するがやはり雪に閉ざされていた。辰野城は発見できなかった。辰野の公園のトイレ前で寝る(ここが辰野城かな?) 雪のせいで散々な日だったが、雪国の辛さを知ったよ。小助にはヘッチャラのようだったが…。

4日目。トイレの前で8時半起床、寒さが身にしみる。朝食は昨日セブンで買ったカップラーメン(濃い…)。荒神山城は温泉や公民館になっていて、行った時は市民の催しものがあった。管理人のオッサンが鼻をほじりなからもう城はないことを教えてくれた(おっさ〜ん…)。上の平城は平丘城で全部畑にされて住民が住んでた。福与城は掘りや廓が残ってたが一部畑にされてた。土地の権利はどうなってるんだろうね。高遠城は各廓に桜が植えられていて日本でも有数の桜庭園になってるらしい。しかし今は桜の時期じゃないので、今までで一番観光地化してるくせに全部土産屋がしまってた。唯一店を開いていたオバサン(化粧濃すぎ)が桜の時期しか店は開かないと教えてくれた。まぁ観光客もいないし、しょうがないんだろうけど…。博物館で書物を購入。となりの吾郎山には信長軍に攻められ高遠城で自刃した仁科盛信(信玄の5男)らの遺体を村人がここに運んで供養したら墓があるらしいがとばす。途中八王子ナンバーの軽トラに抜かれる。春日城は平丘城で掘りがものすごく深く、架けてあった赤い橋が不安定で恐い。堅固そうな城だ。大島城も平丘城で各廓はゲートボールコース場(いやゴルフコース場だな)と化していた。大草城は町民の遊園地(公園)と化していた。とにかくトイレの水は出ないし、冬の公園は不便だ。飯田城は見当たらずとばし、松尾城へ。まわりに農道や三菱工場があり、なかなか入口はわからず悪戦苦闘して見つけたけど大したものはなし。ここから木曽福島城をめざすがなんと通行止め。冬の間は峠を閉鎖してるらしい。近くを走ってた車を止めて聞くと塩尻から行くしかないと言われて残念ながら木曽福島城行きは止める。木曽福島城は有名だから行きたかったんだけど…無念。気を取り直すためしばらく車内で知恵の輪を。だが難しくて出来なかった。 何とか元気をだして一気に松本へ。途中、熊井城を地図で見つけるも中は薮だらけ。夜のせいで本丸見当たらず。林城は夜だったので外から見ただけで明日に残す。中入城は入れず。眠い目を擦りセブンを探し、寝る。

5日目。セブンで8時半起床。林城で靴がないことに気付く。高いブーツだったし新品だったのに…。ブルーになりながら上る。とりあえずお土産ゲットするため松本駅で物色。しかし日本各地のお土産ってまんじゅうか酒みたいなのしかないんだよね。もっと手軽に喜ばれるものってないんだろうか。小倉城。明科に城らしきもの発見。明科城と勝手に命名して帰る。塔の原城を目指し交差点へ。塔の原合戦に思いをはせ通過。苅谷原城と村松西城はとばした。池田城通過。道路わきに西山城入口を発見。記念撮影中なぜか豚臭いと思ったら横に豚舎。仁科城通過。アルプスを横に見ながら熱い男、佐々成政に思いを馳せ北上してると、もう辺りは一面雪。積雪は1m以上か。飯森城は白馬スキー場の隣にあって当然のごとく雪に埋もれていた。小助が勇敢(無謀)にも上ろうとしたが雪にひざまでつかり断念。私はサンダルしかないので上れなかった。(はなっから登る気はなかったがw)スキー以外の用事はたぶん俺たちだけだろう。こんなスキーヤーがたむろし、4WDが雪をかけ分けて走るところに普通の軽自動車が走ってるのは珍しい光景だ。とりあえず小谷はあきらめ戸隠へ行くことに。雪道の峠を越えたがずっと一人旅だった。こんなところ誰も走らないだろうね。戸隠には雨の中夜6時についたが人も店もない田舎。信州と言えばそば屋。ということで唯一開いていた手打ちそば屋に入り、で民族史料館が冬は閉まってることを聞きショックを受ける。忍者体験もできたはずなのに!!! 店でもらったパンフレットを読むと、ここらは諏訪神社や立派な修験者の神社があり、結構俺的には面白そうなところ。連なる山脈を龍神に見立てて九頭龍として祀ってるという。信州の山脈を見れば修験者たちがそう崇めたくなるのはわかる。そしてこの山地で修行するうちに忍者みたいな体力とスパイのような旅修行をしたせいで戸隠忍者が生まれたのだろう。てなことに思いを馳せ、あったかいたぬきそばを頂き一路野尻湖へ。しっかし、そば切ってたおばちゃん格好よかったな…。雪と雨とで酷い霧が発生。夜なので前がほとんど分からない。まるでスモークの中を懐中電灯照らして走ってるようだ。野尻城は豪雨の前に諦め飯山城へ。物凄い雨と霧のせいで車線が見えず苦闘。やっとついた飯山城は雪に埋もれてた。中野小舘館(城)跡が公園になっていたのでそこで一泊。今日は緊張の運転だったのですごく疲れた。

6日目。中野小舘館で9時に起床。前夜は雨のせいで蒸し暑かったが雪は溶けたようだ。雪の中、福井城と雨引城を探し、犬つれた地元のおばちゃんに聞いたが要領を得ず雪道のスリップのせいもあり断念。須田城は小さな平丘城でテニスコートの裏にあり、半分墓地に。竹ノ城はなかった。郷土史料館は閉まってた。冬は何処もやってないな…。替佐城は入口に立て看板があり、先は雪道だったので写真をとって帰った。そしてとうとう2度目の松代へ!!しかし2年前と同じように海津城はまだ工事中だった…。いつまでやってんだか。松代には失望した。全くやる気が感じられない。妻女山にのぼって川中島でそばと土産(酒w)を買う。謙信を逃したくやしさで槍で貫いた岩(まじ?)とか、土塁でかこった本陣跡(この小さな囲いに信玄が!!)がある。葛山城は寺への細い道しかなかった。エネ○スでガソリン入れて旭山城に向うが見当たらない。善光寺(各地にある善光寺の本寺)は道が狭い典型的な寺町だった。ペーパードライバーのおれには辛い。隣の横山城は学校になってた。松代温泉は4時過ぎたので入れなかった。風呂はいつは入れるんだよ…。金井山城と霞城は砕石所に。自蔵峠で3年前のおっちゃんの茶屋発見(2年前お土産を物色しに入ったとき、小助が真田ファンのおっちゃんに真剣を持たせてもらって、色々とお話を聞いていたという)。今回は夜も遅いので閉まってたけどね。真田温泉に9時に着く。ここも2年ぶりだよ〜。2年前と同じく地元の人で駐車場は満杯。9時半に閉まるので直ぐ入ってすぐ出たら。地元の車はもうほとんどなかった。地元民ははやいね…。セブンで酒飲んで一泊。風呂入って酒飲んで…、疲れもふっ飛んじゃうよw

7日目。真田のセブンで6時にあまりの寒さに目を覚ます。車の窓が水蒸気でバリバリに凍ってたのにはびっくり。氷溶かすために暖房かけて寝るが、冷風しか出ね〜よ!!!8時に再度暖房かけてなんとか9時に布団から出る。すがすがしい朝日がさす中、真田本城(真田山城)に行って2年前は少ししか見れなかった真田史料館へ行くが火曜は休館日。斜面の住宅街のなか(道狭すぎ)にある矢沢城へ。あるにはあったが説明看板はなし。細い山道を根津城へ。近くでゲートボールしてるおばちゃんに聞くとこの山の上にあるらしい。頂上は狭く城下を見下ろすベンチがあり、附近を一望する城主の気持ちになれる。整備されてないのは市の指定を受けてないからか。古い町並みが残る近くの海野宿は白鳥神社があり信州に知られた名家海野氏発祥の地である。(天皇家からつながる血統で、その血筋のよさから信州に知られた名家として権力をもっていたが、武田家や村上家により滅ぼされたという。)土産屋のおっちゃんの話によると武田に追われたあと海野氏は上州に逃げたり、名前を変えるなどして近くに住んでいるらしい。今では駿河に分かれて難を逃れた海野氏が残っているだけだと言う。その駿河海野氏の末裔たちが自費出版した海野氏の本を小助が購入。出口の土産屋のおっちゃんには注意だ。誘導され革製品買わされそうになるから。(まぁ、小助が革着てたからなんだろうけどねw)尾ノ山城は山の上が一面畑になってて農道しかない。車でターンするとき踏み荒らしてしまった。(ゴメン!!!)布引城は滝のある布引観音しか見当たらず。丸子城と依田城、芦田城は上る道がわからない。望月城は平丘城で前回車をぶつけたところという因縁の地である(詳しくは信州の旅日記を参照)。本丸にある目安箱(地元の人か学校の生徒たちがつくったと思われる意見募集箱)に前回と同じく今回も投函。ここのアドレス書いておいたから誰か来るかな? 地元の人が作ったと思われる階段や説明板が設置されていて地元に愛された城だと感じることが出来てうれしかった。市や県に指定されて公共事業するよりずっと温かい感じがした。松代よりよっぽどやる気が感じられるしね。岩尾城を通り過ぎて小諸城へ。駐車場がなく、前回も見たせいもあり通り過ぎる。平原城は探したがないので近くのマックで飯、百円ショップで靴下買う。百円ショップはこの旅で何度も寄って靴下やお菓子を買うのに重宝した。志賀城は見つからず。途中ナビで見つけた王城公園は大井城ということがわかった。平賀城は山はあるが見つからず。夜になり内山城は寺の墓地をさ迷うだけで入り口が見つからず説明看板を見つけたので頂上をあきらめ下りた。田口城はなく龍岡五稜郭をみた。函館とは比べ物にならないほどチャッチィ。稲荷山城は稲荷神社があり頂上にはロケットという珍奇な公園になっていた。海ノ口城は悪路で石や枯れ葉や倒木に苦労しながら夜の山道を懐中電灯と杖を手に上った。こんなこと繰り返してる俺たちはまるで修験者だよ。信玄はここを初陣で夜に奇襲して落としたというが、さすが大将の器といったところか。海尻は海尻神社の中から登山道がある。佐口城、前山城はなし。長窪(長久保)で燃料切れで和田に行けず近くのデイリーで一泊。ここは時給650円らしい(東京は850円)。最低賃金下回ってねぇ?

8日目。デイリーで9時に起床。トラックのうんちゃんの立ちションを横に見ながら朝飯(コンビニ来てるんだからトイレでしろよ…)。すぐエネ○スへ。個人所有の墓地と半分雪の積もった和田城(個人所有?)へ。鉄の手すりや木の階段などあり整備されてたが肝心の説明板がない。帰りに靴を拾う。武石城は平野にぽつんとある岩山で吊橋のある公園だが城とは書いてなかった。塩田城は入口の看板を撮影しておわり。塩田の館(お土産屋)のおやきは出来たてでおすすめ(一個120円だよ)。室賀城はなかった。途中龍王城を発見。道路で主格まで行けるが雪と土砂崩れのせいで歩きくことに。と、こんなところにカーテンで窓を覆った不審なバンを発見。おれたちがわいわいそばを通ってると中からオッチャンがズボンをずりあげながら出てくる。中には女の人が…。どうやらお邪魔したらしいw 野外S●Xは城跡に限る。俺たちみたいな邪魔はまず入らないからね。肝心の龍王城本丸は一面雪の中。近くに建ててあった説明板を見るのが精一杯だった。荒砥城は石垣やら門や櫓が造ってあり下の平野の眺めも最高だったが入園料300円をけちって入らなかった。となりに三体の銅像(これがまたマッカーサーと蒋介石とスリランカ?大統領に日本人は恩を忘れるな!!!ということが書いてあった。左翼?)を立てた天皇礼賛建物(右翼?)がある日本歴史館というトンデモっぽい資料館があった。屋代城通り過ぎてまた松代へ。夜になり畑の中にあった山本勘助の墓を見て、また屋代城へ。歴史館の裏の丘を上る。葛尾城は下の案内板が立派なくせに、途中までいけるはずの車道も狭くて反り返っていて、まじで後ろに倒れるんじゃないかと思って体重前にかけてたし、このさきあるはずの遊歩道は全くなかった。枯れ葉と砂利の道なき道(ただの斜面?)を上る。近道1.2`という割にはすごく時間がかかる。途中何度も迷いそうになるほど道がわからず傾斜もすごくキツイ(「入山禁止」と書かれてたしw)。さすがに汗をかいたのでスーパー銭湯に寄って板垣信方の墓へ。板垣は煙草好きらしく神社には煙草を供える人もいるらしい。上田原古戦場をみて上田城の駐車場のトイレで携帯を充電(電気窃盗だよ!!)。その後寝る。2時過ぎ。

9日目。上田城で9時に起床。上田城に行って、ガストで歴史占いで坂本龍馬出た。開発された上田駅でお土産買う。前回上田城に来た時は田舎駅だったのに、よくここまで発展したものだ。松代とは大違い!!!松代はいったい何年前から工事してるんだか、全くやる気が感じられない。おやきはない。おやきは日持ちしないらしい。2度目の戸石城へ。米山城は初。ふもとは整備中だった。きっとここにも立派な遊歩道が出来るに違いない。米山城本丸にノートがありサイトの宣伝しといた。戸石城は階段がつけられてたが頂上付近はやっぱり縄(崖のぼり)だった。戸石城は木が伐採されてて明るい山道だった。ていうかおれたちが夜ばっかり城に登ってたから? 春原宅という元禄時代に建てられた茅葺き家に行った。途中、太郎塚(信玄次男の子の墓)を見て、3時に以前休館日だった真田史料館へ。中は真田三代のよろいがあって、200円なら安いものだ。となりの真田屋敷へ。真田昌幸が館を構えてたところで土塁に囲まれている。戦国時代の武将の館は常時戦闘用につくられてるらしい。雪がちらつく中、2度目の真田温泉へ。ゆっくり浸かってるとライトがついたままですよとアナウンスで呼び出しされてしまった。初心者がよくするミスだね。雪がひどくなってきて鳥居峠ヘ行くも雪で路面が凍りスリップ断念。時速30`で降り、ルートを変更。急遽松井田城に向けて周り道する形で碓氷峠へ。真田と北条が争った舞台である。雪を心配したが辛うじて通れた。峠を貸し切り状態で独走しカーブの連続をのろのろ運転。国道横の松井田城のふもとで一泊。松井田城では眠眠打破飲んだせいかなかなか寝れなかった。

10日目。翌朝、窓をコツコツと叩かれる音で目を覚ます。眠い目をこすり、朝からやかましいことするやつは誰だよ!!!と思って窓の外を見ると、曇った窓の外にいるのは3人の警官だった。身分証と住所聞かれた。地元の人から不審な車があると通報され、練炭自殺じゃないかと思って見に来たらしい。おいおいw 最悪の寝覚めを迎えてしまった我々はとりあえず目の前の松井田城にのぼることに。松井田城は平丘城で道順説明書きは詳しかったが城説明書きがなかった。安中城や鷹巣城は見当たらず。国峯城は入口が民家の隣で急な坂となっており、入ると木や竹が倒れてたりして邪魔で進みにくく、道を間違えて畑に出たりした。中腹あたりは突然整備された綺麗な広場があった。頂上に感想ノートがあり読み返してみると、この城との関係は分からないが国峯氏一族がよく上ってたみたいだ。結構関東など遠くから来てる人もいた。もちろん我々はサイトの宣伝をしといた。国峯城のあとガストにはいり麻原死刑判決のニュースをきく。平井城は平城で本丸だけが残っており後は住宅街になっている。本丸跡には「関東管領上杉」の旗が何本も立ち、芝で綺麗に整備され駐車場も説明も記念碑もあり結構新しく整備されたような城だった。どうやら町民が祭りなどでよく利用してるらしい。近くに支城の金山城があるらしい。ていうか近くの豚舎の臭いが強烈!!! たおれていた旗を持って帰ろうかといけないこと考えたけどはずれなかったのでやめました。富岡で城山に上る。富岡城?無駄足だったが今回の旅はこういうのが多い。小さな城なんで地図には載ってなく、公園や学校に変わってたりする。それに城山と言う名のつく山はたいてい城なのでのぼってみたりするが違ったりすることもある。倉賀野城や和田城はなし。そして夜になり我々だけでくねくねと峠を越え榛名湖の脇をとおり雪の心配しつつ岩櫃城についたころは夜8時。雪で埋もれた登山口の看板には3月中頃まで雪で閉鎖と書かれてあった。城下のニセ城(城の形した岩櫃温泉)付近のセブンで一泊。岩櫃城下は関東と越後を結ぶ街道となっており車のとおりが多く結構発展してる。岩櫃のCDショップでアリーのCDを買い、バリーホワイトをヘビーローテーション。ケンタで夕食。今回ケンタ結構くったかな?今日はもう足腰に疲れが出た。峠の運転と山登りの繰り返しはつらい。

11日目。岩櫃のセブンで8時半起床。でかいスーパーでトイレ。10時頃長野原へ。軽井沢観光案内所で試食しまくり。のりわさびや酒まんじゅうはとくにうまい。店の人に聞いて神社内の長野原古戦跡へ。境内ではおばあちゃんと孫が遊んでいて、横にひっそりと激戦の跡を伝える記念碑が建っていた。羽根尾城は車で結構上までいけたが廓はほとんどない。簡単に登れた。頂上に上るとニホンカモシカがつぶらな瞳でこっちを見てた。一瞬目があい彼はキューンと言って逃げてった。たしか前回もこんなことがあったような。それまで城跡は廓や門や本丸を再現してほしいと思っていたが、こういう獣たちの生活の場になっているのだと考えると城跡の開発について再考させられた。たしかあのカモシカの標本が真田温泉の入り口にあったなぁ。なんか複雑な感じ。近くに海野幸光の墓あり。鎌原城はお土産屋の人に聞き、さらにじいちゃんに聞いてわかった。じいちゃん曰く、城跡見るより観音見たほうがマシだ、と。鎌原城は平城で歩いていけるのだが、一面が雪と農道のためグチャグチャ。小助は電線塔のせいで頭が痛かったらしい(?)。 城跡には墓と記念碑があり、そのもと先には説明板があった。帰り道へんな爺さんと犬に遭遇。帰りにスキー客と観光客でいっぱいの草津温泉へよることに。行く前は混浴で盛り上がってたが結局男ばかりの湯につかったw あげくに帰りは駐車場まで遠くて湯冷め。夜になり植栗城をさがすが見つからず、嶽山城は薬王園のちかくにあり車で入口まで行って説明板を発見。中山のセブンで一泊。小助の今日の一言、「官兵衛に騙された。」

12日目。セブンで8時半起床向かいのエネ○スヘ。中山城は丘城で中山診療所の横に看板あり。川田城はなかった。名胡桃城はかわりなく隣に炭王あり。沼田城もかわりなく公園だった。沼田駅でまずい酒まんじゅうとこんにゃく団子と弁当購入。長井坂城は途中路面に雪が積もっていたので足で上ったら頂上は廓ごと本丸も畑になっていた。漆窪城は宅地になっていて、竹窪は見掛けたが通り過ぎた。白井城は平城でとなりに宴会場があり町民のカラオケが聞こえた。城内は広く綺麗で土塁も高く掘りは深い。矢崎城はなく、大胡城は案内があり幼稚園の隣にあり掘りは深く土塁も高い。平城は平地にある分堀と土塁がしっかりしているのだろう。城内に廃墟のシルバーセンターあり。上泉はとばし、厩橋城を見て、高崎では市役所隣の駐禁にはいり、高崎城の写真撮って直ぐ出る。やっぱ都市は田舎と違って駐車場がなくて困る。サイゼリアで夕食。290円のドリアとペペロンチーノは安くてよく食べたなぁ。オムレツは量がないので避けた方がいい。そしてセブンで一泊。町なので遠慮してトラックが影になり一泊。でもバレバレだろうなw

13日目。起床し、そのまま埼玉をすっ飛ばして東京の家へ。荷物をおろし神奈川へ。夜になりオリッ○スまで後少しだと言うのにガソリン足りなくなったのでエネ○スで給油。ついでに雑巾借りて車体拭こうとしたら爺さんに「こんな汚い車拭くな」と怒られた。雪道や山道走ったからとんでもなく汚れてましたから当然といえば当然かw 直ぐ先の宇佐美は安く親切そうだったからそっちで拭けばよかったか。ってかガソリンスタンドなんだから、窓ぐらい拭いてくれたっていいじゃないか。全く態度の悪い、サービスのなってないエネ○スだった。サイゼリアでドリアとペペロンチーノ。家で荷物おろしてオリッ○スに恐る恐る返却(当然汚れたままだけどね)。この日の夜はサッカーのバーレーン戦を見て寝る。たしか1日目もサッカーだったっけ。 結果はまさかのドロー。えー!!!!日本弱えぇぇぇし…。

この旅の途中思ったことは、日本の田舎は本当に悲惨な状況(ゴーストタウン)じゃないのか?ってことと城の頂上に感想ノートなど置いておいてくれると上るのも楽しいし、役に立つとも思う。山城は下手に階段をつくるより、ロープを山道に沿って木にくくり付けてくれるだけでいい。その方が金も手間もかからないし、実は登るのも楽だし安全だと思うね。あと公共事業の福祉施設は大きな娯楽施設はいらないから、真田温泉のような大勢の町民が通える300円〜500円の銭湯にしてほしい。ぶっちゃけ温泉じゃなくてもいいし。あとおやきの真空パックは造れないものか…。




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